
1 左:文化元年銘の庚申塔/ 右:不動明王像
この2つの石造物は、浦和区常盤2丁目、中山道から与野へ向かう道の分岐点に建てられていたものです。
この庚申塔は、正面に大きく「庚申塔」と刻んだ文字庚申塔で、左側面に「文化元年甲子11月日、上宿講中」、右側面に「是より よの 川越 秋葉 道」と刻んでいます。 ★へつづく
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No.c457 さいたま市立浦和博物館 鳳翔閣
No.c457 Urawa Museum – Hoshokaku Building
Saitama-Ken /Beautiful Japan
Photo 26 pieces/GreenSeason
◆寺子屋師匠 臼木栄信の碑
◆「野田のサギ山」の結界石
◆古い紙幣/新しい紙幣
◆磁気式プリペイドカード
◆小学校教科書/学校給食用食器
◆木造大日如来坐像ほか
◇博物館
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★ 銘文から、文化元年(1804)に、現在の浦和区常盤にあたる上宿の講中によって建てられたもので、道しるべの役割を担っていたことがわかります。中山道浦和宿の北部から、与野を通って、秋葉神社(西区中釘)や川越に向かう道が、ここから始まることを示す資料です。
不動明王像は、正面に「不動尊」と刻むのみで、年号も願主等の名前も見られません。いつ、誰が、何の目的で建てたのか、推測することは困難ですが、庚申塔と共に、この土地を見守ってきた不動明王像です。
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インフォメーション
   
所在地=〒336-0911 さいたま市緑区三室2458
TEL=048-874-3960
開館時間=9:00~16:30
休館日=月曜日(祭日を除く)12/28~1/4 変更あり
入館料=無料
駐車場=無料 あり
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交通アクセス
| JR京浜東北線『北浦和』駅 東口→「市立病院」行きバス→『市立病院』下車徒歩5分 |
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寺子屋師匠 臼木栄信の碑
臼木栄信は文政9年(1826)12月、南元宿村(現・桜区南元宿)の生まれ。
剣や天文暦数を学び、自宅で寺子屋を開設しました。幕末から明治の学制開始までで子弟は数百人に及んだといい、その寺子屋を終える際には、親子の別れのごとくであった。
大正2年(1913)7月、88歳で没。この碑は明治35年(1902)に喜寿を祝した建てられたものと考えられ、元は自宅西側にあったものです。 |
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「野田のサギ山」の結界石
   
緑区の東部、野田の地は、かつてサギが営巣するようになり、新染谷村、寺山村、代山村、神野田村(以上の村は、明治22年に大崎村、辻村、中野田村、高畑村と合併し、野田村となる)と営巣の場所は変遷しましたが、250年にわたり、サギは野田の地にやってきました。「野田のサギ山」の名称で知られる営巣地は約1.417ha、日光街道沿いの「5軒の農家」の屋敷林に営巣していました。
この石は、この「5軒の農家」の屋敷林にあったものです。いつの時代に作られたものかは明らかではありませんが、「鷺山」「境界」と刻んであり、営巣地を定めた結界石となっています。
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さいたま市立博物館
   
さいたま市立浦和博物館の建物は、明治11年に建てられた埼玉県師範学校の校舎の中央部分の外観を復原したものです。
サッカーJリーグの浦和レッズの選手がユニフォームにつけているエンブレムは平成13年(2001)に現在のエンブレムに変更されました。1つのボールにみんなが集まる。1つのボールからみんなの話題や喜びが生まれ、仲間意識、友情の輪がひろがって、世界とつながる。というサッカーの理想を具現化したものです。
そのエンブレムの上部に、初期のこの建物が描かれています。 |
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「鳳翔閣」の歴史・・・ポスター
~埼玉県師範学校から県立図書館へ~
   
「鳳翔閣」は、明治11年(1878)に建てられた埼玉県師範学校の校舎につけられた名前です。
埼玉県師範学校は、明治5年(1872)の学制頒布に伴い、翌6年(1873)、浦和宿の本陣跡に小学校教員養成のため「改正局」を設置したのが始まりとされます。翌7年(1874)には、恒久的な教員員養成機関「埼玉県師範学校」として、当時の岸村、現在の浦和岸町7丁目に校舎を建て移転翌8年(1875)に中学校及び医学校が併設され、「埼玉県立学校」と改めました。
明治11年(1878)2月、県立学校の師範部門が分離独立し、「埼玉県師範学校」となりました。その2階建ての新校舎が、当時の稲荷丸、現在埼玉会館がある、浦和区高砂3丁目の敷地に建てられました。これが後に「鳳翔閣」と呼ばれる建物となりました。 |
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受付横の展示
   
| お手玉、輪投げ、だるま落とし、けん玉、コマ回し、縄跳び、少し足りないルービックキューブが、並んでいます。 |
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さあ、見学しましょう!
   
