Candy 出かけませんか?
No.807 関ヶ原と伊吹山 -出かけませんか?-   
Photo33枚
 807 Sekigahara & Mt.Ibuki  Gifu& shiga Japan 


807  関ヶ原と伊吹山   
岐阜県・滋賀県(Gifu-ken・Shiga-ken)

10/05/09 Sun.


お気に召さないときは止めてください。

♪スコット・ジョプリン「小さな滝」
オルゴールバージョンです♪

ページ容量 1,461KB 予想ダウンロード時間 9600=23.5分 1M=14秒


揖斐川


関ヶ原 合戦場
オブジェは 緒方良信(Yoshin Ogata)作
『無限時空』
角は力強さの象徴、割り開かれた隙間は未来に向かい
開かれた空間、新しい何かが生まれる予感を表す滴を持つ兜


自然と歴史の町の野外アトリエ
関ヶ原合戦400年祭記念
関ヶ原石彫シンポジウム2000作品
石種:マリーナレッド
産地:フィンランド











関ヶ原合戦のあらまし
 西暦1600年(慶長5年)9月15日(現在の暦では10月21日)、徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍がここ関ヶ原盆地で激突した。
 豊臣秀吉亡き後、自らの時代を開こうとした徳川家康は、同年6月会津上杉攻めを口実に大阪を離れ三成の挙兵を誘い込んだ。8月会津攻めから引き返した家康は、9月1日江戸を発ち、14日には美濃国赤阪に着陣した。この間家康は豊臣政権内の諸将の反目や政治的矛盾を利用し、豊臣恩顧の武将の多くを東軍に引き入れた。一方豊臣家への義を重んじた三成は8月下旬から大垣城に立てこもっていたが、急きょ14日の夜大垣城を出て早朝には関ヶ原に布陣し、本陣をここ笹尾山に置いた。一方東軍も西軍の動きに呼応し、午前7時ころには家康は関ヶ原の桃配山に陣取った。  ◇に続く

◇  午前8時、東軍の先鋒福島正則隊を出し抜いて井伊直政隊が発砲し、かくして決戦の火ぶたは切られた。地形を利用して東軍を誘い込み、包囲攻撃の陣形をとった西軍が有利な様相だったが、一進一退の攻防が続いた。しかし、かねて家康と通じていた松尾山の小早川秀秋が一向に反応しないことに業を煮やした家康が、小早川の陣に向けて誘い鉄砲を撃たせると、気が動転した小早川は味方の大谷吉継隊を襲い吉継は自刃、ここに形勢は逆転した。
 正午過ぎ家康は総攻撃を命じ、小西行長隊、宇喜多秀家隊と崩れ、頑強だった石田隊も敗走をはじめた。桃配山家康本陣背後の南宮山の毛利隊も、内応した吉川広家に阻まれ最後まで参戦することなく陣を引いた。最後に残った西軍の島津義弘隊は、正面から敵中突破を敢行し、多良方面へ去り、家康の追撃中止命令が下った。時に午後2時半のことである。
 天下分け目の合戦を制した家康は、西軍諸将の討ち、八十八家を改易にし、五家の所領を大きく削ったという。その後大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、徳川300年の太平の基礎を築いたのであった。    -パネルより-







※パネルに大坂と書かれていました。調べたところ
大坂/大阪どちらも正しいそうです。



関ヶ原は何度も通り、気になりながらも
合戦場を見ることはありませんでした。
今回チャンスに恵まれ、初めて寄りました。
朝8時前に訪問を終え、
伊吹山に向かいました。


伊吹山ドライブウエイ
 
伊吹山ドライブウエイ通行料:3000円










中央に見える塔が、測候所です。


 
そのままよ 月もたのまし 伊吹山 ‐芭蕉‐
俳聖松尾芭蕉は元禄二年秋(1689年)俳諧紀行文
『おくの細道』むすびの地大垣に到着しました。
奥の細道の旅は東京深川・仙台松島・岩手平泉・
出羽三山・秋田象潟・金沢・敦賀を巡り大垣に至る
五ヶ月間、2400kmに及ぶ旅でした。
この長旅の疲れをいやした2週間余りの大垣滞在中、
「そのままよ 月もたのまし 伊吹山」の句を詠みました。
「伊吹山は月の力など借りなくても、
そのままで立派な山だよ」という意味です。
伊吹山の美しさをたたえた名句と言えましょう。
‐パネルより‐











