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No.c087 亀戸天神 梅まつり
No.c087 Kameido Tenjin Shrine
Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo29pieces/GreenSeason
♪=メイプルリーフ・ラグ/S.Joplin
◆菅原道真公
◆花園社、御嶽神社
◆紅梅殿、神牛、5歳の菅公
◆見驚梅、思いのまま、黒雲、黒田梅、呉服枝垂
◆スカイツリーから切り撮った亀戸天神
◆心字池、太鼓橋、男橋、平橋、女橋
◇天神社、天満宮
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インフォメーション
   
住所=〒136-0071 東京都江東区亀戸3-6-1
電話=03-3681-0010 FAX=03-3638-0025
御祭神=天満大神(菅原道真公)
. 天菩日命(菅吾家の祖神) |
*交通アクセス
JR総武線:亀戸駅下車 北口より徒歩15分
JR総武線:錦糸町駅下車 北口より徒歩15分
地下鉄半蔵門線:錦糸町駅下車 北口より徒歩15分
都バス:亀戸天神前下車すぐ |
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■ 見驚梅
   
亀戸天神の梅まつりに寄ってみました。
いろいろな種類の梅が300本もあるそうで、
名札を付けて咲き誇る梅の姿に 改めて、
近くに住みながら、この季節には
来てないことに気が付きました。
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アオサギ
   
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■ 思いのまま
   
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■ 黒雲
   
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女橋
   
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■ 黒田梅
   
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■ 黒田梅
   
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境内から見えたスカイツリー
   
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男橋の手前から見えたスカイツリー
   
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おまけ
2019年6月 スカイツリーから見えた
亀戸天神
   
右端に見える赤い橋が男橋
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太鼓橋 男橋
■ 呉服枝垂
   
太鼓橋
池と橋を人の一生に見立てた「三世一念の理」といって
鳥居をくぐって最初の太鼓橋(男橋)は生きてきた過去を、
次の平橋は今が見える現在を、
次の太鼓橋(女橋)は希望の未来をあらわし
3つの橋を渡ることでここらが清められ、
神前へと進みます。
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太鼓橋 男橋
■ 呉服枝垂
   
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太鼓橋 男橋
■ 呉服枝垂
   
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鳥居
   
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紅梅殿
   
菅原道真公が左遷され九州に旅立つ時、京都の紅梅殿の庭に、日頃可愛がっていたウメを見て、
「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花
あるじなしとて春なわすれぞ」
と詠った和歌は有名で、菅公が京都から九州の太宰府へ渡った時、菅公を慕って飛んで来たといわれるのが飛梅(とびうめ)で、紅梅殿はこの「飛梅」の実生(みしょう)をお祀りしたお社で、梅が香る2月25日にお祭りを執り行います。毎年太宰府から紅白の梅が奉納され、学校などの公共施設に寄贈しています。 |
| 御本社と時を同じくして 寛文2年(1662)に、太宰府天満宮の御神木「飛梅」の実生を勧請し、社殿前に奉斎したのを起源とし、昭和63年に現在地に再建されました。 |
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■ 呉服枝垂
   
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5歳の菅公
   
昭和52年の御神忌1075年大祭記念として奉納されました。
台座に道真公の5歳の時
庭前の紅梅を詠まれた 和歌が
刻まれています。
美しや 紅の色なる 梅の花
あこが顔にも つけたくぞある
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境内社 花園社
   
| 菅公(菅原道真公)の奥様で、宣来子(のぶきこ)の方と14方のお子様が祀られています。宣来子の方は、菅公と同門の学者島田忠臣の娘で、幼少のころから親しみ、生涯苦楽を共にするところでしたが、菅公左遷の折に妻子とも全国各地に別々に流された苦難の道を歩まれました。悲しみの中にも、妻として、母としての思いに変わりなく、その背景から心字池の畔に建立され、5月の第2日曜日に花園社祭を執り行い、母の日にちなみ赤い花をお供えし、御霊をお慰めしています。 |
★安産、子宝、育児、立身出世の守護神として信仰されています。
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希望の未来をあらわした
女橋から見える拝殿
   
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拝殿
   
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心字池のアオサギ
   
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神牛
   
参拝の人々が触れることにより病を治し、知恵を授かるといわれています。菅公と牛の関りはいろいろありますが、ご誕生が承和12年(845)6月25日の乙丑(きのとのうし)であることと、農耕に勤しむ牛の姿に深い慈愛の心を示され、牛の鳴き声で刺客から逃れられ、どこからともな来た白牛に危難から救われました。
また、菅公の「自分の身を京都に帰すことは願わぬ」という遺言により、ご遺体を牛車に納め、四堂(よつのどう)というところにさしかかると、牛が歩みを止めて動こうとしませんでした。
後にこの地が太宰府天満宮建立の起源と言われ、この年も丑年に当たるという御神縁があり、以来牛は天神さまの神使(みつかわしめ)として篤く信仰されています。 |
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拝殿
   
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手水舎
   
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