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No.c302 熊谷守一美術館と二女:榧の作品
No.c302 Morikazu Kumagai art museum & the work of the second daughter,
Kaya.
Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo 29 pieces/GreenSeason
◆豊島区立 熊谷守一美術館
◆白猫
◆蟻
◆二女:熊谷 榧
◆企画展 「守一最後の十日間」
◆ギャラリー榧、Café Kaya
◇区立美術館
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ページラスト
美術館の壁面
インフォメーション
所在地=〒171-0044 東京都豊島区千早2-27-6
TEL=03-3957-3779
開館時間=10:30~17:30(入館は閉館の30分前まで)
休館日=毎週月曜日(祝祭日問わず)。年末年始:12/25~1/7
. 展示替えのための臨時休館あり。
観覧料=一般:500円」(企画展は特別料金)/高・大学生:300円
. /小・中学生:100円、小学生未満:無料
無料駐車場=1台あり
交通アクセス
東京メトロ有楽町線・副都心線『要町』駅1・2番出口より徒歩9分
東京メトロ有楽町線・副都心線『千川』駅3番出口より徒歩9分
西武池袋線『椎名町』駅、北口より徒歩13分
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3階建て かまぼこ型屋根
Cafe Kaya
Cafe Kaya の 窓際の展示スペース
上:熊谷守一のレリーフ
守一の数少ない心友の一人だった、
二紀会の松村外次郎さんが守の死を悼んで作ったもの
いねむるもり
熊谷守一のこと
美術館創立者 熊谷榧(1929~2022)
明治維新たかだか10余年後の明治13年に生まれた熊谷守一は、97歳で亡くなるまで、他の真似をせず、時流に流されず、独自の絵を探求し続けました。いい絵を描いて褒められたい、有名になりたい、偉くなりたいという世俗的な欲望は全くなかったようです。守一の絵に対する誠実さは、生涯変わらないものでした。
熊谷守一の絵は、長い戦争の時代を挟んで、大きく2つに分けられます。初期の絵は、東京美術学校で学んだアケデミックな技法に基づいて描かれています。東京美術学校を出てしばらくの後、一度は故郷に戻りますが、35歳(1915年)で再上京しました。当時は「風」(1917年)や「某婦人像」(1918年)など、落ち着いた色合いのアカデミックな作風でした。その後「百合」(1931年)のように、筆致の荒いフォーヴ調の作品も描くようになりますが、たまに描き上げた絵はほとんど売れず、友人らの援助で生きながらえました。1945年に太平洋戦争が終わるまで生活は困窮し、5人の子供のうち3人を失います。絵のことだけを考えられる状態では到底ありませんでした。
戦後はよき理解者やコレクターに恵まれます。次第に家のくらしも安定し、絵もコンスタントに仕上がるようになります。この頃、二科の研究生らと度々、全国各地に写生旅行へ出かけました。「山道」(1949年)「縁側」(1949年、「桃」(1951年)、「野天風呂」(1952年)、「冬の海」(1953年)、「上げ潮」(1956年)など1950年代の風景画はそれぞれ技法を変えており試行錯誤がうかがえます。この頃から徐々に、画面上で色を重ねたり、混ぜたりせず、単色で描くようになります。1960年代以降の油絵は、描く対象をはっきりとした線で表し、色面は筆眼を揃えた平塗になりました。守一は70歳を過ぎてようやく独自の画風にたどり着きました。 ※後略
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1F Café Kaya
<花と牛たち> 熊谷榧:作
3F 企画展示・貸しギャラリー
『守一最後の十日間』
熊谷 榧 ギャラリー
3F ギャラリー榧
本店会期中にこの3F 内に限り、展示品の写真撮影が可能です。
※ 第1・2展示室での撮影はできません。
SNSなどの個人アカウントで発信もOK。
フラッシュ、三脚は使用できません。
撮影した写真の営利目的使用はできません。
写真に他の観覧者が映らないよう注意する。
撮影音をなどを可能な限りOFFにする。などを
いくつかルールがありますが、展示品の撮影が可能でした。
豊島区立 熊谷守一美術館
3F ギャラリー企画展
『守一最後の十日間』
熊谷守一美術館 併設 3Fギャラリーでは、毎夏8月1日の守一の命日を挟んで『守一最後の十日間』展を開催しています。展示作品は、熊谷守一の二女・熊谷榧(くまがい かや)が1978年3月2日から3月11日に東京/銀座の四季画廊で発表したものと、所在が不明のため2014年に新たに描き直した作品です。生前の写真も併せて展示します。
作品を発表した当時も、臨終の父親を描いた作品は、周囲の方をちょっと驚かせたかもしれません。守一は、家族に見守られ、自宅で静かに息を引き取ります。生前言い残した「俺が死んでもメソメソするな」という言葉の通り、榧は守一の没後約6ヶ月というはやさで油絵の連作を描き上げました。
熊谷守一が終の棲家としたこの地で、今夏も故人を偲び開催いたします。
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部屋の片隅で
酸素吸入するモリ
仏前の花
看取る人たち
モリの死んだ朝
愛用のイーゼル
展示作品
モリカズと榧
榧さんの作品を「選別」する守一
お供はスザナです。
各 パンフレット・冊子
3F踊り場の作品
<父と子> 熊谷榧
<座 Cat> 長島伸夫:作
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<白釉のフェフェテオトル(火の老人)>熊谷榧:作
趣味のチェロを弾く 熊谷守一
1Fの展示室にこのチェロが展示されていました。
1F Caffe 榧
左:<しゃくなげの木下のレンチタイム>熊谷榧:作
右:<ストーンヘンジ>熊谷榧:作
窓
Café Kaya の窓際の展示物
絵葉書の棚