お供は、スザナです。
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No.c404 特別史跡 加曽利貝塚
No.c404 Special historical site KASORI shell heap
Chiba-Ken /Beautiful Japan
Photo 30 pieces/GreenSeason
◆貝層断面観覧施設
◆竪穴住居跡群観覧施設
◆博物館
◆復元集落
◆縄文遺跡公園
◆特別史跡 加曽利貝塚
◇博物館、公園
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ページラスト
加曽利貝塚博物館 インフォメーション
所在地=〒264-0028 千葉県千葉市若葉区桜木 8-33-1
TEL= 043-231-0129/FAX=043-231-4986
開館時間= 9:00~17:00(入館は16:30まで)
入館料=無料
休館日=月曜日(月曜日が祝日の場合翌日)(12/29~1/3)
無料駐車場=80台
交通アクセス
京成バス
JR「千葉」駅東口9番のり場 京成バス
千02「御成大車庫」行き、または つ02「都賀」駅行き⇒『桜木町』バス停下車⇒徒歩約15分
モノレール
「千葉」駅 千城台方面行き⇒『桜木』駅下車⇒
徒歩約15分
車
京葉道路 貝塚IC(下り出口)⇒約7分
京葉道路 松ケ丘IC(上り出口)⇒約12分
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特別史跡 加曽利貝塚 案内マップ
1.貝層断面観覧施設
2.竪穴住居跡群観覧施設
3.博物館
4.復元集落
1~4の順に見学しました。
特別史跡 加曽利貝塚
加曽利貝塚は、縄文時代の時期の異なる二つの貝塚が隣接して一つの大きな貝塚となっています。
貝の分布範囲が、直径約140mで環状になる中期(約5,000年前)の北貝塚と、長径約190mで、馬蹄形の後期(約4,000年前)の南貝塚です。これらを上空から見た場合、貝の分布が数字の
“8”のように見える日本最大級の貝塚です。
この場所には早期(約12,000年前)からヒトが暮らし始めたようですが、貝塚は約 5,000~3,000年前の約2,000年の間、繰り返しムラが作られ続けた中で貝が積み上げられたことでできた文化遺産です。
平成29年度からの調査によって、房総半島の人口が減少する晩期(約3,000年前)まで地域の拠点的なムラ(集落)が営まれていたことがわかりました。
平成29年10月3日に、遺跡の中における国宝に相当する『特別史蹟』に県内で初めて指定されました。
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貝層断面観覧施設
この施設は貝塚の重要性を広く一般に知ってもらえるよう発掘調査当時のようすを保存科学の技術を用いて、1968(昭和43)年から公開しています。
高さ2mを超える貝層から、貝塚の形成過程がよくわかります。
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入りましょう。
階段を降りると貝の種類の違う地層が目の前に見えます。
1.表土層
2.イボキサゴ純貝層
3ハマグリ純貝層
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目の前に見える貝塚
貝塚ってなに?
