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今日は、青山・表参道を散策します。
所在地=〒107-0062 東京都港区青山3-13 営業時間: 11:00~22:00 |
東京メトロ銀座線・半蔵門線・千代田線 『表参道』駅(A4出口)徒歩2分 |
約250坪のオープンスペースで、フードカート、シェアオフィス棟、自由大学棟などで構成されています。 青山通り沿いの入口通路を入っていくと、13のフードカートとレストラン棟の「食」のエリアが広がり、「246 COMMON」の時から出店している店がほとんどで、当時、若い人がチャレンジできる場にしようと駆け出しの飲食業者を集ったそうです。 |
キッチンカーや移動式コンテナを改装した非建築物のため、建物確認申請や基礎工事が必要なく、中には東京大学建築学専攻Advanced Design Studies(T-ADS。隈研吾研究室・千葉学研究室・小渕祐介研究室の意匠系3研究室による、先端のデザインを扱うスタジオ)が手掛けたものもあるそうです。 |
所在地=〒107-0061 東京都港区北青山3-5-17 山号/院号/寺号= 南名山 無量寿院 善光寺 宗旨宗派・本尊=浄土宗、一光三尊阿弥陀如来 創建・開基=慶長6年(1601)、善光寺第』百九世 .. 大蓮社光忍員誉智慶上人 駐車場= 有 |
現在の青山は、江戸時代には善光寺の門前町でした。1853年(嘉永6年)に発行された江戸切絵図の『東都青山絵図』によると、一帯には各大名家の下屋敷が存在し、大山道(現在の青山通り)も通っていました。 善光寺は浄土宗に属する寺院で、創立は1601年(慶長6年)と伝わります。山号は南命山といい、詳名は「南命山無量寿院善光寺」、本尊は1尺5寸の阿弥陀如来です。同本尊は767年(神護景雲元年)、8月の十五夜に法如尼という人物が當麻寺の紫雲庵で念仏を唱えている最中に信州善光寺の如来が現れ、その姿を写したものといわれています。 |
創立当初の善光寺は尼寺で、かつては谷中にありました。善光寺第109世大蓮社光忍円誉智慶が徳川家康に請願して江戸谷中に7500坪の土地の寄進を受けて、伽藍を建立しました。谷中の旧地は玉林寺(台東区谷中一丁目7-15に現存)付近で、今では「善光寺坂」と坂の名にその名残をとどめています。第4世誓誉智伝の時期、1648年(慶安元年)9月17日に徳川家光から朱印地(高5石)を拝領しました。 谷中の伽藍は、1703年(元禄16年)11月29日に小石川水戸邸を火元とする大火(元禄地震による火事)によって焼失しました。1705年(宝永2年)、光蓮社心誉知善が高5石の朱印地を徳川吉宗から賜り、現在の場所に間口75間、奥行100間の堂宇を新築して同年12月に至って移転しました。そのため、善光寺は心誉知善を中興開基とします。 |
善光寺はもともと無本寺であったが、徳川幕府の時代には1740年(元文5年)から寛永寺の支配下に置かれていました。幕末の1862年(文久2年)12月5日、再度の火災に遭って全焼したため、その後は長きにわたり仮本堂でした。 1915年(大正4年)9月に伽藍の再建に着手し、1920年(大正9年)5月に落成しました。1945年(昭和20年)5月25日、戦災により焼失し、1974年(昭和49年)8月に本堂・庫裏・書院を再建しました]。 善光寺はもともと葬儀に関係せず、墓地も存在しませんでした。墓地が設けられたのは明治以後のことで、中御門経之、松木宗有、牧野晩香、中山能子(勘解由小路光宙室)などが葬られています。『赤坂・青山その2』所載の「善光寺」の記述によれば、檀家数447、戒名数2,885、墓地480基、過去帳及び墓碑の最古は、1874年(明治7年)です。 |
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