832 川越星野山 中院  
埼玉県(Saitama-Ken)

10/11/21 Sun. 



お気に召さないときは止めてください。

♪「6段の調べ」
お箏バージョンです♪

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天台宗別格本山 中院
HP
〒350-0036
川越市小仙波町5-15-1

東に門があり院内の紅葉が美しく
惹きこまれました。
静かに落ち着いたお庭を
歩いてみませんか?

中院は喜多院の直ぐ南方にあり、正式には天台宗別格本山中院です。喜多院のにぎわいと比較すると、閑静な佇まいで趣のある寺院です。
古くは星野山無量寿寺仏地院と呼ばれ、鎌倉時代の終わり頃、無量寿寺から分かれたとされる天台宗の寺で、喜多院に天海僧正が来往するまではこの地の中心的な寺院であったといわれています。
中院は島崎藤村ゆかりの寺院としても知られており、境内には川越市の文化財に指定された島崎藤村ゆかりの茶室・不染亭があり、現在は茶道を楽しむ人々に利用され、保存伝承されています。
桜の名所としても名高く、本堂前の枝垂桜は特に有名です。
緑豊かな境内は春だけでなく、夏・秋・冬とそれぞれに色を変え、四季折々の表情で人々を楽しませてくれます。
さらに、川越茶・狭山茶の発祥の地としても有名です。
開山の際、円仁が京より茶の実を携え、境内に薬用として栽培したのが始まりで、30年ほど前までは境内にも茶畑があったといいます。
境内にはその旨を記した石碑が建てられています。
木々を愛でながら 時の流れをゆっくりと感じ、心洗われるひとときを感じられる場所です。
川越中院の開基は慈覚大師円仁です。
時は人皇53代淳和天皇の治世でした。
中院創立の縁起は喜多院と全く同じで天長7年(830年)慈覚大師によって創立されました。
元来星野山無量寿寺のなかに北院・中院・南院の三院があり、それぞれ仏蔵院、仏地院、他聞院と称していました。
当初の中院は、現在の東照宮の地にありましたが、寛永10年(1633年)東照宮建造の折に現在地に移されました。(中院看板より抜粋)
鎌倉時代の終わり頃、喜多院(北院)、南院とともに、無量寿寺から分かれたとされる天台宗のお寺中院は、喜多院に天海僧正が来往するまで、この中院のほうが強い勢力を持っていたということです。
素晴らしい紅葉の庭です。

とても静かで、ゆっくり紅葉が楽しめます。
本堂が閉まっていても、いつでも
(画像中央下)
直接、仏像が拝見できます。
(画像中央上)
仏像のお姿が写真で拝見できます。
本堂

配置図が見当たらず、
大門、釈迦堂以外の
建物の呼び方が不明です。
釈迦堂
1986(S61)年秋、昭和の文化財・釈迦堂は、比叡山延暦寺・西塔にある釈迦堂にならい建立されました。
古い天台様式により建立された釈迦堂では、毎年花まつりが催されます。

鐘楼門
川越茶・狭山茶の発祥の地としても有名です。
開山の際、円仁が京より茶の実を携え、境内に薬用として栽培したのが始まりで、30年ほど前までは境内にも茶畑があったといいます。
その旨を記した石碑が建てられています。
   ◆河越茶 狭山茶の起源
 夫れ茶は遠く平安の昔傳教大師最澄和尚 中国天台山国清寺より伝来し京都に栽培せしより始まる。
 慈覚大師円仁和尚天長7年(830年)当地仙波に星野山無量寿寺仏地院建立に際し比叡山より茶の実を携え境内に薬用として栽培す。これが河越茶 狭山茶の起源である。
 当山茶園の茶株をここに移植し長く伝承す。
鐘楼門

除夜の鐘では
このようなにぎわいを見せていたようです。
「イベントフォト」→「除夜の鐘」
中院公式サイト


鐘楼
大門
山門から
天台宗別格本山 中院ホームページを参考にしました。

2011/01/05
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No.832  川越 星野山中院
No.832 Kawagoe Nakain(Nakanoin)
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Photo:24pieces/GreenSeason
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