
神田川沿いをお花見していると、椿山荘庭園の裏門があり、人の流れは椿山荘に吸い込まれてゆきます。
私も流れに身を任せ 椿山荘の庭園散策をしました。ご一緒にいかがですか?
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長 松 亭 (ちょうしょうてい)
電力業界の長老松永安左ヱ門翁の設計
松永翁好みの四畳枡床向切逆勝手
(よじょうますどこむこうぎりぎゃくかって)の茶室。
昭和29年(1954)建築です。 |
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木 春 堂 (もくしゅんどう)
五島慶太翁所有の神奈川県足柄上郡の中津川渓谷沿いの
田舎家を譲り受け、昭和28年(1953)に移築しました。

☆五島慶太(1882~1959) 長野県出身の実業家。
東急電鉄を中心とする東急グループの創立者。
創業者小川栄一の郷里の先輩で、指導を受けました。
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そば処 無茶庵
もと文京区林町にあった紅葉旅館の離れだった
旧・某氏邸を譲り受け、昭和29年(1954)に
移築しました。北側は一部増築したが、入口から
南側の部分には手斧(ちょうな)やくさびを
使用していた痕跡が見られることなどから、
室町期、太田道灌の活躍していた時代に
作られたものと伝えられています。
・・・建物が写っていませんでした。^^; |
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椿山荘の歴史

林泉回遊式庭園の椿山荘は明治の元勲山県有朋公爵の命名によるものです。
ここ椿山荘周辺は古来より椿の自生する景勝の地として知られ、南北朝時代のころから『つばきやま』と呼ばれていました。江戸時代の代表的な浮世絵版画家・・安藤広重の作品『名所江戸百景』でも取り上げられています。
明治11年、山県公が私財を投じてこの地を入手すると、つばきやまの名にちなんで「椿山荘(ちんざんそう)」と名付けて築庭に力を注ぎ、約2万坪の起伏豊かな地形を巧みにいかし、今日に見る名園に造り上げました。当時、明治天皇をはじめ政財官界の第一人者たちがしばしばこの椿山荘を訪れ、重要会議を開いたと伝えられています。
その後、山県公爵からこの名園を譲り受けた藤田平太郎男爵が、三重塔をはじめ歴史をしのばせる文化財の数々を随所に配し、その風情を一段と高めるに至りました。
こうして受け継がれてきた伝統は、今日も都心で豊かな四季が味わえる数少ない名園を育みつづけ、近代的諸設備を誇る施設の数々とともに、椿山荘を名実共に日本を代表するガーデンレストランとして位置付け、日々内外のお客さまを迎えています。 |
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恵比寿神

招福除災の神、特に運輸、漁業、商売に安全と
繁栄昌をかなえてくれます。フィッシング、セイリング、
スキューバーダイビングなど水に親しむ方の守護神です。 |
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横浜緋桜 |
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この時間 3組のカップルが挙式され、
庭のそれぞれの場所で
記念写真を撮られていました。
その前後も数組の式があったようで、
挙式関係スタッフ達は、忙しそうでした。
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斜面を散策する人々の姿から
←起伏のある地形が見て取れます。 |
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三重塔
この塔は広島県加茂郡入野の山上伽藍、篁山竹林寺(たかむらさんちくりんじ)に在ったものですが、長い間修理の手が行き届かず、上層部が大破したまま放置されていました。大正十四年(1925)、藤田平太郎がこれを譲り受け、解体し、椿山荘に移築しました。
創建の年代は明らかではありませんが、細部の様式が和様と禅宗様の折衷様であること、木鼻(きばな)や拳鼻(こぶしはな)、その他の繰形の特徴などから室町時代末期の作と推定されています。
(総高16m70cm。初重の広さ3m四方) |
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白玉稲荷神社
大正13年(1924)に京都下賀茂神社にあった社殿を譲り受けて移築し、翌14年伏見稲荷明神から白玉稲荷を勧請して椿山荘の守護神としました。
平成元年、現在地に新社殿を建立し、遷座いたしました。 |
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庭の神
ニワトリの形をしたこのかたまりは、2009年からこの椿山荘に仲間入りした八福神のひとつ。
いつの日からかニワトリは、その翼で飛ぶことをやめ、庭の中の安心や幸せを守る神として崇められています。
今日もチョコチョコ歩き回って、この庭を守っているということです。 |
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