c279 森の美術館 櫻田精一展 & 近藤勇 陣屋跡

千葉県(Chiba-Ken)
2023/02/26 Sun.  


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森の美術館 櫻田精一展

森の美術館 櫻田精一展
~気韻生動~刻の流れをみつめて~





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No.c279 森の美術館 櫻田精一展と近藤勇 陣屋跡
No.c279 Seiichi Sakurada Exhibition & Isami Kondo Jinya Ruins

Chiba-Ken /Beautiful Japan
Photo 30 pieces/GreenSeason
♪ midi ファイルの添付は終了します
◆櫻田精一展
◆野田の地で
◆鳩と共に
◆古都奈良、ブルージュ
◆櫻田久美
◆近藤勇、陣屋跡
◆寺田園旧店舗
◇美術館、陣屋跡、国登録有形文化財
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冬の修道院


インフォメーション

所在地=〒270-0122 千葉県流山市大字大畔315
TEL/FAX=04-7136-2207
開館時間=10:00~16:00(入館15:30まで)
入館料=大人:600円/中高生:300円/小学生以下:無料
駐車場=無料7台
交通アクセス
電車 つくばエクスプレス/東武アーバンパークライン
『流山おおたかの森』駅 西口より徒歩20分
バス 東武バス『南流山』駅/クリーンセンター行き 2番のりば
『流山おおたかの森』駅西口→『大畔(おおぐろ)』下車 徒歩5分
*






櫻田精一
1910~1999

鳩をモチーフにヨーロッパや日本の風景を史上豊かに描き
日本近代美術界の礎を築いた洋画家
 櫻田精一は、20代から30代にかけての初期、日本的洋画の作家大久保作次郎や小絲源太郎に師事、戦前は文展、戦後は日展に出品し、45歳時分は自然主義写実を自己の様式として確立している。
 その作柄が目立つことになったのは、鳩の連作の時期(50~65歳)だ。鳩を飼い、鳩に凝った。鳩を通じ、絵画の抽象的な要素、面・点・線を考えていた。最良の充実期はそのあとに来る。特に70歳代が素晴らしい。ブリュージュ・奈良をモチーフに逸品を残した。いずれも余韻があって魅する。
 80代では、晩秋の沼沢地などの枯れ寂びた情景に移り、老いた心境の表現となっている。
 熊本に生まれ、朝鮮で幼少期から青年まで過ごし、東京で画家生活に入るのが28歳、その5年後、疎開したのが縁で、終の栖は野田の地になった。
 画業70年で、官展系洋画家として大成への道を歩むが、内なる美学は、若いころから愛した朝鮮の陶器に通じ、自然さ、安らぎ、温かい人間味等の美的理念を志向している。
(美術評論家 瀧 悌三)
*






坐像








クエンカの記録

こちらの作品は今後東京理科大学に寄贈されるそうです。







東大寺遠望


























樹のある広場(ボージュ)








館内の様子








運河暖日












水門(ブルージュ)





古都奈良/ブルージュ(1980~1990年代)
やや抽象を意識した時代を経て、本来の自然主義写実に戻る。
晩年は、古都奈良・ブリュージュ(ベルギー)を描き、多くの名作を残した。
櫻田精一の色ともいえるセピア調で表現された、詩情豊かな落ち着いた風景は多くの人を魅了した。





鳩と共に / 1960~1970年代











舞鳩








水仙と鳩








少年の鳩








空き箱であそぶ(50代頃)

身近なお菓子の箱などに施した彫刻







古扉と鳩













鳩紋







鳩と共に(1960~1970年代)
50代になると鳩をモチーフに多くの作品を描く。
鳩は集まって面を作る。歩くと線になる。
散らばった形は点になる。
面・線・点、心象表現を構成に活かせると
家で鳩を飼い、鳩を描き続けた。
その作風で画壇の中心人物となっていく




台風の季節









花桐の頃








朝秋








公園の一隅












冬桐



野田の地で(1940~1950年代)
熊本に生まれた櫻田精一は、戦時中疎開したのが縁で、野田にアトリエを構え作品を制作した。
庭の木々や花などを描き、自然主義写実を確立する。