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古い紙幣
   
左から(上段裏面、下段表面)
千円札:日本銀行発行、表面は聖徳太子の肖像画、裏面は法隆寺の夢伝が描かれている。 ※ 裏面展示なし
五百円札:日本銀行発行、表面は岩倉具視(いわくらともみ)の肖像画、裏面には富士山が描かれている。
百円札:日本銀行発行、表面は板垣退助(いたがきたいすけ)の肖像画、裏面には国会議事堂が描かれている。 |
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2024年に発行された新紙幣
   
上から左が表 右が裏
10,000円札:明治にに活躍した、実業家である渋沢栄一の肖像画、裏面は東京駅(丸の内駅舎)が描かれています。
5;000円札:近代的な女性教育のため尽力した津田梅子(つだうめこ)の肖像画、裏面には藤の花が描かれています
1,000円札:近代日本医学の父として知られる学者、北里柴三郎の肖像画、裏面には富岳三十六景「神奈川沖浪裏」が描かれている。 |
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カード類
   
左:オレンジカード等:国鉄・私鉄各路線において切符を購入する際に利用できた磁気式プリペイドカード。「オレンジカード」は、昭和60年から関東圏で販売が開始され、順次全国に拡がった。
中央:テレホンカード:公衆電話は、現金(小銭)を投入して使用したが、現金の代わりに磁気カードに入力された金額で、公衆電話を利用できるようになった。
右:左と中央の機能を兼ね備えたもの。現在のICカード時代の始まりである。 |
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小学校教科書
   
| 昭和43年、学習指導要領告示に基づき、「教育内容の現代化」を重視し濃密なカリキュラムが組まれた。その時の小学校1年生から4年生までの国語の教科書。 |
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学校給食用食器
   
| 小学校の給食に使用した食器。アルマイト製。現在はプラスチック製、セラミック製の食器が導入されている。 |
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昭和30年半ば頃の室内の再現
   
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石碑や古い写真などが展示された
1F展示室の風景
   
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2Fの展示風景
   
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見沼通船堀器材
さいたま市指定有形文化財
   
左から
左:片手桶:船内で使用した桶。よく使い込まれたらしく口の部分がすり減っている。
中央:シュロ縄:見沼通船堀閘門を通過する時に、人の肩に通して、人力で船を曳いた際に使用した縄。
右:飲料水桶:見沼通船の船頭が船内で使用していた。 |
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当博物館2Fバルコニー部分の窓
   
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木造大日如来坐像
埼玉県指定有形文化財・複製
   
寄木造り、彫眼、漆箔。頭部には後に作られた八角形の宝鑑を頂いている。胎蔵大日如来であるが、俗に「雹除け大日如来」として知られている。
密教の最高位に位置する仏。他の如来と違って宝冠を被り、飾りを身につけています。これは仏の中で位が高いことを表しています。大日如来には智恵を表す「金剛界」と、慈悲を表す「胎蔵界」の二種類があります。金剛界か胎蔵界なのかは、印の形で見分けることができます。
この仏像の印は「法界定印」なので、「胎蔵界」の仏像になります。(金剛界は、「智拳印」) |
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阿弥陀如来は西方の極楽浄土の教主。
日本では、平安時代後期から阿弥陀如来の信仰が急速に広まりました。
阿弥陀如来には特有の九品印があります。これは念仏者が往生する時に九等級あるため、阿弥陀如来の印も九種類になったものです。
この仏像は「中品中生」の印を結んでいます。 |
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木造 制多迦(せいたか)童子像
さいたま市指定有形文化財(彫刻)
   
| 寄木造り、玉眼嵌入(ぎょくがんがんにゅう)不動明王が従えている童子、脇侍の一人である。少年が天衣と袈裟を無造作に身につけたような姿をしている。 |
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木造不動明王坐像
埼玉指定有形文化財(彫刻)
   
寄木造、玉眼嵌入。台座、光背共にそろっている。岸町不動尊内にあった諸仏の内の一体で、元々は明治4年(1871)に廃寺となった福寿寺の仏像を受け継いでいる。
五大明王の中心の明王。髪の毛は弁髪です。
右手には三古剣(魔を退廃させ、人々の煩悩を断ち切る剣、)左手には羂索(けんじゃく:悪を縛り上げ、煩悩に苦しむ人々を縛り上げて救い出すもの)を持っています。 |
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木造矜羯羅(こんがら)童子像
さいたま市指定有形文化財(彫刻)
   
寄木造り、玉眼嵌入。不動明王が従えている童子、脇侍の一人である。少年が天衣と袈裟を無造作に身につけたような姿をしている。
不動明王の左側に位置する脇侍です。袈裟と腰には裳を身につけ、手に蓮の花を持っています。 |
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埼玉ゆかりの人物
   
高野隆先(1810-1859)
江戸時代後期の医者・蘭学者。文化7年(1810)、安達郡大間木村(現さいたま市緑区大間木)の医家の長男として生まれました。代々「蔵機堂」の名で治療にあたり、父隆永は漢方医として活躍しました。
当初隆仙は、父に習いその後、下戸田村(現・戸田市)出身で、蕨宿に開業した漢方医・岡田静安(1770-1848)に師事したものと思われます。静安の著作の校正を行うなど、師弟を超えて親密な協力者であったことが、高野家書籍(さいたま市指定有形文化財)からうかがい知れます。
その後、シーボルトに学び江戸で開業した蘭学者で医者の高野長英(1804-1850)に師事し、蘭学を学びました。
大間木に戻り、蔵機堂を継いでからは、外科を得意とし、村人の信望も厚かったといいます。また、蘭学をはじめ天文学や兵学、華道、茶道、連歌、南画などにも造詣が深く、文化人としても高く評価されています。
弘化元年(1844)、蛮社の獄によって捕らえられた長英が、火災に乗じ逃亡した際、長英は隆仙宅に立ち寄り身を隠しました。このことにより、隆仙は鴻巣の番屋に捕らえられ、100日間の拷問を加えられましたが、師である長英の行き先については口を割らなかったといいます。師弟の恩義の厚さを認め、放免されましたが、この時の傷がものとで徐々に衰弱し、安政6年(1859)に没しました。 |
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初秋静日
跡見 泰(あとみ ゆたか)作
   
| 昭和23年(1848)、第4回日展に出品。関東大震災の大正14年(1925)から当時の浦和町鹿島台に移り住む。 |
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2Fから吹き抜け1Fの展示風景が見えました。
   
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博物館を出ると、日が沈む直前でした。
   
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