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所在地=〒101-0021 東京都千代田区外神田2-16-2 電話番号=03-3254-0753/FAX=03-3255-8875 ご祭神=大己貴命/少彦名命/平将門命 駐車場=有料 若干数 ※神社正面の鳥居をくぐり、隋神門左側の脇門より入場 |
JR 中央線・総武線=『お茶の水』駅(聖橋口)より徒歩5分 京浜東北線・山手線=『秋葉原』駅(電気街口)より徒歩7分 Metro 東京メトロ丸の内線=『御茶ノ水』駅(1番口)より徒歩5分 東京メトロ千代田線=『新御茶ノ水』駅(B1出口)より徒歩5分 東京メトロ銀座線=『末広町』駅より徒歩5分 東京メトロ日比谷線=『秋葉原』駅より徒歩7分 |
社伝によると、天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。 その後、天慶の乱で活躍した平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、それが将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶2年(1309)当社に奉祀しました。 戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。 慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、当社では徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ないました。すると、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。 |
えびす様は七福神のお一人で「商売繁昌」の神様として、また魚群を岸に追い込み大漁をもたらすイルカやクジラにも例えられる海の幸を象徴する神様です。 少彦名命は、海のかなた「常世(とこよ)の国」かた来られた、小さいお姿の神様ですが、大きな「だいこく様」(一の宮・大己貴命)と力を併せて、日本の国をおつくりになり「国土開発・事業繁栄」の神様として仰がれています。また医薬の教を全国各地に広めたところから「病気平愈・健康増進」の祖神ともいわれています。 |
天平2年(730)のご壮健で江戸東京の中で最も歴史のある神社の一つです。 初めは現在の千代田区大手町・将門塚周辺に鎮座していましたが、徳川家康公が江戸に幕府を開き江戸城が拡張されたとき、江戸城から表鬼門に当たるこの地へ遷座しました。 境内には、日本初の本格的な鉄骨鉄筋コンクリート・総漆朱塗造りの御社殿(国指定登録文化財)、総檜造の隋神門、神札授与所・参拝者待合室・休憩所を兼ねた鳳凰殿、明神会館・資料館・石造日本一のサイズを誇る大黒様像・恵比須様創造・江戸国学発祥の地碑・銭形平次の碑などがあります。 |
この神社は江戸時代以前に祀られていたと伝えられる。三天王の二の宮の天王祭は、6月5日明神境内を発輿し、氏子中を神幸し大伝馬町の御仮屋へ渡御して8日に還輿していた。このことから大伝馬町天王と称されていた。この祭りは元和元年(1615)頃より行われて、江戸時代には他の天王祭と共に大変な賑わいの一つであった。今日でも大伝馬町1丁目・本町3丁目東町会の有志諫鼓会(神田祭の一番山車大伝馬町諌鼓山車より命名)の人々の篤いご信仰がある。 尚、東京の風物詩「べったら市」も神田神社兼務社日本橋宝田恵比寿神社で諫鼓会の人々により祭礼伝統文化行事として継承されている。 |
大寶2年(702)武蔵国豊嶋郡江戸の地(今の皇居内)に創建された大江戸最古の地主の神であります。古くは江戸大明神あるいは江戸の天王と称された。 鎌倉時代には、江戸氏の氏神として崇敬され、その後江戸氏が多摩郡喜多見村に移住の後、太田道灌築城してより、上杉氏・北条氏等引続き城地に祀ったが慶長8年(1603)江戸城の拡張により、神田神社と共に神田台に遷り、更に元和2年(1616)に当地に遷座された。 江戸時代中期以降は牛頭天王と称され、明治元年(1868)に須賀神社と改称、更に明治18年(1885)に江戸神社と復称された。 この神社は、江戸開府の頃幕府の食を賄う菜市が開かれその後、貞享年間(1684~)に神田多町一帯に青物商が相集い市場の形態が整った。こうした発祥の頃から市場の守護神として崇敬されてきた。 現社殿は平成元年神田市場が大田区東海の地に移転するにあたり江戸神社奉賛会の人々により今上陛下御即位大礼の記念として、大神輿を御神座として再建鎮座されました。 |
