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このページは、館内が撮影禁止で、庭などの画像9枚しかありません。悪しからず。
上野の横山大観記念館に向かう途中
湯島天満宮のお祭りに遭遇しました。
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No.810 横山大観記念館の小庭
No.810 Taikan Yokoyama Memorial Hall's little garden
Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo:9pieces/GreenSeason
◆人物像、顕彰碑
◇記念館
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横山大観記念館 HP
〒110-0008 東京都台東区池之端1-4-24
Tel 03-3821-1017 Fax 03-3821-1057
入場料金 :大人=500円 子供(小学生まで)=200円
休 館 日: 毎週 月曜・火曜・水曜日
【長期休館あり:夏期、梅雨、年末年始】
台風や大雪の日に、臨時休館有。
開館時間: 10:00から16:00まで 【入館は午後3時45分まで】
展示最終日は午後3時で閉館。
ここは日本画家、横山大観(1868~1958)の住居でした。
大観がこの地に住みはじめたのは、明治42年(1909)です。最初は 狭かった敷地も、大観が画家として名をなすにしたがい拡張され、大正 8年に現在の広さとなりました。昭和20年(1945)3月10日の空襲で
住居が焼失したため、大観はしばらく熱海伊豆山の別荘に移り住みま す。昭和29年(1954)8月、焼失した住居の土台をそのまま利用して、 新居が再建され、大観は再び池之端で生活をはじめます。昭和33年
(1958)2月に90歳で没するまで、ここで数多くの作品を制作しました。
静子夫人没後の昭和51年(1976)9月、遺族から大観の作品や習作、 遺品、画稿、スケッチ帳などの寄贈をうけて、財団法人横山大観記念館 が設立され、同年11月に一般公開されました。
心の安らぎを感じられる美術館をモットーとし、できるかぎり 建物の雰囲気をいかし、軸装の作品はそのまま床の間にかけて展示 しています。また、靴を脱いで入る日本建築の良さ、大観がこだわった
細部のデザインも存分に楽しむことができます。
- HP参考-
館内は撮影禁止のため画像はありません。
館内の様子は、公式サイト をご覧ください。
上の2枚の画像は、中庭の新緑
右の画像以下は、玄関前のお庭です。
このお庭を、大観さんは四季折々
楽しまれていたことでしょう。
横山大観
茨城県水戸市出身の美術家であり、近代日本画壇の巨匠である。
師である岡倉天心らと共に日本美術院を設立し、「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれる線描を抑えた独特の没線描法を確立した日本画家。
帝国美術員会員。第一回文化勲章受章。死後、正三位勲一等旭日大綬章を追贈された。
1868年、旧水戸藩藩士・酒井捨彦の長男として横山大観(本名・秀麿)は生まれた。
父は測量や地図の製作をする仕事をしていたため、その影響を受けて横山大観は将来の自分の進路を建築設計という方向で考えていた。
明治18年、東京府中学校(府中一中、現在は都立日比谷高)を卒業。
進学に当たり、受験では大学の予備門で四級と英語専修科という2つの試験を受験したが、当時は学科を2つも受験することはほとんどなく、また横山大観の担当であった事務員が非常に頭の固い人間だったため、『2つも受験するとは何事か』と複数受験を理由に両方とも失格にしてしまった。
そんなことで不合格にされるくらいならと大観は別の学校を探し、子供のころから英語は学んでいたため、東京英語学校に進学した。
この在学中に絵画に興味を抱き、洋画家の渡辺文三郎という人物から鉛筆画を習うことになり、その期間は6~7ヶ月くらいであった。
1888年には、母方の親戚である横山家の養子となった。
卒業を控え次の進路を考えているときに、浜尾新や岡倉天心らが東京美術学校を設立するという話を知り、そこに進学を希望する。
建築の道に進むものだと思っていた父親からは猛反対されてしまうが、大観は東京美術学校を受験することになり、その後の人生を大きく変えた。
横山大観顕彰碑
横山大観先生は近代日本画壇の代表的巨匠である。
明治元年水戸藩士酒井捨彦の長男として水戸に生まれ
本名を秀麿 母方の横山の姓を継ぐ。
明治26年東京美術学校卒業 校長長岡天心に愛されて終世大きな感化を受けた。 明治30年東京美術学校助教授となったが1年で職を辞し岡倉天心が創設した日本美術院に下村勧山 菱田春草とともに日本画の革新運動を起こした。
その後美術研究のためインド ヨーロッパ各地及び中国窓を観察し、師天心の思想である東洋の理想を受け継ぎ新しい日本画を創造した。
明治45年からこの地に居し、画筆をとる。昭和10年帝国美術院会員。昭和12年第1回文化勲章受章。
代表作に「無我」「万升八景」「生々流転」の他多くの水墨山水画 富士山などがある。
昭和32年5月台東区名誉区民に推載された。昭和33年2月歿 90歳
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