c320 ポールラッシュ記念館と清泉寮他

山梨県(Yamanashi -Ken)
2023/11/12 Sun.  


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ポールラッシュ記念館と清泉寮他

聖ヨハネ保育園 清里聖アンデレ教会 清泉寮他


聖ヨハネ保育園



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No.c320 ポールラッシュ記念館と清泉寮他
No.c320 Paul Rusch Memorial Museum & Seisen Dormitory, etc.

Yamanashi-Ken /Beautiful Japan
Photo 26 pieces/GreenSeason
◆ポール・ラッシュ博士
◆澤田美喜
◆清里聖ヨハネ保育園
◆清里聖アンデレ教会
◆ジャージーハット
◆清泉寮、アンデレクロス
◆公益財団法人キープ協会
◇記念館、協会、レストラン、宿泊施設
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清里聖アンデレ教会


戦後、清里の精神的な支柱となったアンデレ教会

 1948(昭和23)年に奉献され、地域の福音伝道の拠点施設として信仰の中核を占めました。
 素朴ながら荘厳な石づくりの聖堂は、川俣渓谷から運び上げられた清里開拓のシンボルです。
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ヤギ




公益財団法人キープ協会 清泉寮 インフォメーション

所在地=〒407-0301 山梨県北斗市高根町清里 3545
TEL=0551-48-2111 FAX=0551-48-2099
交通アクセス
JR小海線『清里』駅よりピクニックバス→『清泉寮ジャージー牧場前』停留所下車
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清泉寮ジャージー牧場








清泉寮ジャージーハットから見えた
雲をかぶった富士山








ポール・ラッシュ博士








X 清泉寮 本館

 清泉寮は、「清里開拓の父」と呼ばれているアメリカ人ポール・ラッシュ博士により 1938 (昭和13)年に建てられました。清泉寮の建物を見上げた時に目に飛び込んでくる大きなXは 「アンデレクロス」という十字架です。イエス・キリストの弟子 聖アンデレが殉教する際に、キリストと同じ十字架では恐れ多いと、斜めに立てた十字架にかけられたことから、アンデレクロス(聖アンデレの十字架)と呼ばれています。ポール・ラッシュは青少年の育成のために聖徒アンデレ同胞会日本支部を組織し、その訓練キャンプ場として清泉寮を建てたのです。そのため、当初から清泉寮にはアンデレクロスが大きく掲げられています。戦後、日本の荒廃した農村の悲惨さを目の当たりにしたポール・ラッシュは、その復興とキリスト教に基づく民主主義を普及させることを目指し、新しいモデル農村コミュニティづくりに着手しました。清泉寮はその中心施設として、周囲に教会や農場や診療所などが、北米を中心とした市民の寄付によって次々に建設されていきました。1956 (昭和31)年には財団法人キープ協会(現 公益財団法人キープ協会)を設立し、「食糧」「保健」「信仰」「青年への希望」という 4つの理想を掲げ、様々な活動をスタートさせました。長い歳月を経た現在、清泉寮は研修施設として、どなたでもご利用いただける宿泊施設であり、またレストランやショップを備えた観光の拠点として公益財団法人キープ協会により運営されています。
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キープ=Kiyosato Esucational Experiment Project(清里教育実験計画)
頭文字が公益財団法人キープ協会の名前の由来です。






赤毛のアン ショップ
売店 Anne of Kiyosato






ポール・ラッシュ記念館




ポール・ラッシュ記念館

『清里開拓の父』と呼ばれ、戦後の日本農村を民主的復興に導いたポール・ラッシュ博士の功績と精神を紹介する博物館
インフォメーション

所在地=
電話= 0551-48-5330
営業時間=10:~17:00(最終入館16:30)
料金(飲み物付)=大人:500円 / 小中学生:200円
 ※清泉寮内の他施設のレシート提示で入場料が半額
木曜日は団体専用開館日(祝日は通常会館)
館内撮影可能な場所以外は 撮影できません。






撮影可能
キープ協会 第1号トラクター
「ジョンディアーB」

 清里を食糧の生産地とするというポール・ラッシュの計画に共鳴した米国アイオワ州在住のラッセル・ラムソン氏から1952年に贈られたものである。
  清里農村センターとして位置づけられ、徐々に開墾されて面積を増していった牧草地に、大型農機具を引くジョンディアトラクター特有の音を響き渡らせただけでなく、清里駅から清泉寮までの運搬車としても用いられた。さらに、清里農業学校で農業実務の教材ともなった。
 この一台のトラクターが、世界有数の農機具メーカー「ジョンディア社」との縁を結び、会長ウィリアム・ヒューイット氏から多くのトラクターと農機具を贈られ、八ヶ岳南麓が大規模農業生地としての先駆けとなったのである。
 1960年代になって、農機具としての使命を終えて、原型を留めないぐらいに破損していたこの「ジョンディアーB」は、清里の篤志家の手元に置かれ、米国のジョンディア社の修理工場に運ばれて半世紀前の姿に復元された。
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アメリカンフットボールの父

