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No.c309 河鍋暁斎美術館と蕨歴史民俗資料館
No.c309 Kawanabe Kyousai art museum & Warabi City History & Folklore
museum
Saitama-Ken /Beautiful Japan
Photo 27 pieces/GreenSeason
◆河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)記念美術館
◆河鍋暁翠(かわなべ きょうすい)
◆かえる友の会
◆蕨市立歴史民俗資料館
◆織物のまち蕨
◆蕨宿の世界
◆蕨の学校教育
◇美術館、歴史民俗資料館
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ページラスト
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インフォメーション
所在地=〒335-0003 埼玉県蕨市南町 4-36-4
開館時間=10:00~16:00
休館日=火・木曜日、毎月26日~末日、年末年始
電話=048-441-9780 / FAX=048-445-3755
駐車場=数台あり(無料)
入館料
企画展
特別展開催時
一般
500円
600円
大学・高校・中学生
400円
500円
小学生以下
200円
300円
美術館友の会
無料
無料
かえる友の会
400円
500円
(かえる展) 400円
20名以上(要予約)
1名 400円
1名 500円
交通アクセス
JR「西川口」駅 西口より徒歩20分
. 西口バス乗り場「西川64」~『南ポンプ場』下車3分
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暁翠展が開催されている、河鍋暁斎記念美術館を訪問しました。
館内は撮影不可で、画像はありません。
今日のお供はロザンナです。
河鍋暁翠(かわなべ きょうすい)展(1868~1935)
河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)の娘で、17歳の時には、第2回内国絵画共進会に出品するまでの実力を備えていました。そして22歳の時に、父と死別します。その後も明治20年代にはいくつかの展覧会に出品し、その彩色を評価されました。明治30年代後半には、草創期の女子美術学校(現在の女子美術大学)教師を務めました。この間、明治40年代までは錦絵や挿絵本も出版するなど、画家として幅広い活動を繰り広げていました。
しかし、娘の誕生後は展覧会活動等は少なくなり、良家の子女や画道に関心を持つ人の個人教授が、活動の主体なり、1935年出稽古先で脳溢血となり帰らぬ人となりました。
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庭石の蛙
中庭
隣接する建物。河鍋暁斎のグッズ、資料、カフェ
店内の様子
店内の様子
店内の様子
店内の様子
蕨市立歴史民俗資料館 分館・本館
閉館時間で入れず外観の写真のみ
分館は、明治時代に織物の買い継をしていた家をそのまま利用したものです。敷地は、516坪(1.705㎡)あり、建物は床面積95坪(313㎡)の木造平屋、寄棟造で、中山道に面した店の部分は明治20年に作られたものです。
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中山道のマンホールの蓋
蕨市立 歴史民俗博物館 本館に隣接した
蕨本陣跡(蕨市指定文化財)
蕨宿は江戸時代に中山道第二の宿駅として栄えたところである。
慶長11年(1606)蕨城主渋川公の将佐渡守岡田正信の子息 正吉が初めて蕨宿本陣問屋名主の三役を兼ねたと伝えられる。
その後その役は子孫に受け継がれ明治維新まで続いた。
蕨本陣の建物は今は同家に残る本陣絵図面などによって知る他はないが公家大名などが休泊し文久元年(1861)皇女和宮が御降嫁の折には御休息の場となり、ついで明治元年(1868)同3年には明治天皇の大宮氷川神社御親拝の際の御小休所となった。
現在、岡田家には古分書古記録歴史的遺品など我が国近世交通史の研究に重要な資料が多数保存されている。
-蕨市教育委員会-
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本館はまだ見学できました。
暁斎は鶯谷駅近くに住んでいましたが、
1944年に強制疎開で蕨市移り住みました。
ということで
資料館に撮影可能の作品が展示されていました。
猪に乗る蛙 / 河鍋暁斎
数え3歳の暁斎が母に連れられて、上州館林の親戚を訪れた際、初めて写生したのが蛙であった。それ以来、暁斎は数多くの作品に蛙を描いている。
本作品は、猪にまたがる蛙を描いた錦絵である。
コウモリが先導し、バッタとカマキリが猪を囲んでともに駆けて行く様が描かれている。
『曽我物語』に登場する新田四郎が、大猪を退治した「富士の巻狩」を基にした戯画とされており、、うちわのための錦絵である。
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文読む美人 / 河鍋暁斎
