179 石油の里 新潟県 (Niigata-ken) 02/05/20 Mon. 179-Copyright(c) 1999〜 Candybox All Rights Reserved. |
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■中野貫一翁(1846〜1928) |
------------------------------------- No.179 石油の里 No.179 Home of petroleum Niigata-Ken /Beautiful Japan Photo:14pieces/GreenSeason ♪:子守唄 ◆日本の石油王 ◆中野貫一翁、中野忠太郎翁 ◆中野貫一処世訓 ◇石油採油現場、公園 出かけませんか?CandyBox 179-Copyright(c) Candybox All Rights Reserved. -------------------------------------- |
中野邸について わが国で石油に関するもっとも古い文献といえば、日本書紀に「天智天皇七年越しの国より燃ゆる土と燃ゆる水を献ず」とある。この年は西暦にすれば668年で、今を去る1,310年余りも前もことである。 当新津市の石油の歴史は古く、文献、史跡等も多く保存され、世界的にも石油発祥の地として知られている。 中野家は越後国蒲原郡金津村で代々庄屋をつとめていた大地主であったが、文化元年(1,804年)中野貫一翁の曽祖父、次郎左衛門が草生水油(石油)採取権を買い取り「泉舎」と号して、当時のいわゆる「草生水油稼人」をも業とするようになった。 翁は、弘化3年(1,846年)に生まれ、14才にして父を亡くし庄屋と泉舎を引き継いだ。明治6年「石油坑法」が交付されるや直ちに新潟県庁に石油試掘を出願、許可を得て翌7年(翁28才)9月、自分の所有地内に草生水場を開坑して若干の出油に成功したが、それも束の間、その後の試掘は失敗の連続であった。そのため家産は傾き親類、知己の多くは、あてもない冒険事業をやめるよう忠告したが、翁は初心を捨てず遂に最初の試掘から29年目の明治36年初めて商業規模の油田を掘り当て、金津油田、(新津油田の一部)開発の端を開いた。 それ以来当時の二大石油会社であった日本石油、および宝田石油に次ぐ大産油業者に成長、明治、大正時代に「石油王」と呼ばれるに至った。 |
中野貫一翁処世訓 「無理、驕り、朝寝、かけごと、つつしみて、生業はげめば、子孫栄えむ」 昭和3年没 83歳 新津観光協会 |
計量タンク |
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この赤いつなぎ合わせたような機械がクリスマスツリーです。
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