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〒150-0011 東京都渋谷区渋谷東4-9-1 電話:03-3463-1211 アクセス: (東急東横線・田園調布市線・JR・東京メトロ銀座線 ・半蔵門線・京王井の頭線・副都心線) 渋谷駅から徒歩20分 都バス(学03日赤医療センター行き、54番乗り場) 「国学院大学前」下車徒歩2分 ハチ公バス(恵比寿・代官山循環)「郷土博物館・ 文学館前」下車 昔の渋谷駅と忠犬ハチ公のレプリカ カメラ〇印は、撮影OKの場所です。 |
渋谷区に関する歴史、民俗、考古学などを テーマにした展示です。 撮影不可の展示です |
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渋谷前史から中世までの移り変わりを紹介しています。 撮影不可の展示です |
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江戸時代の道具 カメラ〇印です。 説明は以下をご覧ください。 |
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房楊枝(ふさようじ) 房楊枝とは、江戸時代に使われていた歯ブラシのことです。 材料はヤナギやクロモジ、カンボクなどの気が使われました。 使い方は、刷毛のようになっている部分で現代の歯ブラシの ように歯をこすり、磨きました。そして逆の尖った部分で爪楊枝 のように使い、柄の部分で舌をこすり、ざらつきを取りました。 |
鏡台(きょうだい) 江戸時代の鏡台には鏡を立てる台だけのものと、 手箱が一緒になっているものの二種類がありました。 手箱と一緒になった鏡台、は、箱型のたんすで 使うときには一番上の板を開け、鏡を乗せる台を 取り出して立てると鏡台になりました。引き出しには 化粧道具や髪形を整える道具として、おしろい・紅・ くし・かんざし・笄(こうがい)・結い紐・カミソリなどが 入れてありました。 *-* 鏡(かがみ) 江戸時代に最も一般的だった鏡は、柄のついた 柄鏡でした。表面の平らの面に「錫(すず)」という 銀色の金属が薄く塗られ、現代の鏡と同じように 鮮明に姿がうつりました。ただし、現代の鏡は水銀 の上にガラスがありますが、柄鏡は錫の部分が むき出しのため錆びやすく錆びると曇りました。 そのため定期的に錫を塗りなおしました。 |
文机(ふみづくえ)と和本(わほん) 文机は、現代の学習机にあたるものです。 武家から庶民まで幅広く使い、寺子屋や 私塾などでも用いられました。 和本とは、長方形の和紙を半分に折り、 それを何枚も重ね、糸でとじた書物です。 木版技術の進んでいた江戸では、版木に 文字を彫り、印刷し、学習用の教科書など、 たくさんの本が作られました。 |
脱穀・調整(稲穂から玄米まで) 1.脱穀 2.分別 3.籾すり 4.選別 の工程があります。 *-*-* 江戸に幕府が開かれてから、渋谷は江戸に接する 「都市近郊の地」として位置づけられるようになりました。 都市と農村の二面性を帯びるようになった当時の 生活・社会環境について紹介しています。 |
−明治・大正時代−
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−昭和初期から東京オリンピックまで− 洋風化 大正時代、関東大震災以降、文化住宅様式が広がりました。 |
1964年 東京オリンピック カメラ〇印です。 |
2020年 東京オリンピックが目前に迫り、 1965年の東京オリンピックを少し詳しく レポートしました。 オリンピックトーチ 自由にさわってください。 トーチの重さを体感してみよう |
東京オリンピックの聖火台に点火した 実物トーチが展示されています。 こちらは触れません。 東京オリンピックの開催と近代化への発進 * 昭和39年(1964)アジアで初めてのオリンピックが 東京で開催されました。これは、日本の高度成長に 弾みを付けました。特に渋谷区では、オリンピックの 主要施設の誘致に成功し、進駐軍住宅のワシントン ハイツの返還が行われ、さらに関連施設の建設、 大規模な道路整備、下水道の設置などが行われ、 それまでの町並みは一新されました。 |
1964 東京オリンピック ◇-□-◇-□-◇ 左写真の右のパネルの中のいくつかを 抜粋して下方に紹介します。 |
オリンピック選手村の誘致運動
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オリンピック選手村 現在の代々木公園 ◇-□-◇-□-◇ 現在代々木公園内にある オリンピック記念宿舎です。 07年11月23日撮影 |
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オリンピック開催と都市基盤の整備
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渋谷駅をまたぐ高速3号線工事風景 |
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高速3号線工事風景 |
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白松(はくしょう) 東4丁目9番1号 白根記念渋谷区郷土博物館・文学館
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