
|
6/17 は東京藝術大学で開催されている
『高橋由一展』に行きました。 |

No.911 上野散策
No.911 UENO walk
Tokyo / Beautiful Japan
Photo25 pieces/GreenSeason
◆高橋由一展
◆上野 奏楽堂
◆カヤバカフェ
◆散歩、散策
出かけませんか?CandyBox
911-Copyright(c) Candybox All Rights Reserved
|
|

|
この吊るした鮭の絵は、
一度はご覧になったことがあると思います。
鮭の絵は1枚だと思っていましたが、
この展示会場に微妙に違う3枚が
並べて展示されていて
複数枚描かれたことを知りました。
展示場は撮影できませんので
画像はありません。

高橋 由一(たかはし ゆいち)文政11年2月5日(1828年3月20日) - 明治27年(1894年)7月6日)は江戸生まれの日本の洋画家。幼名は猪之助、のち佁之介。名は浩、字は剛。明治維新後に由一を名乗る。号は藍川、華陰逸人。居庵号は、石蒼波舎、伝神楼。
近世にも洋画や洋風画を試みた日本人画家は数多くいましたが、由一は本格的な油絵技法を習得し江戸後末期から明治中頃まで活躍した日本で最初の「洋画家」といわれています。 -ウィキペディアより引用- |
|

|
岡倉天心

藝大美術学部正門近くの小さな林の中に、六角堂のような屋根の四阿(あずまや)で椅子に腰かけた岡倉天心の像がありました。
昭和6年に、彫刻家 平櫛田中によって制作されました。後に美術学校(藝大)の教授となった平櫛田中先生は、登下校の際には必ず自分の制作したこの天心先生像に頭を下げていたという有名な逸話があるそうです。 |
|

|
奏楽堂 (重要文化財)
閉館時間(訪問は2012年)で、見学ができません
でしたが、私は二十数年前に奏楽堂で行われた
芸大生とOBの チェロ50本の迫力ある合奏を
この小さいホールで聴いたことを思い出しました。 |

※ 奏楽堂は、平成25年(2013)4月1日より
建物保全のため、休館しています。
|
|

|
旧東京音楽学校奏楽堂は、明治23年(1890)に日本で初めての音楽専用のオーディトリウム(演奏会場)として建立されました。東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)の施設だった奏楽堂は、昭和62年に台東区の手で現在の地に移築保存され、重要文化財に指定されています。様々な音楽に関わる催しと共に一般公開もしています。(台東区上野公園8-43)
|
|
 |
重要文化財 旧東京音楽学校奏楽堂
奏楽堂は東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽部)の施設として明治23年に建てられた、日本最古の洋式音楽ホールです。
時を経て老朽化した奏楽堂は、昭和62年に台東区の手によって東京芸術大学から現在の地(上野公園内)に復元・移築され、翌年、国の重要文化財指定を受けました。
舞台中央にあるパイプオルガンも、コンサート用としては日本最古のものです。今でもその柔らかな音色を楽しむことができます。 |
※奏楽堂は、平成25年(2013)4月1日より
建物保全のため、休館しています。
|
|

6/24
|

|
『カヤバ珈琲』
数日前にTVで紹介していた 古い喫茶店です。
外に居られる方たちは、入店待ちの行列です。
歴史 |
大正5年築出桁作りの町家です。
昭和13年、この建物で榧場伊之助さんが「カヤバ珈琲店」を創業し、奥さまと娘さんがお店をまかされました。谷中町のシンボルとして70年近く親しまれましたが、平成18年秋奥様ご逝去の後、閉店しました。
平成20年秋、NPO法人たいとう歴史都市研究会などが協力して建物を借り受け、再開を望む御親族や町の方、建築家が話し合い改修し、21年9月再開を果たしました。
改修に当たり、大正町家の柱梁や外観、昭和喫茶の看板、椅子、食器等を残しました。 |
|

|
『カヤバ珈琲』 〒110-0001 東京都台東区谷中6-1-29
tel: 03-3823-3545 |
|
 下町風俗資料館付設展示場
吉田屋商店 |

|
下町風俗資料館付設展示場
吉田屋商店は、歴史を伝える商家建築
| 谷中6丁目で江戸時代から代々酒屋を営んでいた「吉田屋」の建物を現在地に移築したものだそうです。明治43年に建てられた建物は、腕木より軒桁が張り出している出桁(だしげた)造、また正面入口には板戸と格子戸の上げ下げで開閉する揚戸(あげと)が設けられています。江戸中期から明治時代の商家建築の特徴です。 |
|

|
下町風俗資料館付設展示場
住所:〒110-0002 台東区上野桜木2-10-6
TEL:03-3823-4408
入館料:無料
開館時間: 午前9:30~午後4:30
休館日:月曜日(祝翌日)
年末年始(12月29日~1月3日 |
※ 台東区上野公園2番1号の本館は
入館料: 300円(入館は4時まで)
|

|
| 秤・漏斗(じょうご)・枡・樽・徳利・宣伝用ポスターや看板など酒類の販売に用いる道具や商いに関する資料を展示しています。 |
|

|
|

|
|

|
|

|
|

|
かまぼこ板2枚を張り合せたキャンバスに
谷中の町並みが写真のように
細部まできっちり描かれていました。 |
こちらも 下町風俗資料館付設展示場にありました。
|
 |
かまぼこ板2枚を張り合せたキャンバスに
谷中の町並みが写真のように描かれていました。
写真のように見えますが、全部手描きの絵です。 |
|

台東区谷中6丁目2番4号 感応寺
|

この像は 抽斎のお墓ではありません。 |
| 渋江抽斎の墓 |
江戸末期の医師・儒学者。諱は全善(かねよし)、字は道純(どうじゅん)、抽斎(ちゅうさい)は号である。文化2年(1805)、弘前藩医の子として江戸神田に生まれる、。
弘化元年(1844)、現在の浅草橋4丁目の地にあった医学館(東京大学医学部の前身)の講師になる。医学を井沢蘭軒(いさわ らんけん)に儒学を市野迷庵(いちの
めいあん)・狩谷棭斎(かりや えきさい)に学ぶ。友人の医師 森枳園(もり きえん)との共著『経籍訪古志(けいせきほうこし)』[全8巻]は名高く、日本に伝わる漢籍の所蔵・伝来・体裁等を記したもので書誌学者・蔵書化としての抽斎の見識の高さが窺がえる。 医師としての業績に、、種痘治療を記述した『護痘要法』の著書がある。
安政5年(1858)コレラに罹り、54歳で没し、当寺に葬られた。境内の「渋江道純墓碣銘(ぼけつめい)」は、抽斎の事蹟を刻むもので、漢学者 海保漁村(かいほぎょそん)が撰した文を、書家
小島成斎(こじま せいさい)が記し、ともに生前の親交が深かった。
没後、森鴎外の史伝『渋江抽斎』によって、初めて抽斎の名が一般に知られるようになった。
平成4年11月 台東区教育委員会 |
※狩谷棭斎(かりや えきさい)えきの字は木へんに夜 |

街歩きスナップ
|

|
お友達から、おねがいしま~す。
 |
|

|
金魚
 |
|

|
台東区循環バス めぐりん
 |
|

|
窓

|

|
|

|
SCAI THE BATHHOUSE
お風呂屋さんの建物を利用して
ギャラリーになっているようです。
日曜日はお休みでした。 |
|