もう少しで山頂駐車場です。





山頂駐車場に着きました。
実際の山頂まであと111mは
徒歩で登ります。

雪を頂いた立山(▲3,015m)150~200km
その右手前の尖がった槍ヶ岳(▲3,180m)約150km
槍ヶ先(▲966m)約10km
国見峠(▲1,123m)
下の図を参考にしてみました。













 

琵琶湖 竹生島方面








初めて出合う植物達です。

静かな山でさえずりが聴こえました。
何の鳥かわかりませんが
木のてっぺんで一羽の鳥が歌っていました。

野生の美しい鳥が散歩していました。
顔にはニワトリのような
紅いヒラヒラがついていました。












たった20分程の道のりなのに
半分くらい過ぎたあたりから身体が重くなり、
階段を上る足が前に出ません。
ゆうゆうと横を通り過ぎる荷物運搬の
この乗り物に
「私も乗せて~~~~~!」と
心の中で叫びました。




伊吹山頂 日本武尊(ヤマトタケル)像

頂上までの道のりは、写真を撮りながら30分くらいかかったでしょうか、
何人かの人を追い抜きながら、やっと頂上に着きました。











山頂の売店



 日本武尊(ヤマトタケル)像と弥勒菩薩
 尾張ではまだしなければならないことがあった。それは伊吹山の神を征伐することだった 。ヤマトタケルは素手で戦うからと草薙の剣を美夜受比売に預けて出かけることにした。伊吹山を登り始めてしばらくすると、白く大きなイノシシが現れた。山の神の使いが変身しているに違いないから大したことはないと先に進んでいった。ところがこのイノシシが山の神自身が変身していたのだった。山の神はヤマトタケルに大氷雨を降らせため、大きな痛手を被ってしまい、やがて病にかかり伊吹山を下りた。
 ヤマトタケルが攻撃されたのは伊吹山3合目付近であったらしい。西側登山道を登った3合目付近にヤマトタケル遭難碑があるが、山頂にはヤマトタケル像が建っている。‐参考HP‐











測候所

 伊吹山の山頂を示す目印がいくつかあります。
日本武尊の像と
測候所、
一等三角点
弥勒菩薩
みんな写真に納めました。



弥勒菩薩
「伊吹山は修験道の道場としての歴史は古く、
伊吹四天王寺が建立され、鎌倉攻めに貢献している。
頂上に弥勒菩薩の石洞が残っているのは、
修験道が盛大であった証拠である。」と
『解題 日本名山図会』(山と渓谷社 MY BOOKS)に
書かれているそうです。







琵琶湖国定公園特別地域
滋賀県指定天然記念物
「伊吹山地草原植物
およびその自生地」
伊吹山頂一帯は、約300種の温帯性及び亜高
山性の草木が群生開化する美しいお花畑となっており
近畿地方以南では他に例がありません。
草原内には次のような貴重な植物が多数自生し、
学術研究上も保護が必要です。
・伊吹山特産の植物
・北方からの分布の西南原種
・石灰石地を好む植物
・日本海要素の植物
・薬草(民間薬草約230種、
局方薬草19種)








伊吹山頂上 標高1,377m

1.お互いに手を取り合って秩序を守り
楽しい登山をつづけましょう
1.お互いに自然のめぐみに心をよせて
花と緑をそだてましょう
1.お互いに霊峰伊吹の山に精進し
みんなの幸せをきずきましょう




























駐車場に止めた車が小さく見えます。
近く見えますが111m登り、疲れましたが
今はすがすがしい気分です。












数年前に知り合いが伊吹山頂のお花畑は
『天国のように美しかった』と感想をもらしていたので
非常に楽しみにして来ましたが、
残念ながら、その季節とは違ったようで、
お花はあまり咲いていませんでした。




大乗峰伊吹寺
日本七高山霊場








私は真ん中の道を登り
右の道から戻りました。
頂上までの所要時間は、
中央が20分
右の道が40分
左の道は下山専用です。


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今日もお出で頂きありがとうございました。
よろしかったら 次回もお付き合いください!




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