昔の人が、食べた貝の殻を、積み上げた場所のことです。
千葉市には縄文時代の貝塚が約120ヶ所もあり、全国で一番貝塚が多いまちです。
貝層を見ると貝殻の他に使わなくなった土器や石器、魚や動物の骨、埋葬された縄文人の骨なども見つかります。
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竪穴住居跡群観覧施設
竪穴住居跡群観覧施設
建物入口に貼ってあったこの施設の説明
北貝塚竪穴住居跡群観覧施設
この施設は貝塚の重要性を広く一般に知ってもらえるよう、発掘調査当時のようすを保存科学の技術を用いて、1968(昭和43)から公開しています。
貝層の下からは竪穴住居がいくつも重なって発見されました。
北貝塚住居跡群観覧施設1
加曽利貝塚が破壊の危機にあった1962(昭和37)年、この地点の発掘により、縄文時代中期(約5,000年前)のムラのあとや埋葬人骨、生活を物語る多量の遺物が発見されたことで加曽利貝塚の名は一般に広く知られ、遺跡を保存する声が高まるきっかけとなりました。
ここでは縄文時代の竪穴住居跡や土坑、それを覆う貝層の断面等を発掘当時のまま保存管理し、通常は見ることのできない地下の遺跡の様子を観覧することができます。
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この施設では、竪穴住居跡等の遺構をできるだけ発掘された当時のままの、自然の状態で保存・公開しているため、地表面の乾燥や地下からの水分の影響により、コケやカビが発生しやすくなっています。その対策として、科学的な手法を用いた実験をするなど、遺構に適した保存環境を維持・管理することを目的とした様々な研究をしています。
加曽利貝塚ではこのような試みを、全国に先駆けて50年以上前から進めています。
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ガラスに書かれていた説明
竪穴住居の柱や屋根材などは、建て替えで抜き取られたり、土の中で分解されるため、発掘で見つかることはめったにありません。そのため柱穴の大きさや深さから、柱の位置や高さなどを推定し、住居の構造を復元していきます。
※ 加曽利貝塚では復元した竪穴住居を公開しています。
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縄文遺跡公園
コブシの花
こぶしとハクモクレン、迷いますが、この木は「コブシ」の名札がありました。
E地点と加曽利 E 式土器
左上から、
加曽利 EⅠ式、加曽利 EⅡ式、加曽利 EⅢ式、加曽利 EⅣ式
大正11(1922)年、大山柏氏は加曽利貝塚を測量し、全体を4地区に分けA-B-C-D地点と名付けました。
大正13(1924)年には東京帝国大学人類学教室が B・D 地点と新たに北貝塚東部を E 地点と名付けて発掘しました。その結果、E 地点で厚手の土器が、B 地点の貝層からは薄手の土器、貝層下土層からは E 地点と同類の土器が、発見されました。
この層位的事実から、地点名を採って加曽利 E 式が加曽利 B 式より古い土器とわかりました。
説明板の背後が E 地点の発掘地と想定されます。
加曽利 E 式土器の特徴
加曽利 E 式は、関東地方の縄文時代中期後葉(約4900~4500年前)に位置づけられた土器の型式名で、昭和3(1928)年に公表されました。
その代表的な土器は、筒状の胴部から口縁部に向けて広がる深鉢型で、これに対して文様帯は口縁部と胴部に分かれ、口縁部は渦巻、胴部は拠紐(よりいと)を縦方向に転がす縄文が特徴的です。やがて胴部の沈線間の縄文の磨り消しが発達し、さらに口縁部文様帯の衰退と胴部文様帯との一本化が進みます。いわば簡素な装飾が良いと考えられた土器群といえます。
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加曽利貝塚博物館
加曽利貝塚博物館
ようこそ加曽利貝塚博物館へ
当館は1966(昭和41)年に開館した、加曽利貝塚をはじめとする千葉市内外の貝塚や縄文時代について学べる施設です。
今日までの度重なる発掘調査で出土した様々な出土品のほか、貝塚の特徴や貝塚研究の歴史、加曽利貝塚が日本考古学に与えた功績などについて紹介しています。
公園内にある関連施設とあわせてごらんください。
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多くの展示物がありましたが、スペースの都合上、興味を持った数点の展示物の写真に限らせてもらいます。
東京湾に密集する
縄文時代の貝塚は、日本全国に分布し、約 1,500ヶ所を数える。おもに島原湾、伊勢湾、東京湾、松島湾などの太平洋沿岸に発達し、なぜか日本海沿岸には極めて少ない
