c233 椿山荘(ちんざんそう)で お花見

東京都(Tokyo-To)
2022/03/25 Fri.  


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お気に召さないときは止めてください。

♪「カントリークラブ・ラグ」S.Joplin
オルゴール バージョンです♪

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椿山荘 お花見


神田川沿いの桜、まだ3分咲き



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No.c233 椿山荘 お花見
No.c233 Cherry blossom viewing at Chinzanso

Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo 28 pieces/GreenSeason
♪=カントリークラブ・ラグ / S.Joplin
◆胸突坂
◆ 冠木門 閉門
◆啓翁桜
◆羅漢石
◆般若寺式石灯籠、チャペルヴァンヴェール
◆木春堂(もくしゅんどう)、長松邸(ちょうしょうてい)
◇さくら、庭園
出かけませんか?CandyBox
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冠木門 閉門のお知らせ
ご入館は正面玄関へお廻りください。  の貼り紙

インフォメーション

所在地=112-8680 東京都文京区関口 2-10-8
営業時間=11:00~21:00
TEL=03-3943-1111 /FAX=03-3943-2300
ホテル・レストラン・喫茶室等利用者は庭園散策できます。
交通アクセス
JR「目白」駅より都バス ホテル椿山荘東京行きまたは、
新宿西口行き→約10分『ホテル椿山荘東京前』下車
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都内のさくらが咲き始めたので、
「椿山荘」にお花見に行きました。
例年、神田川沿いの入り口から入れたのですが、
今年(昨年も?)はコロナのためか、入り口が閉じられていました。
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心臓破りの「胸突坂」の階段を上り、表門から、椿山荘に行きました。


胸突坂

 目白通りから焦雨園(もと田中光顕旧邸)と永青文庫(旧細川下屋敷跡)の間を神田川の駒塚橋に下る急な坂です。坂下の西には水神社(神田上水の守護神)があるので、別名「水神坂」ともいわれます。東は関口芭蕉園です。
 坂が険しく、自分の胸を突くようにしなければ上がれないことから、急な坂には江戸の人がよくつけた名前です。
 ぬかるんだ間雨の日や凍りついた冬の日に上り下りした王子の人々の苦労がしのばれます。
-文京区教育委員会-







庭園だけの利用はできず、喫茶部でお茶して、お花見をしました。



カフェ フォレスタ

アイスコーヒー







椿山荘の庭園を散策しましょう。

鮮やかに満開に咲く敬翁桜

庭園内のソメイヨシノは、これからのようです。







羅漢石

 江戸時代中期の画家、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の下絵による五百羅漢の内の約20体で、京都伏見の石峰寺にあったものを大正14年頃に移されたとされています。







五丈滝/滝浴み








ホテル棟と
チャペルヴァンヴェール

満開の啓翁桜







三重塔 「圓通閣」
国登録有形文化財

三重塔は、もともとは広島県の竹林寺に建てられていたもので、国の登録文化財に指定されています。椿山荘庭園へは大正14年(1925)、山縣有朋公から庭園を譲り受けた藤田組二代目当主 藤田平太郎男爵によって移築されました。平成22年(2010)には移築後初めての大規模改修を行い、新たに聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)が奉安され、この時に塔は「圓通閣(えんつうかく)」と名付けられました。







般若寺式石灯籠






椿山荘の歴史

 林泉回遊式庭園の椿山荘は明治の元勲山県有朋公爵の命名によるものです。
 ここ椿山荘周辺は古来より椿の自生する景勝の地として知られ、南北朝時代のころから『つばきやま』と呼ばれていました。江戸時代の代表的な浮世絵版画家・・安藤広重の作品『名所江戸百景』でも取り上げられています。
 明治11年、山県公が私財を投じてこの地を入手すると、つばきやまの名にちなんで「椿山荘(ちんざんそう)」と名付けて築庭に力を注ぎ、約2万坪の起伏豊かな地形を巧みにいかし、今日に見る名園に造り上げました。当時、明治天皇をはじめ政財官界の第一人者たちがしばしばこの椿山荘を訪れ、重要会議を開いたと伝えられています。
 その後、山県公爵からこの名園を譲り受けた藤田平太郎男爵が、三重塔をはじめ歴史をしのばせる文化財の数々を随所に配し、その風情を一段と高めるに至りました。
 こうして受け継がれてきた伝統は、今日も都心で豊かな四季が味わえる数少ない名園を育みつづけ、近代的諸設備を誇る施設の数々とともに、椿山荘を名実共に日本を代表するガーデンレストランとして位置付け、日々内外のお客さまを迎えています。
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丸型大水鉢

 この丸型大水鉢は、京都府東山区粟田口から蹴上を経て山科に通じる日ノ岡峠にあったもので、木食上人 養阿正禅(ようあしょうぜん)が旅人のために作ったものと伝えられています。この水鉢は牛車の轍が刻まれた敷石とともに保存されていますが、日ノ岡峠を越える人々が水鉢に溢れる清水で肌を冷やし喉を潤した往時がしのばれます。
 木食上人・・・米、麦、粟、稗、豆の五穀を断ち、木の実などを食とする戒律を守り、仏の道を修める僧の事です。
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弁慶橋










後ろの建物
チャペルヴァンヴェール















三重塔

















椿山荘の八福神
庭の神

ニワトリの形をしたこの神は、2009年からこの庭園の七福神に仲間入りしました。
いつの日からかニワトリは、その翼で飛ぶここをやめ、庭の中の安心や幸せを守る神として崇められています。
今日もチョコチョコ歩き回り、この庭を守ってくれています。
作者=本山ひろ子
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そば処 無茶庵

休業のお知らせ の貼り紙がありました。
門しか映っていませんが、

  もと文京区林町にあった紅葉旅館の離れだった旧・某氏邸を譲り受け、昭和29年(1954)に移築しました。
 北側は一部増築したが、入口から南側の部分には手斧(ちょうな)やくさびを使用していた痕跡が見られることなどから、室町期、太田道灌の活躍していた時代に作られたものと伝えられています。
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長松邸(ちょうしょうてい)

電力業界の長老松永安左ヱ門翁の設計
松永翁好みの四畳枡床向切逆勝手
(よじょうますどこむこうぎりぎゃくかって)の茶室。
昭和29年(1954)建築です。







木春堂(もくしゅんどう)

五島慶太翁所有の神奈川県足柄郡の中津川渓谷沿いの
田舎家を譲り受け、昭和28年(1953)に移築しました。

五島慶太(1882~1959)長野県出身の実業家。
東京電鉄を中心とする東急グループの創立者。
創業者小川栄一の郷里の先輩で、指導を受けました。







御神木

 樹齢約500年、庭園最古の椎の樹木。根本の周囲は4.5m、高さは20m。東京大空襲の大火の中も生き抜き此の地の歴史を見つめ続けています。
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ミスト散布








十三重の石塔








水車








啓翁桜と柑橘系の実
チャペルヴァンヴェール




小千谷 錦鯉
寄贈 新潟県小千谷市(2019年12月)

 「泳ぐ宝石」といわれる錦鯉は、約200年前、現在の小千谷を中心とする地域で発祥しました。
真鯉の突然変異から始まったとされる錦鯉は、雪深い小千谷の、主に山間地の人たちのたゆまぬ研鑽によって現在のような美しい姿へと変わっていきました。日本国内のみならず海外からの評価も高く、日本文化の象徴としても知られています。

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お気づきのこと等がございましたら
ご一報ください。→:こちら!
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パネル等を参考にしました。


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今日もお出で頂きありがとうございました。
よろしかったら 次回もお付き合いください!


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