028 豊橋二川宿本陣史料館 愛知県 豊橋市 (Aichi ken) 01/03/07 Wed.
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| お気に召さないときは止めてください。 |
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PM2:00〜PM4:30
時間が少しとれたので二川宿本陣資料館を訪ねてみました。
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■-■-■二川宿本陣馬場家■-■-■ 二川宿本陣馬場家は、江戸時代後期文化4年(1807)から明治3年(1870)までの約60年間 本陣職を勤めた。邸内には享保3年(1718)建設の東土蔵・宝暦3年(1753)建設の主屋・文化 4年(1807)本陣開設時に建てられた玄関棟・表門が残っている。 昭和63年より改修復元工 事を行い、明治以降取り壊されていた書院棟を復元し、江戸時代末期の本陣が最も整備された 姿を再現した。本陣背後には、江戸時代の交通をテーマとする土蔵風の資料館を併設し、本陣 と共に公開している。 (二川宿史跡マップより) |
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防火用水
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火の見やぐら
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ここを訪ねた季節がら、雛人形が、土人形から衣装雛まで、何十組も展示されていました。
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ひなまつりの歴史-資料館パンフレットより ひなまつりは、五節句の一つで上巳(じょうし)の節句といい、中国唐の時代の風習が 日本に伝わったもので、3月初めの巳の日に水辺に出て不祥を除くための禊(みそぎ)・ 祓(はらえ)を行ない、宴会を催して祝したが、後に3月3日に行われるようになった。 日本には、古代から贖物(あがもの)という人形(ひとがた)に自分の罪を託し、人形を 肌身にすりつけ、息を吹きかけ、水辺に棄て流す風習があった。この上巳の祓の人形は、 やがて流し雛ばかりでなく飾り雛も作られ「ひひな遊び」という平安時代に幼女が可愛ら しい人形で遊ぶ週間が結合して後の「ひなまつり」の雛人形となった。江戸時代になると 平安時代の宮廷の階層をまねた雛段を作り、飾り立てる「ひなまつり」となっていった。 こうした雛遊びが、3月3日雛人形を飾って祭り遊ぶ「ひなまつり」となったのは、 江戸幕府がこの節日を五節句の一つとして制定した事にも一因があり、上巳の祓の形代 (かたしろ)としての人形が、棄てられずに保存され、娘の幸福を願って飾ると言う風習が 上下にゆきわたり、幕末には京都と共に江戸でも「ひなまつり」が隆盛となり、さらに 雛市や雛売りなどの商売も起こって江戸市民の間に広がり、明治・大正へと盛んになった。 |
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お殿様が使った部屋。座布団のある中央の2畳が、床の間より高くなっています。
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お風呂場 風呂桶(bath-tub)も持参して旅に出たそうです。
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これは「トイレ」のようです。
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資料館には江戸時代の交通と、広重の復製写真「東海道53次」なども展示されていました。
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