 ラッシュのもとには、日系二世の学生たちも集まり、彼らの多くは、外見は日本人でも言語と内面は米国人のため、日本での学生生活に様々な問題を抱えていました。
 ラッシュは、こうした二世学生たちのために、彼らが慣れ親しんでいるアメリカンフットボールを取り入れました。明治大学の松本瀧蔵らと共に、1934(昭和9)年11月29日、二世学生を中心とする立教大学・明治大学・早稲田大学の学生チーム対、Yokohama Country Athletic club の外国人チームによる、日本初の公開試合を開催しました。 
 そして同年には、東京学生連盟を発足させ、翌35(昭和10)年には慶応義塾大学と法政大学、41(昭和16)年には日本大学が加入するなど、日本に置いたアメリカンフットボールを普及させました。
 戦後も、アメリカンフットボールの復興・再建に尽くしたラッシュは、1964(昭和39)年9月、その功績が称えられ、「日本のアメリカンフットボールの父」の称号を得ました。
-立教学院展示会発行『我が人生、日本の青年に捧ぐより引用-
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デッキを渡りポール・ラッシュの自宅へ








併設された、ポール・ラッシュ邸は撮影可能です。


 飾り棚 Art is Alive








執務室








執務室








食堂








日本に希望を灯したふたり
~澤田美喜とポール・ラッシュ 響きあう心~

『我、山に向かいて目をあげん、我が助はいずこより来るか』
詩篇 121篇1節

 米国ケンタッキー州出身。関東大震災で崩壊した東京と横浜のYMCA再建のため1925(対象14)年に国際YMCAから派遣され28歳で初来日しました。東京・聖路加国際病院建設の募金活動、日本聖徒アンデレ同朋会の設立など多くの社会事業、学生スポーツ等に尽力し、青少年訓練清泉寮キャンプ場として1938(昭和13)年に山梨県の清里高原に「清泉寮」を建設。
 日米開戦により強制送還された後は米国陸軍日本語学校で日系2世兵の指導に当たり、終戦後はGHQ将校として戦禍で疲弊したの本社会の再建活動に取り組みました。
 82歳で亡くなるまで「青年への希望」を掲げ、生涯を日本の社会事業に捧げたのです。“ Do your best and it must be first class ” は、無償の奉仕で社会事業に取り組んだ際の心構えであり、また日本の若者に残した言葉として有名です。
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日本に希望を灯したふたり
~澤田美喜とポール・ラッシュ 響きあう心~

『喜ぶ人とともに喜び、泣く人と共に泣きなさい』
ローマの信徒への手紙12章15節

 三菱財閥・岩崎家に生まれ、後に初代国連大使となる外交官・澤田廉三と結婚した澤田美喜は、終戦後、進駐軍兵士と日本人女性との間に生まれ、孤児となった子供たちの救済を決意しました。私財をなげうって資金集めに奔走し、苦心の末に政府に物納した大磯・岩崎別邸を買い戻した美喜は、1948(昭和23)年、エリザベス・サンダーホームを開設しました。その後2つ目の事業として、ホームの子供たちが通う学校「聖ステパノ学園」の設立、3つ目の事業として「隠れキリシタンの遺物記念館・澤田美喜記念館」の創設という文化事業も手がけました。多くの子供たちを育て上げ、社会に送り出した功績は、やがて世界の人々も知るところとなり、多くの称賛の声が寄せられるようになり、没後、大磯町名誉町民賞も頂きました。
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2019年大磯散策で訪問した澤田美喜記念館周辺はこちら






書斎

 机の上にあるタイプライターで、博士はアメリカの支援者達に、キープへの協力を訴える手紙を打ち続けました。
 この部屋に飾られている多くの写真は、博士の要請に応えて寄付を送り続けたり、日本国内にあってキープの事業を支え続けた、いわば博士のよき理解者たちの写真です。
 本棚にある蔵書は 800 冊近くに及び、その大半は洋書です。これらのうち多くは寄贈された物で、そのジャンルの広さからも、博士の親交の幅広さが伺えます。
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キープ=Kiyosato Esucational Experiment Project(清里教育実験計画)
頭文字が公益財団法人キープ協会の名前の由来です。
キープ協会は八ヶ岳南麓に、約240ヘクタール(約東京ドーム50個分)の敷地を持つ公益財団法人であり「清里の父」と呼ばれている米国人のポール・ラッシュによって1938(昭和13)年に建てられたキリスト教指導者研修施設の『清泉寮』を母体とする団体です。
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寝室

 博士は晩年、心臓病を患い、ペースメーカーを胸に植え込んでの闘病生活を送りました。
 この寝室にある仙台タンスの引き出しの中には、博士の遺品が残されています。めがねや腕時計、入れ歯などの遺品に混じって聴診器など闘病生活を偲ばせる品も保管されていました。
 博士は、1979年の暮れに病状が悪化したため、東京の聖路加国際病院に入院しましたが、この寝室には戻ることなく数日後の12月12日に永眠しました。
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寝室

ドレッサー、ウオーキングマシン、仙台タンス







飾り棚 芸術は生きている








←ポールと美喜の軌跡
澤田美喜コレクション→








居間/応接間










お供は スザナです。


ポール・ラッシュと澤田美喜が
戦後日本に希望を灯したことがわかりました。







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お気づきのこと等がございましたら
ご一報ください。→:こちら!
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多くの冊子、立札を参考にしました。


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今日もお出で頂きありがとうございました。
よろしかったら 次回もお付き合いください!


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