「力石」とは、一定重量の大小の円形又は楕円形の石で、村の鎮守、神社境内、会所や村境(今日の行政単位の村ではない)にあって、若者達が力試しに用いたと記録されている。 古来、わが国民間信仰では石に係る信仰は多い。石に神霊がこもる、あるいは石を依代としている神々も多い。 また、「力石」に於ける伝承の一つとして、「道切」説もあるが、「巨人伝説の大草鞋(おおわらじ)」同様と考えられる。しかしこれらは、石神等に関する伝承の変化であって、昔は、村々に疫病の侵入を防ぐための神であり、呪い等であったようである。(疫病は道を伝って来ると信じられていた。) 境内にある「力石」の由来は詳らかではないが江戸・東京の若者達の生活と娯楽の一端を知るうえで貴重な資料である。 本力石は、その銘文から文政5年(1822)12月に神田仲町2丁目の柴田四郎右衛門が持ち上げたものとされる。 |
職業は明治初期の「代言人(今の弁護士)」であったが、俳人として名を知られていた。 明治28年10月、みずから発起者となり、尾崎紅葉、岡野知十・巌谷小波・川上眉山・戸川残花らの参加を得て秋声会を組織し、翌11月俳詩「秋の声」を創刊した。明治30年6月「卯杖」を出し、後に「木太刀」と改題主宰した。 正岡子規の日本派とともに、俳句革新運動の一勢力をなした時もあった。晩年は古拝書の収集に熱中した。いま「竹冷文庫」として東京大学図書館に保管されている。 |
この神社は江戸城内吹上御苑より神田神社と共にこの地に遷座された。小舟町【貞享年間(1684~)までは小伝馬町】お仮屋を有し神輿が渡御されたことから小舟町の天王と称された。 明治以前は公命により、江戸全町域の疫病退散の為、江戸城内・北奉行所・日本橋々上に神輿を奉安し祈祷が行われた。 東都歳時記によれば、当時の天王祭は1丁目にお仮屋ができ大提灯・大注連縄が張られ、2丁目には7、8間の絹張の神門が造らその左右に隋神が置かれ長さ5丈の杉の木を植込み、鰹節の樽積みが高々と重ねられた。3丁目には須佐之男命と稲田姫の造り物、八岐大蛇の行灯、天王祭の大幟をたて神輿の神幸を待った。 後略 |
日本橋魚河岸水神社は、徳川家の武運長久と併せて大漁安全を祈願する為、魚河岸の先人により武蔵国豊嶋郡柴崎村神田神社境内(今の千代田区大手町)に鎮座された。 元和年間(1615~)神田神社と共に此の地に遷り、大市場交易神と称されその後、水神社と改称し更に明治24年(1891)魚河岸水神社と社名を変更し、日本橋魚市場の守護神として崇敬されている。なお、日本橋より築地に移った築地中央卸売市場内には、当社の遥拝所が建てられ、市場にかかわる人々の篤い信仰により支えられている。 当神社の崇敬体「魚河岸会」の所有する加茂能人形山車は、江戸城内に参内し徳川歴代将軍の上覧に浴し、再三褒賞を賜った江戸の代表的山車であったが惜しくも関東大震災により烏有に帰した。 その後、昭和30年江戸文化の一端を永く後世に遺す為、文久2年(1862)当時そのままの山車を再現した。隔年に行われる神田祭には、その絢爛豪華な山車の全容を拝観することができる。 |
銭形の平次は野村胡堂の名作「銭形平次捕物控」の主人公です。 平次の住居は、明神下の元の台所町ということになっています。 この碑は、昭和45年12月有志の作家と出版社とが発起人となり、 縁りの明神下を見下ろす地に建立されました。 石造り寛永通宝の銭形の中央には平次の碑、その右側に八五郎、 通称「がらっ八」の小さな碑がたてられました。 |
区内に残る数少ない江戸期の石造物の一つであり、当時の庶民の信仰を知る上で貴重な資料です。 『武江年表』には「文久2年(1862)11月両替屋仲間より神田社前へ、岩石を積み、石にて刻みし獅子の子落としの造り物を納む」とあり、江戸時代でも幕末期に製作されたと考えられます。 神社境内の獅子山に据えられていましたが、大正12年(1923)の関東大震災により獅子山自体は崩壊しました。その際、子獅子は、紛失したものの、親獅子二頭は、保存され、再建された獅子山に据えられました。 |
この坂を明神男坂といいます。明神石坂とも呼ばれます。「神田文化史」には天保の初年当時神田の町火消「い」「よ」「は」「萬」の4組が石坂を明神へ献納した。と男坂の由来が記されています。この坂の脇にあった大銀杏は、安房上総辺から江戸へやってくる漁船の目標になったという話や、坂からの眺目が良いため毎年1月と7月の26日に夜待ち(観月)が行われたことでも有名です。 |
昭和50年に昭和天皇御即位50年の記念事業として新たに再建されました。総檜・入母屋造。二層建て・屋根は銅板瓦棒葺。各所に配した文様は伝統的なテーマをもとにしつつ、オリジナルなデザインを使用しています。外回りには四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)、内側には「因幡の白兎」など、だいこく様の神話をモチーフにした彫刻を飾っています。また二層目に金箔をほどこした「繋馬」の彫刻を飾っていますが、この繋馬は平将門公に由来します。 平成10年の『平成の御造替事業』によって、鮮やかに塗替えました。 |
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