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二条城二の丸御殿 【京都】
1603年
| 二条城は徳川家康が上洛した時の住まいに使う邸宅として1603年(慶長8年)に造営されたもので、二の丸御殿もその時に建てられました。この二条城のように、城は軍事上のものばかりでなく住まいも兼ねており、城内は豪壮な御殿として建てられました。 |
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鹿苑寺(ろくおんじ)金閣 【京都】
1397年(1955年再建)
| 足利義満が1397年(応永4年)に造営した山荘で、北山殿と呼ばれました、義満の死後、鹿苑寺として現在に至っていますが、寝殿、会所など多数の殿舎は荒廃・焼失してしまいました。金を貼ったきらびやかな姿で、『金閣』と呼ばれる建物は舎利殿です、。しかしこれも、1950年に焼失し、現在のものは1955年に再建したものです。 |
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慈照寺(じしょうじ)銀閣 【京都】
1489年
| 足利将軍は本邸のほかに景勝地を選んで山荘を営む例がありました。足利義政が将軍職を隠退後、1482年(文明14年)に着工し、東山殿と呼ばれました。義政の死後、東山殿は慈照寺となり、義満の金閣に対して『銀閣』と呼ばれています。 |
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平等院鳳凰(ほうおう)堂 【京都】
1052年頃
| 11世紀における浄土宗の流行は、華麗な堂を建て、荘厳を尽くし、金色に輝く阿弥陀像を安置し、この世にありながら極楽浄土を見ようとしました。藤原頼通が宇治に建てた平等院はその代表的なもので、藤原美術の粋を現在に伝えています。鳳凰堂は、中堂・翼廊・尾廊からなり、すでに平安時代から天下に類のない名建築としてもてはやされていました。 |
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京都御所 紫宸殿 【京都】
13世紀頃(1855年再建)
| 京都御所は江戸時代まで天皇がお住まいになっていた所で、日常のお住まいや儀式を行う場所など、色々な建物からなっています。紫宸殿はいろいろな儀式が行われるところです。 |
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桂離宮(かつらりきゅう) 【京都】
1615~1663年頃
| 桂離宮は桂川のほとりに八条宮の別荘として作られ、古書院・中書院・新御殿の書院群と月浪廊・松琴亭・笑意軒の茶屋など、さまざまな庭園施設からなっています。桂離宮は数寄屋風の建築としてのみならず、日本風庭園の完成度も高いものとなっています。 |
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厳島(いつくしま)神社 【広島】
1168年頃
| 厳島神社の創立は明らかではありませんが、平安時代の末期1168年(仁安3年)、平清盛によって再興されたと伝えられています。その後、焼失や修築が繰り返され、現在の社殿は1571年(元亀2年)に建て替えられたものです。海浜の中に設けられた社殿であり、自然の美と人工の美が巧みに調和しています。 |
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清水寺(きよみずでら) 【京都】
798年
| 清水寺は798年(延歴17年)、坂上田村麻呂の創立と伝えられています。現在の本堂は1633年(寛永10年)、徳川家光の再建で江戸初期の代表的な和様建築となっていますこの本堂は急な崖に建っているため、前面の舞台を長い柱で支えており、有名な『清水の舞台』は南側の崖に迫りだした部分です。 |
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東大寺大仏殿 【奈良】
752年
| 741年(天平13年)天武天皇によって国分寺・国分尼寺建立の詔が発せられ、東大寺はその総国分寺として建てられました。木造の古い建築としては世界最大の規模を持つ壮大な伽藍は、安置されている大仏様と共に荘厳な風格を持っています。 |
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姫路城 【兵庫】
1601~1609年
| 姫路城は1601年(慶長6年)池田輝政によって工事が開始され、8年後に完成しました。天守は五重 6階、地下1階の天守と小天守とを渡り櫓で囲いつなぐ、いわゆる連立天守になっており、城壁の白い色と美しい姿から『白鷺城』とも呼ばれています。 |
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田麦俣の民家 【山形】
1822年
| 田麦俣は鶴岡市と山形市を結ぶ街道にある集落で、出羽三山参りが盛んのときには7・8軒の旅籠があるところでした。豪雪地帯であるこの地方には、茅葺屋根で『カブトづくり』といわれる3階建ての堂々たる民家が並んでいました。現在では建物の耐用年限が過ぎているのと、生活条件の変化からその姿を失いつつあります。 |
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瑞巌寺(ずいがんじ) 【宮城】)
828年
| 瑞巌寺は平安時代の初期、慈覚大師の開基と伝えられています。現存の瑞巌寺は伊達正宗が自ら縄張りをして、5年の歳月をかけ1609年(慶長14年)落成。以来、伊達62万石の菩提寺となっています。松や杉の広がる境内の中に清楚な建物が広がり、『松島寺』とも呼ばれています。 |
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瑞巌寺(ずいがんじ) 【宮城】
828年
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円覚寺舎利殿(えんがくじしゃりでん) 【神奈川】
1282年
| 円覚寺は1282年(弘安5年)鎌倉幕府の8代執権北条時宗の開基で、臨済宗円覚寺派の大本山です。円覚寺の舎利殿は現存する禅宗様式建築を代表するもので、木立に囲まれた寺院の建物は豪壮で風格に富んでいます。 |
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熊本城 【熊本】
1601~1607年
| 加藤清正による熊本城の造営は、1601年(慶長6年)に始まり、6年後に完成したと伝えられています。三重 5階地下1階の宇治櫓は現存する唯一の建物で、豪壮な建物は熊本のシンボルとなっています。 |
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風見鶏の館・旧トーマス邸 【兵庫】
