
1
|
   
-------------------------------------
No.c423 亀戸浅間神社
No.c423 Kameido Sengen Jinja
Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo 18 pieces/GreenSeason
◆鬼瓦、身禄歌碑
◆六ツ目地蔵小屋
◆有形文化財・石造鳥居
◆富士浅間道標
◆亀戸あさくさ古道、大茅の輪
◆城東電車、神田
◇神社、木花咲耶比売命、亀戸浅間神社
出かけませんか?CandyBox
c423-Copyright(c) Candybox All Rights Reserved.
--------------------------------------
ページラスト |
*
東京大神宮に行った帰りに、かっぱ橋の七夕祭りを見物して、
その後、寄りました。 |

2
|
亀戸浅間神社 インフォメーション
   
所在地=〒136-0071 江東区亀戸9丁目15-7
営業時間= 9:00~16:00
ご祭神=木花咲耶比売命(このはなさくやひめ)
|
交通アクセス
都営新宿線『東大島』駅から徒歩9分
JR総武線『亀戸』駅から徒歩19分 |
*
鬼瓦
  
| 鬼瓦:亀戸浅間神社の鬼瓦は、富士山の守護神を祀る神社のため富士山や雲の意匠が施され、ご祭神の木花咲耶比売命(このはなさくやひめのみこと)は美と安産の神であるため、鬼瓦の表情も柔らかいデザインで、魔除け・厄除けとして社殿を守ります。 |
*
|

3
|
手水舎
   
手を差し出すと10秒間 自動で清水が流れ落ちます。
社殿に向かう参道の左手にあり、高さ53cm、幅81.5cm奥行き53cm。石質は安山岩(小松石)です。正面に富士山の姿が彫られ、その中央に「玉」と刻まれています。この印は、富士講の紋でであったと思われ、この神社の明治期以降の石碑類の多くに刻まれている。富士山の上に「奉献」とあるから、富士講が奉納したものであることがわかります。左側面の刻銘は次の通りです。
浅間神社は、大永7年(1527)の創立とも、近世初期の創立とも伝えられています。またこの地は、古代に日本武尊の妻、弟橘姫の笄(こうがい)が流れ着いたとも言われています。いつ頃この地に富士塚が造成されたのかは不明ですが、延宝7年(1679)に版行された「江戸方角安見図」の亀戸の図に、二棟の社殿を構えた「富士」の名が見えます。江戸時代の前期までに、この地に浅間神社が創祀されていたことがわかります。 |
*
|

4
|
身禄歌碑
   
この碑には年号がなく、また建立者の名前もありません。はっきりしたことはわかりませんが、富士信仰が流行した江戸時代後期から明治時代の間に造られたものと考えられます。建立したのは富士講参加者だという言い伝えがあります。
近世に古くからの仏教での弥勒信仰と、民間の来神信仰が習合し、江戸時代までに独自の弥勒信仰が成立していましたが、江戸時代半ばに富士講の創始者、食行身禄(じきぎょうみろく、身禄は弥勒菩薩からとった名)が全国を行脚し、富士信仰を広めたことで、弥勒信仰と富士信仰の習合が進んだと言われています。 |
*
|

5
|
六ツ目地蔵小屋
以下の供養塔が並べられています。
   
庚申塔、法華経供養塔、供養塔(破損仏)伝馬頭観音、
地蔵供養塔1、地蔵供養塔2、地蔵供養塔3、観音供養塔、
如意輪観音供養塔 |
*
|

6
|
石造鳥居(有形文化財)
   
大正7年(1918)建立
後ろにある祠は
下の二祠です。
↓
|

7
|
右:下浅間神社
   
ご祭神:大黒様、恵比寿様
御利益:開運招福・縁結び
|

8
|
左:稲荷神社
    ご祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
御利益:五穀豊穣・商工繁栄
|

9
|
富士せんげん道道標
   
右側面には「地蔵講中 本所□ツ目 願主良歓」、左側面には「享和元酉年十月吉日」の刻銘があります。
この道標は、右へ曲がって浅間神社、亀戸天神、六阿弥陀六番目の定光寺を経て浅草へ行く道を示すものですが、この道は、すでに延宝7年(1679)の「江戸大絵図」にも見ることができます。現在の六の橋(当時は六之渡し)の北詰に東向きに建ち、逆井(さかさい)の渡しから来る人への、道案内の役割を果たしていたと思われます。 |
*
|

10
|
ご案内図
「亀戸あさくさ古道」を訪ねて
   
| 亀戸の古道は、浅間神社・亀戸天神・六阿弥陀(常光寺)・浅草といった名所を結ぶ、江戸時代以来の道です。浅間神社境内に保存されている道標は、かつて竪川沿いの元佐倉道に置かれ、房総から逆井(さかさい)の渡しで江戸を訪れた人々に道を案内していました。道は、水神社で二筋に分かれ、亀戸の鎮守香取神社、臥龍梅(がりゅうばい)で有名な梅屋敷(跡)、萩寺と呼ばれる龍眼寺などへ行く道ともつながっていました。 |
現在この道をたどる人への 道しるべ |
| |
距離 |
徒歩 |
| ‣ 逆井の渡し跡から亀戸スポーツセンター |
1.32km |
20分 |
| ‣ 亀戸スポーツセンターから常光寺 |
0.66km |
8分 |
| ‣ 常光寺(六阿弥陀)から香取神社 |
0.675km |
8分 |
| ‣ 香取神社から東京スカイツリー |
2.08km |
30分 |
| ‣ 東京スカイツリーから浅草雷門 |
1.83km |
22分 |
*
|