闘鶏図を描いた大胆な小袖に名護屋帯、唐輪髷を高く結い上げ、左手を懐手して文を読む女性。近世初期風俗の立ち美人図で、怜悧な表情が暁斎らしい作品である。暁斎の娘の日本画家・暁翠によって、明治21年(1888)に描かれた吉原の行燈(あんどん)絵と鑑定されており、河鍋家に下絵が伝わっている。
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蕨市立歴史民俗資料館 インフォメーション
所在地=〒335-0004 埼玉県蕨市中央 5-17-22
開館時間=9:00~16:30
休館日=月曜日、祝日、年末年始
電話=048-432-2477
入館料=無料
駐車場=なし
交通アクセス
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大和美人図屏風 / 河鍋暁斎
河鍋暁斎(1831~1889)
天保2年(1831)、現在の茨城県古河市に藩士・河鍋記右衛門の次男として誕生。数え2歳で一家は江戸へ出て、暁斎は7歳で浮世絵師の歌川国芳に、10歳から狩野派で修業し、19歳の若さで「洞郁陳之(とういくのりゆき)の画号を授かります。その後もあらゆる画法を身に着けた暁斎は、肉筆画をはじめ錦絵や挿絵など分野を問わず、多くの作品を世に送り出し、「描けぬもののない絵師」として人気を博しました。
明治14年(1881)には、第二回内国勧業博覧会に出品した<枯木寒鴉図>が、日本画の最高賞・妙技二等賞牌を受賞するとともに、英国人建築家のジョサイア・コンドルも入門するなど晩年まで活躍し明治22年(1889)59歳、病気で亡くなりました。
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蕨の学校教育
江戸時代の寺子屋に関する資料や、
蕨の近代学校教育の歩みを紹介しています。
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織物のまち蕨
江戸時代末期から塚越村では錦織物業が盛んになり、「二夕子織(後の双子織)」に代表される縞柄の織物は、品質の良さから江戸(東京)で評判となりました。
このコーナーでは、蕨の綿織物業の祖である高橋新五郎に関する資料や、織機・道具類などを紹介しています。
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蕨宿に関する古文書や実物資料を紹介しています。
蕨宿の歴史を知る上で大変重要なものです。
関 札
左:成瀬隼人正室宿
中:酒井下野守奥方 昼休
右:遊行上人休
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本陣に休泊する大名小野名前を掲げる札のことで、宿札ともいう。木製と奉書(紙)製のものがある。
事前に大名の家臣等から席札を受け取り、宿場の出入口や本陣の門前に掲げて到着する大名を出迎えた。
関札は、休泊者側で用意するため、原則として敬称はつけられていない。
休泊後、関札は本陣へ下付されるため、加兵衛本陣にも数多くの関札が残されている。
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蕨宿本陣家に伝わる旅道具 江戸時代
左上より
矢立
手鏡
方位磁石
道中守り本尊
小銭入れ
小物入れ
小田原提灯
ろうそく入れ
木曽街道六十九次【復刻版】
蕨之驛 戸田川渡場
板橋宿と蕨宿の間にある、戸田川(荒川)の渡し場を描いた錦絵。
旅人や馬を乗せた船が、穏やかな川面を渡る様子が描かれている。戸田川は反乱の多い川であったため、橋ではなく船を使って対岸へ移動していた。
蕨宿に2軒の本陣があった理由も、川の氾濫に備えるためであったと推測されている。
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蕨宿のジオラマ
蕨宿は、江戸日本橋から2つ目の宿場町で、本陣が2軒、脇本陣1軒が設置されました。町並みの長さは約 1,090m、天保14年(1843)の人口は2,223人、旅籠が23軒あり、宿場の周囲には用水路が巡らされています。
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蕨宿本陣上段の間
大名や貴人が宿泊する部屋です。
蕨宿本陣加兵衛家に残る絵図面を参考に、復元した上段の間。
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商家
宿場は、旅人の休泊や人馬の継立を行うことを主な目的としていましたが、、それとともに周辺の農村でつくられた産物など、物資の集散する所でもあり、消費地でもありました。
宿場には、街道を挟み商家が軒を連ね、人々の往来が絶えず、賑わいを見せていました。
文久元年(1861)の「蕨宿町並図」によると、蕨宿には青物・穀物・菓子・油・荒物・材木といった様々なものを商う店があったことがわかります。
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旅籠
旅籠の食事
升屋平右衛門山片重芳の文化10年(1813)仙台下向日記より
中山道桶川宿の夕食献立を再現
汁(菜)
皿(卵)
平(いも、こんにゃく、揚げ豆腐、菜、椎茸)