なかでも関東地方には、約1,000箇所が密集し、とくに東京湾沿岸には約600ヶ所が密集している。しかも、この地方には大型貝塚を伴う遺跡が最も数多く分布しているので、当時いかに東京湾沿岸でしきりに貝が採られていたかがよくわかるであろう。
様々な形の縄文土器
深鉢
縄文時代中期 (加曽利 EⅣ式)
南貝塚3区 Ⅰトレンチ出土
縄文時代中期後半(約 5,000年前)の関東地方に広く分布する土器型式です。
深鉢形を主体とし、丸みのある口縁部とくびれた頚部、そしてふくらみをもった胴部からなる曲線美が特徴的です。特に胴部の膨らみは時期を経るにつれて明瞭になるため、底部の不安定さが目立つようになります。
器形はバラエティが少なく、深鉢と浅鉢に限定されます。過度な装飾表現はせず、隆帯と沈線による比較的簡素な文様が特徴です。
形や文様により細分され、EⅠ~EⅣ式に分類するのが一般的です。
土製品
加曽利貝塚からは、赤く塗られた土製の耳飾りがこれまでに10点出土しており、この多くが径1~2cmの小型のものに見られます。
左:耳飾り(臼形)紅く彩色されたもの
右上:耳飾り(滑車型)
右中:耳飾り(鼓形)
右下:耳飾り(臼形)
縄文人のアクセサリー装着例
加曽利貝塚から見つかった貝の種類
千葉市以南では、イボキサゴとハマグリでほぼ構成されますが、イボキサゴが9割を占めます。
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昭和天皇・香淳皇后
ご視察のようす
保存に向けて大きく動き始めた昭和40(1965)年5月20日、当時の皇太子殿下(現在の上皇様)が加曽利貝塚をご視察になられました、殿下は昭和22(1947)年に学習院中等科の荒屋敷貝塚(若葉区貝塚町)発掘にご参加になられたこともあり、まだトレンチの残る貝塚を興味深くご覧になられました。
昭和48(1973)年10月13日には千葉県で開催された第28回国民体育大会秋季大会の開会式へのご臨席に合わせ、昭和天皇・香淳皇后がご来館になられました。
同年10月27日には当時の皇太子殿下(現在の上皇様)も皇太子妃殿下(現在の上皇后様)とともに第9回全国身体障がい者スポーツ大会の開会式にご臨席された後、再びご来館になられています。
現在の天皇陛下も学習院大学で学ばれていた昭55(1980)年9月7日にご来館になられました。
(2025年現在)
復元集落
復元集落
縄文時代中期の竪穴住居跡
1971年~1972年(昭和46~47)の調査の結果、かつては貝塚の下だけに存在したと考えられていた縄文時代中期の竪穴住居跡が、北貝塚から約200m南東に離れたこの付近で10軒発見されました。
そのうちの2軒では、竪穴住居が使われなくなった後に貝層(住居内貝層)がつくられました。中期の大型貝塚がなくなったあとから後期の大型貝塚が形成される前の期間にも、集落形成が続いていたことがわかります。ここでは中期の竪穴住居を復元しています。
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復元集落
入口の貼り紙
ただ今の時間、安全管理のため、内部の
公開を一時的に閉鎖しています。
私たちがこらにたどりついた時、ちょうど閉館時間近くなり、管理の方が施錠をした所で、私たちに気付いて、「中を見ますか?」と声をかけてくださり、『できれば見たいです』と答えると、そのカギを開けて室内に入れてくださいました。急いで数枚写真を撮らせて頂きました。
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復元集落の室内
復元住居
縄文時代のトイレについて
ガイドをされている博物館員の方の次のようなコメントが展示物に添えられていました。
『ガイド活動を続けていると、貝塚の時代のトイレはどこ?と、よくきかれます。残念ながら、今のところ全く分かっていません。
一方、発掘調査が進み、トイレ遺構が確認された日本を代表する縄文遺跡もあります。これらの遺跡でトイレが見つかったところと似た立地条件の箇所が、かそりムラでも観察されるのです。
かそりムラのトイレについて、ガイドが推理してみました。
皆さんと一緒に、なぞ解きの“Go to 縄文トラベル”に出かけましょう!』と、ありました。
当時は、川岸に杭を打って板を渡し、そこで排泄をしていました。
「トイレ」という考え方はありませんでした。
T
復元住居、天井
隙間から、外の光が見えました。
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加曽利貝塚縄文遺跡公園
スカイツリーに串刺しされたように見える夕日
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お気づきのこと等がございましたら
ご一報ください。→:こちら!
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