n171 覚王山 日泰寺
愛知県(Aichi-Ken)

2016/03/22 Thu.  


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♪「コンチェルトニ長調」ヴィヴァルディー
オーケストラ バージョンです♪

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覚王山 日泰寺(かくおうざん にったいじ)

日本で唯一 いずれの崇派にも属さない、日本の全仏教徒のための寺院





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No.n171 覚王山 日泰寺
No.n171 Kukuozan NittaiJi

Aich-Keni /Beautiful Japan
Photo16pieces/GreenSeason
♪=コンチェルトニ長調
◆芸術院会員 圓鍔勝三、尊者像
◆釈尊御真骨、奉安塔
◆超宗派、仏教徒寺院
◆タイ国々王チュラロンコン陛下、現国王プミポン殿下
◆タイ国弁理公使稲垣満次郎
◇寺院、超宗派寺院
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山門







覚王山 日泰寺 公式サイト
インフォメーション

所在地:愛知県名古屋市千種区法王町1-1
山号:覚王山
崇派:超宗派
御本尊:釈迦金銅仏
創建年:1904年(明治37)
文化財:名古屋市指定 鳳凰台
五重塔




香炉と拝殿




↑ 手水舎 ↓





日泰寺略記

1898年(明治31年)1月、ネパールで、イギリス人が古墳の発掘作業中ひとつの人骨を納めた蝋石の壺を発見した。その壺に刻みこまれた古代文字を解読したところ「この世尊なる佛陀の舎利瓶は釈迦族が兄弟姉妹妻子とともに信の心をもって安置したものである」と記されてあった。これは原始佛典に、「釈尊」が死去した後、遺体を火葬に付し、遺骨を八つに分け、その中釈迦族の人々もその一部を得てカピラヴァツに安置したとある記載が事実であったことを証明するものである。当時19世紀の西欧の学者の間では、「釈尊」なる人物はこの地上に実在したものではないという見方が一般的であって、一部の学者にいたっては釈尊信仰を太陽神話の一形式であるとの見方をしていた。そうした状況がこの発掘によって一変し、「釈尊」の実在が立証され、19世紀東洋史上の一大発見となった。

その後インド政庁はこの舎利瓶と若干の副葬品の呈出をうけ、舎利瓶その他はカルカッタの博物館に納めたのであるが、釈尊の御遺骨は佛教国であるタイ国(当時シャム)の王室に寄贈した。時のタイ国々王チュラロンコン陛下は大いに喜ばれ佛骨を現在もあるワットサケットに安置しお祀りしたのであるが、その一部を同じく佛教国であるセイロン、ビルマに分与せられた。この時日本のタイ国弁理公使稲垣満次郎はバンコクでこれを見聞し、羨望にたえず、日本の佛教徒に対してもその一部を頒与して欲しいとタイ国々王に懇願し、結果「タイ国々王より日本国民への贈物」として下賜された。


日本とシャム(暹羅)の友好を象徴する
日暹寺(現在の覺王山日泰寺)の誕生

稲垣公使の通牒から、直ちに日本佛教各宗管長に、受け入れ態勢の要請がなされ、当時の佛教13宗56派の管長は協議を開き、タイ国々王の聖意を拝受することを決定、明治33年6月に奉迎の使節団がタイに渡り、6月15日バンコク王宮に於いてチュラロンコン国王より親しく御真骨を拝受し、又使節団が帰国後、佛骨奉安の寺院を超宗派で建立すると申しあげたところ、完成時の御本尊にとタイ国国宝の一千年を経た釈尊金銅佛一躯を下賜された。

奉迎使節団は御真骨を奉持して帰国後、京都妙法院に仮安置し、候補地をめぐって意見が分れたが、名古屋官民一致の誘致運動が最後に効を奏し、名古屋に新寺院を建立するとの結論を得た。ここに於いて名古屋市民あげての協力によって現在の地に10万坪の敷地を用意し、明治37年、釈尊を表す「覺王」を山号とし、日本とシャム(暹羅)の友好を象徴する日暹寺(現在の覺王山日泰寺)の寺号をもって誕生したのである。









香炉








開花








転法輪(てんぼうりん)

仏が教えを説くこと。説法。
法輪は仏の教えを転輪王の武器である輪宝に
なぞらえたもので、転は説くこと。







勅額と御本尊:釈迦金銅仏

勅額
外陣正面の勅額は新本堂落慶を祝し、
現国王プミポン殿下より贈られたもので
タイ文字で「釈迦牟尼佛」と記されてある。






御本尊:釈迦如来像

明治33年タイ国王チュラロンコーン陛下より贈られた
千年を経た大国法の金銅仏















本堂内








鐘楼








阿難尊者

釈尊の従弟で晩年の釈尊に侍者として
二十余年仕えその最後を看取った。







迦葉尊者

佛弟子中の最長老で釈迦尊滅後の佛教教団を率いて
佛教第二祖となった。


山門

尊者像
左:迦葉尊者
右:阿難尊者
製作:芸術院会員 圓鍔勝三




奉安塔・霊堂は道路を隔てているため、車で移動します。

奉安塔・霊堂




釈尊遺形霊地
















釈尊御真骨奉安塔

◆お釈迦様の御真骨は塔の中に 
安置してあります。
◆日泰寺にご納骨の御骨は奉安塔
の裏にお祀りしてあります。
◆柵の中には入れませんので柵外
での参拝をお願いします。







拝殿

その向こうに奉安塔が見えます。







拝殿内の像

柵内には入れないので近づけませんが、
ズームアップすると、横になられたお釈迦様と
阿難尊者と思われる像がありました。







拝殿越しに見える奉安塔の台座




舎利殿




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立札、公式サイトを参考にしました。


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