明治4年、別府村を変える施設の登場です。 流川の河口近辺の海 岸に「旧別府港」が完成したのです。 松方正義が九州の東の玄関口 として、別府村に港を造ったのです。 おかげさまで別府村は大発展。 瀬戸内海の物流の拠点となり、日 本で2番目の火力発電所、6番目の路面電車、当時は珍しい街灯を備 えた商店街などが出来ています。 また、この界隈は、海岸にあった天 然の砂湯を始め、江戸の頃からの自然湧出の温泉、明治10年代から 開発された温泉掘削技術により誕生した温泉、等々を求める湯治客で 大変なにぎわいを呈する様になり、次第に漁師町から、温泉町へと変 ぼうを遂げて行ったのです。 その頃 海岸近くの土地に湧き出ていた湯を楽しむ為に、地元の漁 師さんが、湯舟と簡素な小屋を造りました。 屋根には近くの山から切 ってきた、竹を半分に割って即席の瓦が完成しました。 -HPより- 続きは HP「竹瓦温泉の歴史」をご覧下さい。 |
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聴 潮 閣(ちょうちょうかく) 高橋記念館 〒874-0902 大分県別府市青山町9-45 TEL/FAX:0977-22-0008 開館時間:AM10:00〜PM6:00 休館日:毎週水曜日(祝日の場合は翌日) 入館料:大人=600円 小中学生=500円 入館料は飲み物付 聴潮閣は、昭和4年(1929)大分県政財界の第一人者であった高橋欽哉が住居兼迎賓館として、 木材に贅を尽くして建てた近代和風建築物です。 現在、住宅として使われていた近代化遺産で一般公開されているのは、聴潮閣だけだそうです。 |
アールデコ調の洋間 |
別館 ギャラリー&レトロカフェ泉屋 |
聴潮閣に隣接していた蔵を復元して中をギャラリーとレトロカフェに改造されています。 明礬(みょうばん)温泉 移動中に見つけた変わった「わらぶき屋根」と解説のパネルが見えたので見に行きました。 |
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「別府の湯の花」とはアルミニウムと鉄の硫酸 化合物である鉄明礬石の結晶の事を指します。 明礬温泉では藩政時代より自然噴気を利用し た明礬の製造が盛んに行われました。当時の方 法が今もそのまま続けられているのが、明礬温 泉場における湯の花採取法です。 わらぶき小屋に、地表に出てくる噴気を溝で 導き、敷き詰めた青粘土の下に通すと噴気中に 含まれている硫化水素から硫酸が生まれ、それ が青粘土中の鉄、アルミニウムと化合して鉄明 礬石の結晶を作ります。わらぶき小屋は、雨露を 防ぎ、小屋の中に適当な湿分を保つ役割を果た します。 -パネルより- |
立命館アジア太平洋大学 キャンパス所在地 〒874−8577 大分県別府市十文字原1-1 |
受付で見学申込手続きをして 案内された駐車場に車を停めて・・・ 丘の上に出来た新しい国際都市 そんな感じの大学です。 |
留学生が非常に多く、学校もキャンパスも設備も新しく近代的で、未来都市のような街がそこにありました。 |
学食で、学生に混じり食事をしました。 |
食堂は別府市内が見下ろせます。 |
私のメニューは 山菜そば、野菜サラダ、杏仁豆腐 ヘルシーで満足です。 さて、いよいよ雑誌でおなじみ、温泉ランキング上位の湯布院に向かいます。 ページトップへ Tweet 今日もお出でいただきありがとうございました。 よろしかったら 次回もお付き合いづダサい。
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