今日のお供はスザナです。

この写真を撮っているときに『どちらからおいでですか?』と
女性から声を掛けられ、お話をすると
櫻田精一氏の御子様と判りました。

2018年にこの美術館に初めて来たとき
櫻田精一の長女 櫻田久美さんの絵画展を開催していました。
美術館周辺






流山歴史の街並み散策
寺田園旧店舗

寺田園旧店舗
国登録有形文化財12-0154
千葉県流山市流山 2-101-1

 寺田園が所在する江戸川沿いの流山本町大通は、江戸時代から明治時代にかけて、米などの物資か集荷された江戸川の水運業や、みりん醸造業などで栄えた。
 寺田家は流山村の草分けといわれる六軒百姓の1つで、明治30年代の町並みには「寺田茶乾物屋」とあり、昭和38年に移転するまで店舗として利用されていた。*
 旧店舗は大通りに西面して建ち、通りに唯一残る黒漆喰仕上げの土蔵造りで、本体は間口4間奥行2間、二階建て寄棟造、平入瓦葺である。
 正面側に奥行7尺の前屁、背面に奥行1間半の後屁を設け、更に1間の後設下屋が付く。
 建築年代は「所持支払簿」に見世蔵間口4間奥行5間2尺 明治22年9月立前」と記録されている。
平成23年 流山教育委員会


近藤勇陣屋跡




近藤勇 陣屋跡
新選組 局長 近藤勇、副長 土方歳三 別離の地
〒270-0164 千葉県流山市流山 2-108
『流山』駅 西口から徒歩約2分

 慶応4年(1868)元新選組局長近藤勇が陣営を敷き、ついに自首した地。近藤勇は、天保5年(1834)生まれ。文久3年(1863)2月上京。同年3月新選組を結成。慶応4年4月25日に東京板橋にて斬首。
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新選組の誕生から江戸帰還まで

 文久3年2月、多摩出身の天然理心流宗家・近藤勇は、門人の土方歳三らと上洛し、3月に同志と「京都守護職松平肥後守御預浪士組」を結成。浅葱色の羽織を着て市中見廻(治安維持)を任務とした。8月に「新選組」を拝名、9月には筆頭局長の芹澤鴨らを粛正し、近藤局長・土方副長の体制となった。翌年6月の「池田屋事件」では長州の京都放火・天皇拉致計画を未然に防いで名声を馳せた。
 慶応3年6月、黒羽織・黒袴で活動した主要隊士は、幕府直参の武士の身分となったが、「大政奉還」や「王政復古の大号令」を経て、官賊の立場は逆転した。
 慶応4年1月の鳥羽伏見戦争で、旧幕府軍(会津・桑名・新選組など)は薩長軍に敗走して江戸へ戻った。近藤は甲陽鎮撫隊を組織して、3月1日に甲府入城を目指し出立したが、甲州柏尾坂で新政府軍の攻撃を受けて敗走した。

流山での新選組とその後
 3月中旬に永倉新八や原田左之助らが脱退し、六十余名となった新選組は、五兵衛新田(足立区西綾瀬)の金子邸に屯集、歩兵などを取り込み下総鎮撫隊を組織して、4月1日夜に二百数十名が流山へ転陣した。
 「丹後の渡し」から流山に入った下総鎮撫隊は、醸造家の永岡三郎兵衛方を本陣とし、光明院などに分宿した。情報を得た新政府軍が3日に「羽口の渡し」から急襲し銃撃を交えたが、本陣は包囲された。大久保大和(近藤勇の改名)は切腹を決意したが、内藤隼人(土方歳三の改名)は近藤の改名が知られていないことを利用し、徳川家の鎮撫隊を主張して説破するよう勧めた。
 大久保は出頭して「矢河原の渡し」から流山を去り、事情説明のため越谷宿(埼玉県越谷市)に赴いたが、新政府軍により板橋宿へ連行され、大久保が近藤勇であると露見し捕らえられた。
 土方は江戸で勝海舟らに救出工作を試みるが、近藤は4月25日に板橋宿で処刑、梟首された。残された新選組本体は流山を脱出し、会津を経て函館戦争で降伏、土方も戦死した。
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人が手を加えて命を終わらせる・・・戦争は何も解決しないと思います。





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美術館パンフレット、陣屋跡の貼り紙等を参考にしました。


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今日もお出で頂きありがとうございました。
よろしかったら 次回もお付き合いください!


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