n103 白根記念 渋谷区郷土博物館・文学館
東京都(Tokyo)
2015/02/08 Sun .


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♪「シュガーケイン」S.Joplin
ピアノ  バージョンです♪

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渋谷区郷土博物館







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No.n103 白根記念 渋谷区郷土博物館・文学館
No.n103 Shibuya-ku hometown museum &
literary house

Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo21pieces/GreenSeason
♪=シュガーケイン 
◆渋谷区に関する歴史、民俗、考古学
◆江戸時代の道具
◆1964 東京オリンピック関連
◇博物館
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〒150-0011
東京都渋谷区渋谷東4-9-1
電話:03-3463-1211

アクセス:
(東急東横線・田園調布市線・JR・東京メトロ銀座線
・半蔵門線・京王井の頭線・副都心線)
渋谷駅から徒歩20分

都バス(学03日赤医療センター行き、54番乗り場)
「国学院大学前」下車徒歩2分

ハチ公バス(恵比寿・代官山循環)「郷土博物館・
文学館前」下車


昔の渋谷駅と忠犬ハチ公のレプリカ
カメラ〇印は、撮影OKの場所です。






渋谷区に関する歴史、民俗、考古学などを
テーマにした展示です。

撮影不可の展示です




渋谷前史から中世までの移り変わりを紹介しています。

撮影不可の展示です






江戸時代の道具
カメラ〇印です。

説明は以下をご覧ください。






房楊枝(ふさようじ)

房楊枝とは、江戸時代に使われていた歯ブラシのことです。
材料はヤナギやクロモジ、カンボクなどの気が使われました。
使い方は、刷毛のようになっている部分で現代の歯ブラシの
ように歯をこすり、磨きました。そして逆の尖った部分で爪楊枝
のように使い、柄の部分で舌をこすり、ざらつきを取りました。







鏡台(きょうだい)

江戸時代の鏡台には鏡を立てる台だけのものと、
手箱が一緒になっているものの二種類がありました。
手箱と一緒になった鏡台、は、箱型のたんすで
使うときには一番上の板を開け、鏡を乗せる台を
取り出して立てると鏡台になりました。引き出しには
化粧道具や髪形を整える道具として、おしろい・紅・
くし・かんざし・笄(こうがい)・結い紐・カミソリなどが
入れてありました。
*-*
鏡(かがみ)
江戸時代に最も一般的だった鏡は、柄のついた
柄鏡でした。表面の平らの面に「錫(すず)」という
銀色の金属が薄く塗られ、現代の鏡と同じように
鮮明に姿がうつりました。ただし、現代の鏡は水銀
の上にガラスがありますが、柄鏡は錫の部分が
むき出しのため錆びやすく錆びると曇りました。
そのため定期的に錫を塗りなおしました。






文机(ふみづくえ)と和本(わほん)

文机は、現代の学習机にあたるものです。
武家から庶民まで幅広く使い、寺子屋や
私塾などでも用いられました。
和本とは、長方形の和紙を半分に折り、
それを何枚も重ね、糸でとじた書物です。
木版技術の進んでいた江戸では、版木に
文字を彫り、印刷し、学習用の教科書など、
たくさんの本が作られました。







脱穀・調整(稲穂から玄米まで)

1.脱穀
2.分別
3.籾すり
4.選別
の工程があります。
*-*-*
江戸に幕府が開かれてから、渋谷は江戸に接する
「都市近郊の地」として位置づけられるようになりました。
都市と農村の二面性を帯びるようになった当時の
生活・社会環境について紹介しています。




−明治・大正時代−

明治になると、現在の渋谷区東側に広がっていた大名屋敷の多くは国有地となり、この大名屋敷跡地に政府は桑、茶栽培を奨励し、結果茶園が多く作られました。このころから、東京市内の人々の生活が急速に洋風化し、牛乳の需要が拡大し、乳牛を飼う牧場がつくられるようになりました。

その後「都市近郊の地」である渋谷には、人や工場、学校、商店などの移転・流入があり、宅地化と共に工業地帯が形成されます。渋谷駅を起点とした鉄道網の整備によって、渋谷駅周辺が発展していく様子を紹介しています。








−昭和初期から東京オリンピックまで−
洋風化

大正時代、関東大震災以降、文化住宅様式が広がりました。







1964年 東京オリンピック
カメラ〇印です。




2020年 東京オリンピックが目前に迫り、
1965年の東京オリンピックを少し詳しく
レポートしました。


オリンピックトーチ

自由にさわってください。
トーチの重さを体感してみよう








東京オリンピックの聖火台に点火した
実物トーチが展示されています。
こちらは触れません。

東京オリンピックの開催と近代化への発進
*
昭和39年(1964)アジアで初めてのオリンピックが
東京で開催されました。これは、日本の高度成長に
弾みを付けました。特に渋谷区では、オリンピックの
主要施設の誘致に成功し、進駐軍住宅のワシントン
ハイツの返還が行われ、さらに関連施設の建設、
大規模な道路整備、下水道の設置などが行われ、
それまでの町並みは一新されました。




1964 東京オリンピック

◇-□-◇-□-◇
左写真の右のパネルの中のいくつかを
抜粋して下方に紹介します。







オリンピック選手村の誘致運動

オリンピック東京大会の誘致は、関連施設の建設に伴う大規模な道路、下水道の整備計画実施につながり、都市生活の環境整備を大幅に進展させると考えられました。また、渋谷区のほぼ中央に広大な敷地を占めている米軍キャンプのワシントンハイツがオリンピック施設建設用地として返還されれば、10年以上問題となっていた代々木基地反対運動、環境浄化運動の解決につながり、区経済・生活環境の整備を進めることが出来ます。渋谷区にとって、オリンピックの誘致は、単に施設用地問題だけではなく、区の未来像の展望にかかわる重要な問題であり、行政と区民が一丸となっての運動が実り、誘致に成功しました。




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オリンピック選手村

現在の代々木公園








◇-□-◇-□-◇
現在代々木公園内にある
オリンピック記念宿舎です。
07年11月23日撮影







オリンピック開催と都市基盤の整備

東京オリンピックは、それまでのオリンピックの中で最大規模となりました。渋谷区内には、国立屋内総合競技場、・同別館・渋谷公会堂・東京体育館・代々木選手村・岸記念館・NHK放送センターなど、オリンピックの主要設備が建設されました。
選手村にはワシントンハイツがあてられ、広大な敷地に充実した設備が整えられました。また、首都高速3・4号線、国道246号線(青山通り及び玉川通り)などの道路の新設・拡幅・整備等が相次ぎ、都市機能が充実し、戦前からの街区の様相が一変しました。マラソン競技の会場となった甲州街道では舗装改良、下水道管の埋設などの機能整備が進みました。







渋谷駅をまたぐ高速3号線工事風景








高速3号線工事風景





白松(はくしょう)

東4丁目9番1号 白根記念渋谷区郷土博物館・文学館
 松の仲間として分類された中国原産の植物で「しろまつ」とも呼ばれています。日本の松とは幹の皮の感じが違いますが、葉は似ています。しかし、個々の葉をよく見るとアカマツや黒松が2本なのに対して、これは3本に分かれていることが特徴です。また、樹形も上に向かった合掌するような形になっています。全国的に見ても非常に数の少ない稀種です。
 この松は、大正の末ごろ、中国北京から持ち帰ったもので、内田治氏より昭和53年1月、区に寄贈されました。
-渋谷区教育委員会-

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お気づきのこと等がございましたら
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説明文はパネルを参考、引用しました。


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