11
|
亀戸浅間自慢
関東最大級の大茅の輪
   
高さは、1年が365日ある処から365cm、
内厚は、ひと月が30日ある処から直径30cmとしています。 |
|

12
|
亀戸浅間神社
   
亀戸浅間神社は、江東区亀戸に鎮座する歴史ある神社で、富士山の守護神「木花咲耶比売命(このはなさくやひめのみこと)」を祀っています。安産・子育て・縁結びなどのご利益があるとされ、地元の人々に親しまれています。
創建:大永7年(1527)、富士信仰が盛んだった時代に、笄塚(こうがいづか)の上に創建されたと伝えられています。
ご祭神:木花咲耶比売命(このはなさくやひめのみこと)桜のように美しい女神で、富士山の神として安産や子育ての守護神とされています。
富士塚:境内には富士塚があり、江戸時代から富士講の信仰を集めて来ました。
文化財:享和元年(1801)建立の道標など、区指定の有形文化財が多数遺されています。
祭事:毎年7月1日に例大祭が行われ、夏越の祓・年越の祓では関東最大級の茅の輪が設置されることで知られています。 |
+-+-+-+-+-+-+
社殿脇に設置された、七夕祭会場
+-+-+-+-+-+-+ |

13
|
浅間神社社殿
   
平成10年(1998)、東京都の防災再開発事業に伴い、社殿は富士塚よりこの場所に移され富士山の方角(西南)に向けて建てられています。昭和9年(1934)に建てられた木造建築で、近世以降の基本的な社殿形式をふまえ、前面より拝殿、幣殿、本殿がエの字型に配置されています。
拝殿は、間口二間半(455cm)、奥行き二間(364cm)。正面向拝付。階段四級。四周に回廊付。床は寄木板張。壁は正面の中央柱間に開口部もつ。天井は格天井(天井絵付)。屋根は入母屋造銅板葺。
特徴として、拝殿の肘木、木鼻の彫刻が丁寧に造られ、格天井の格縁内に描かれた絵は他に例を見ない。幣殿の左右両通りの扱い方、本殿の回廊、向拝の扱い方が特殊です。建築年代は戦前昭和期であり、比較的新しい建物ですが、拝殿、幣殿、本殿の三社殿をそろえ、古い形態を伝えています。戦災を免れて今日に伝えられた木造の神社建築として貴重です。 |
*
|

14

15
|
狛犬
   
+-+-+-+-+-+
木花咲耶比売命(このはなさくやひめのみこと)
桜の花が咲くように美しい女性だと言われています。
霊峰富士の守り神として開運・縁結びなど、特に安産、子育ての神としてご信仰を集めています。
先の大戦において、戦火を免れ無事だったことから、地元の人々は火伏せの神としても信仰しています。 |
   
亀戸浅間神社 由緒・沿革
亀戸浅間神社は、社伝によれば大永7年(1527)に創建されました。祭神は木花咲耶比売命(このはなさくやひめのみこと)です。もともとこの辺りの地は高貝洲(こうがいす)と呼ばれていました。
その昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷ご征討の折、相模から上総へ船で向かうとき「こんな小さな海なら、駆けて飛び上がってでも渡れる」と大言壮語し、海を渡りました、ところが海の中ほどまで来ると突然暴風が起こり、日本武尊の船は漂い渡ることができなくなってしまいました。その時、日本武尊に従っていた弟橘媛(おとたちばなひめ)が「これは、日本武尊のお言葉に怒った海神の仕業だ」と言い、日本武尊の身代わりに自らの身を海に投じました。すると暴風はたちどころに止み、船は無事、岸に着くことができました。
弟橘媛の笄(こうがい)と櫛がこの辺りに漂着しました。後に景行天皇(第12代と伝えられる)がその地に笄塚を立てたとされています。この笄塚の場所に富士塚が築かれ、江戸時代には多くの信仰を集めました。 |
*
|

16
|
敷石および修繕費奉納碑
有形文化財(歴史資料)
   
|

17
|
この神社の前をかつて城東電車が走っていました。
パネルの後ろ下のレールは、浅間神社前を走っていた
電車のレールで、大正時代にイギリスで作られたものです。
亀戸9丁目町会より 寄贈されました。
   
城東電車の沿革
大正2年 城東電気軌道株式会社設立
大正6年 「錦糸町」・「西荒川」間 開通
昭和17年 市営となる
昭和18年 都政施行とともに都電となる
昭和43年 廃止される |
平成11年3月20日
※ 「西荒川」駅はこの神社の少し先の
荒川 西岸堤防の手前にあった終着駅。
所在地は、江戸川区小松川、現在の首都高7号線下です。
その背後に見えるのは富士塚跡です。
|

18 |
神社の一画に稲が植えられていました。
これは「神田」(しんでん)と呼ばれるものです。
   
お米は、日本人の
「命の糧」であり、「魂の糧」でもあり
稲作りは、我が国の
「精神性の礎(こころのいしずえ)」なのです。
当社では境内に神田を設け
来る秋11月23日斎行の新嘗祭(にいなめさい)に
大神さまに捧げる「初穂(はつほ)」を
謹製いたします。
*************************
お気づきのこと等がございましたら
ご一報ください。→: こちら!
************************* |