n075 真間山 弘法寺と木内ギャラリー
千葉県(Chiba)
2014/05/05 Mon..  


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お気に召さないときは止めてください。

♪「エリートシンコペーション」S.Joplin
ピアノ  バージョンです♪

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真間山 弘法寺(ままさん ぐほうじ)



赤門


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No.n075-1 真間山 弘法寺(ぐほうじ)
No.n075-1 Mamasan Guho-Ji

Chiba-Ken /Beautiful Japan
Photo13pieces/GreenSeason
♪=エリートシンコペーション
◆太刀大黒尊天、里見龍神、濃縁観音、手児奈霊神
◆日蓮宗本山 真間山弘法寺
◆涙石、
◇寺
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里見龍神堂


真間山 弘法寺の御利益は

「良縁成就」「孝子受胎」「無事安産」「健児育成」







真間山 弘法寺

〒272-0826
千葉県市川市真間4丁目9-1
TEL=047-371-2242
FAX=047-375-3630
アクセス:JR 市川駅より 徒歩15分
京成 国府台駅より 徒歩10分
京成 市川真間駅より 徒歩10分




太刀大黒堂



真間山、弘法寺(ぐほうじ)は奈良時代、天平9年(737)、行基菩薩がこの地に立ち寄った折、里の娘、手児奈の哀話を聞き、いたくその心情を哀れに思い、一宇(いちう)を建てて「求法寺(ぐほうじ)」と名づけ、手厚くその霊を弔いました。
それからおよそ百年ほど経た平安時代、弘仁13年(822)に弘法大師(空海)が教えを弘められるために来られた時、求法寺を七堂伽藍に再建され、寺運を一新して、「求法寺」を「弘法寺」と改称しました。☆に続く


本殿



☆その後、鎌倉時代に入り、建治元年(1275)に、時の住持、了性法印尊信(りょうしょうほういんそんしん)と、中山法華経寺、富木常忍公(ときじょうにんこう)との間に問答があり、日蓮聖人は六老僧の伊予房日頂上人(いよぼうにっちょうしょうにん)と対決しました。

その結果、日頂上人が法論に勝たれたため、以来、弘法寺は法華経の道場となり、日頂上人をしてご開山とすることとなりました。




客殿


元亨3年(1323)に千葉胤貞公(ちばたねさだこう)より寺領の寄進を受け、天正19年(1591)に徳川家康公より御朱印状を賜り、元禄8年(1695)には水戸黄門公が来詣された折、茶室を賞(め)でて「遍覧亭(へんらんてい)」と称されました。

明治21年(1888)火災のため、全山、悉く灰燼(かいじん)に帰し、現在の諸堂は明治23年(1890)に再建されたものです。







仁王門
真間山弘法寺が明治の大火の際、
被害に遭わなかったのが
「仁王門」と「鐘楼堂」です。
その仁王門に掛かる「真間山」の額は
空海が記した物と伝えられています。








祖師堂







鐘楼堂







鐘楼堂
仁王門」とともに、真間山弘法寺が明治の大火の際、
被害に遭わなかったのが「鐘楼堂」です。
真間山では、朝6時と夕方6時に山務員による
「打鐘」が行われます。また、新年には限定108名で、
「鐘つき」を一般の方に公開しています。








濃縁観音(のうえんかんのん)菩薩
◇-□-◇-□-◇
両縁結び







涙石

仁王門正面石段の下から27段目にある石。
多くの石がある中、この石だけが涙を
流しているように濡れ続けているそうです。










公式サイトを参考にしました。

次の訪問地
木内ギャラリー


玄関前の大きな椎の木の陰で、玄関が見えませんネ。
屋根の上の塔屋。


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No.n075-1 木内ギャラリー
No.n075-1 Kiuchi gallery

Chiba-Ken /Beautiful Japan
Photo11pieces/GreenSeason
♪=エリートシンコペーション
◆貴族院議員 木内重四郎 
◆和洋並列型、和洋折衷
◆旧木内別邸//施設貸しスペース
◇博物館、貸しスペース
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旧木内別邸について

 旧木内邸別邸は、約1万坪といわれる敷地の中に、1912年~1914年(明治45~大正3)にかけて、当時貴族院議員であった木内重四郎氏によって、建てられた和洋並列型の建物でした。
 建物は、入り口付近を洋風に、奥を和風とした典型的な和洋折衷様式で、玄関を含む洋館部分はスレート葺きモルタル壁のコテージ風の外観を持ち、内部は、玄関室、応接室、書斎、ベランダの構成となっています。館の特徴ともいえる塔屋からは、眼下に電車の行き交う様、江戸川などが一望できました。
 和風部分は、中庭を囲むロの字型に接客座敷、居間、台所や女中室などが機能的に配置されたものでした。こうした和洋館並列型の屋敷配置や和館と洋芝庭園による和洋折衷、ロの字型配置の屋敷構え等は、明治期を通して大邸宅でよく見られた特色を備えています。再築された洋館部分は当時の貴族の住まいを伝えてくれるものです。
-貼り紙より-




〒272-0826
千葉県市川市真間 4-11-4
TEL=047-371-4916
駐車場=なし
アクセス:
JR=市川駅 北口バス停1番乗り場-
松11「松戸行きバス乗車-
「真間山」下車。徒歩5分
私鉄=京成線 「国府台」駅より 徒歩8分








木内ギャラリーのジオラマ

この場所は施設を貸し出しています。
詳細は 公式サイトで







書斎の窓






玄関








木内重四郎氏

明治・大正期の官僚・政治家。東京帝国大学を卒業後、法制局参事官試補となり、農商務省商工局長などを歴任し、その後は貴族院議員となりました。大正5年~7年(1916年~18年)京都府知事を務めました。








応接室//貸展示スペース








応接室//貸展示スペース








書斎//貸展示スペース




書斎//貸展示スペース
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お気づきのこと等がございましたら
ご一報ください。→:
こちら!
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手児奈霊神社に向かいます。


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今日もお出で頂きありがとうございました。
よろしかったら 次回もお付き合いください!


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