| 神戸の北野には、明治時代から大正時代にかけて来日した外国人が建てた家があり、異人館街として観光地になっています。このトーマス邸は、この地区唯一のレンガつくりで、ドイツ人のランデが設計した建物です。塔の先端の風見鶏は雄鶏が警戒心が強いことから魔除けになると信じられ、この家の愛称になっています。 |
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旧北海道庁舎 【北海道】
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旧北海道庁舎 【北海道】
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旧開智学校 【長野】
| 長野県 松本にある1876年(明治9年)建築の和洋折衷の木造2階建ての学校です。明治の近代化にあたり近代教育を行ったところで、現在では明治、大正、昭和の3代にわたる教育資料が展示されています。 |
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道後温泉本館(振鷺閣) 【愛媛】
1894年
四国でも有数の歴史ある温泉で、夏目漱石の「坊ちゃん」でも有名なのが、松山し郊外に湧く道後温泉です。この建物はその中心に位置する共同浴場で、道後温泉のシンボル的存在となっています。
1894年(明治27年)に建てられた木造3階建の見事な建物で、屋根に太鼓櫓の振鷺閣(しんろかく)を置いているところから、一般に『振鷺閣』の名で呼ばれています。 |
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大浦天主堂 【長崎】
1864年
| 1864年(元治元年)12月に完成した日本最古の教会です。ヒューレ、プチジャン、ロカインという3人の神父が建設に当たり、初めは3本の塔があるゴシック、バロック、ギリシャの3式を混合した美しい建物で、当時は『フランス寺』とも呼ばれていました。 |
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旧グラバー邸 【長崎】
1863年
| 英国人トーマス・ブレイク・グラバーが長崎にやってきたのは1859年(安政6年)で、グラバー商会を設立し、貿易に従事しました。1863年(文久3年)に建てられたもので現存の木造洋館の中では一番古い建物です。 |
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堂崎天主堂 【長崎】
1876年
| キリスト教が盛んな長崎でも五島列島は特に盛んな場所で、数多くの教会があります。この木造レンガ作りの堂崎天主堂は、フランス人マルマン神父がイタリアから資材を運んで建てたもので、五島列島にある教会の中で歴史も古く、代表的な教会となっています。 |
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札幌時計台 【北海道】
1878年
| 北海道大学の前身・札幌農学校の演武場として、1878年(明治11年)に建てられた洋風の建物です。アメリカ製の時計と鐘は明治14年に設置され、以来現在まで時報の澄んだ音色を絶やさずに響かせており、札幌の名所となっています。 |
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守礼門 【沖縄】
14世紀末期頃
| 日本のはるか南に位置する沖縄は独自の文化を持っており、琉球王国として栄えていました。琉球王国の居城であった首里城は14世紀末期頃から明治になるまで、約500年もの間、琉球王国の政治の中心として活躍しました。 |
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東京スカイツリーと周辺複合開発 【東京】
2008~2012年
| 東京都墨田区で 2012年春開業し、日本古来の技術を現代的に解釈して再現するなど、最新技術を集め建設された世界一高い電波塔です。高さ634m展望台は地上350mと450mにあります。足元には東西400m広さ3.69haにも及ぶ「タワーのある街」が誕生しました。 |
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東京スカイツリーと周辺複合開発 【東京】
2008~2012年
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国会議事堂 【東京】
1919~1936年
着工から17年後の1936年(昭和11年)11月に帝国議会議事堂として完成し、第70回帝国会議から使用され現在に至ります。
建物は左右対称で、幅は206.36m、正面から見て左側に衆議院、右側に参議院の議場が配置されています。 |
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迎賓館 【東京】
1909年
| 皇太子(後の大正天皇)の東宮御所として計画され、ヴェルサイユ宮殿を手本として作られました。一時期、国会図書館として使用されており、一般の人々にも親しまれていました。1974年(昭和49年)迎賓館として生まれ変わり、国賓のために使用されています。 |
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東京ドーム 【東京】
1988年
グラウンド 面積:13,000㎡ 両翼:100m
外野センターまで:122m フェンスの高さ:4m
階数:地上6階・地下2階 収容人数:55,000人 |
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東京タワー 【東京】
1957~1958年
高さ:333m 正式名称は日本電波塔。
「東京タワー」の名称は完成直前に開かれた審査会で決定した。事前に名称を公募し、最終的には86,269通の応募が寄せられた。一番多かった名称は「昭和塔」で、続いて「日本塔」「平和塔」だった。他には当時アメリカとソ連が人工衛星の打ち上げ競争をしていたことから「宇宙塔」、皇太子明仁親王(今上天皇)の成婚(1959年)が近いということで「プリンス塔」という応募名称もあった。しかし名称の査会に参加した徳川夢声が「ピタリと表しているのは『東京タワー』を置いて他にありませんな」と推挙し、その結果10月9日に「東京タワー」に決定した。「東京タワー」での応募は223通(全体の0.26%)であり、抽選で神奈川県の小学校5年生女子児童に賞金10万円が贈られた。
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ウィキペディアより引用
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