894  高野山 金剛峯寺(こうやさん こんごうぶじ)

和歌山県(Wakayama-ken)
12/05/06 Sun. 


お気に召さないときは止めてください。

♪「花の歌」ランゲ
ピアノ バージョンです♪

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駐車場に着くと同時に強い雨が降り出しました。
近くにあった建物に入り 拝観していると雨は小降りになりました。
正門

 昔はこの門を正面から出入りできるのは天皇・皇族、高野山の重職だけでした。一般の僧侶が使用できるのは右手にあるくぐり戸です。一般参拝にはあまり関係のない話ですが、高野山では門の出入り一つでも、厳しいルールが存在したそうです








正門
金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593)に再建されて以来のものです。

 山内に点在するお寺は、塔頭寺院(たっちゅうじいん)といいます。お大師さまの徳を慕い、高野山全体を大寺(だいじ 総本山金剛峯寺)に見立て、山内に建てられた小院のことです。現在では117ヶ寺が存在し、そのうち53ヶ寺は宿坊として、高野山を訪れる参詣者へ宿を提供しています。

拝観料金:一般500円 小学生200円 未就学児無料
拝観時間:午前8:30~17:00 受付けは終了30分前
*
拝観料は建物ごとに個別にかかり、
7か所をめぐる共通券 2,000円 と言うのもあります。







大玄関(おおげんかん)
 表玄関にあたるところで、正門と同様天皇・皇族や高野山重職だけが利用できました。








小玄関(しょうげんかん)
 高野山では上鋼職(じょうこうしょく)の方々が使用します。一般の僧侶は、昔は裏口より出入りしましたが、現在は一般参詣入口を利用しています。








金剛峯寺
天水桶(てんすいおけ)
  金剛峯寺の屋根は檜の皮を何枚も重ねた檜皮葺(ひわだぶき)になっています。その屋根の上に、天水桶が置かれ、普段から雨水を溜めておき、火災が発生したときに、火の粉が飛んで屋根が燃えあがらないように桶の水をまいて湿らし、少しでも類焼を食い止める役割を果たすそうです。








鐘楼
金剛峯寺前身の青巌寺の鐘楼。
 構造形式から万延元年(1860)の大火で類焼後、大主殿などの建物と共に鐘楼も元治元年(1864)に再建されたものと考えられるそうです。
桁行:三間、梁行:二間、袴腰付入母屋造りで、県指定重要文化財です。








経蔵(きょうぞう)
延宝7年(1679)3月、大阪天満の井川屋から釈迦三尊と併せて寄進されたもので、経蔵は重要なものを収蔵する場所で、火災が発生しても安全なように主殿とは別に建てられました。









   ↑ゆるきゃら こうやくん

総本山金剛峯寺
弘仁7年7月高祖弘法大師嵯峨天皇勅許を得て高野山を開創して総じて一山(いっさん)を金剛峯寺と号しました。
天正20年(1592)豊臣秀吉公應其上人に命じ興立し青巌寺と稱号を付し爾来連綿として一山事務検校の住寺となりました。
当寺は再三の火災により焼失現在の本殿は文久2年(1862)再建されたものであります。
明治元年9月19日御達を以て学侶、行人、聖の三派の名目を発して金剛峯寺と公稱し、檀上、奥の院を含め一山を代表する名稱となりました。
主殿東西30間 南北35間 奥殿、別殿、新書院、経蔵、鐘楼、勅使門、上門、下門、真然堂、護摩堂等の建物が並んで境内総坪数48,295坪廣さと美しさを尽くしております。
-立札より-
公式HPとは多少違っていますが、立札を参考にしました。





長い廊下を進みながら、中庭の景色を楽しみましょう。
上段の間の前にある庭は江戸期に作られたと伝えられ、当時は池の周りに高野六木(こうやろくぼく)(杉・檜・松・槇(まき)・栂・樅)がそびえ立っていたそうです。自然の素朴さに心も和みます。







いろいろな襖の絵の名がついた間[部屋]があるようですが、
この時は公開されていなかったのか
見落としたのか、画像がありません。







蟠龍庭(ばんりゅうてい)
昭和59年(1984)弘法大師御入定1150年・御遠忌大法会の際に造園されました。2,340平方メートルの石庭は、国内で最大級を誇るそうです。







新別殿(しんべつでん)
蟠龍庭と同じく、弘法大師御入定・1150年御遠忌大法会の際、大勢の参詣者への接待所として新設されました。
本山の荘厳に合わせた入母屋で91畳と78畳の蓋間からなる大広間です。いくつかのグループの人が居られ画像左で、若い僧侶の法話が行われていました。









お茶の接待を受け、邪魔にならぬよう
末席でしばらくお話を聞きました。







台所

 この台所は金剛峯寺主殿と共に昭和30年代に和歌山県指定文化財に指定されています。多勢の僧侶の食事を賄ってきただけに釜も大変大きく、柱や梁も煤で真っ黒になっています。水飲み場は湧き水を高野槇(こうやまき)の水槽に溜め、大きな「かまど」は現在も重要行の際に使っています。




竈(かまど)
画像は、2000人のご飯が作れるという大きな台所の一部です。
 











奥の院に向かいます。
高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまが御入定されている聖地です。正式には一の橋から参拝します。一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりがあるようです。他の見学もあるので1.5キロメートルほどのところで引き返しました。





武田信玄勝頼墓所
県指定史跡
 武田信玄は、上杉謙信と共に乱世を生きた戦国武将であるが、性格直情の中にも文を学び神仏に帰依し、その墓所を弘法大師空海の御傍この奥之院の一隅に求めた。
 戦国武将らしく簡素な墓石は、豪華を誇る上杉家の霊廟に比べ、却って人の心に迫るものがある。
 向かって左[画像中央]が武田信玄、右がその子武田勝頼供養塔。信玄の碑面の表には、恵林寺殿と刻まれ、裏面には天正10年(1582)3月11日逝去と記されている。菩提所は成慶院。     和歌山県
-パネルより-










勧学院
 
北条時宗(ときむね)が高野山内の僧侶の勉学・修練のための道場として、金剛三昧院(こんごうさんまいいん)境内に建立しました。後の文保2年(1318)に、後宇多法皇の院宣によって現在の位置に移されました。本尊には大日如来が奉安されています。
 現在でも勉学・修練の行事である勧学会(かんがくえ)が毎年行われ、一般の立ち入りが禁じられていました。









霊宝館
蓮池
勧学院の前に位置するこの池は蓮池と呼ばれます。
昭和のころまでは美しい蓮が咲き誇っていたようです。









三昧堂と 西行桜







愛染堂
国史跡
後醍醐天皇の御願により建武元年(1334)に建立された。
愛染明王護摩と長日護摩を行うところである。現在の堂は
文化13年(1816)の再建である。  和歌山県教育委員会
-パネルより-





大塔の鐘・高野四郎(こうやしろう)
 お大師さまが鋳造を発願され、真然大徳の時代にようやく完成したと伝えられています。火災などで度々鐘楼が焼失し、三度ほど改鋳されました。
 現在の銅鐘は天文16年(1547年)に完成したもので、直径2.12メートルの大鐘で、日本で四番目に大きな鐘であったことから高野四郎と呼ばれるようになりました。
 現在でも毎日午前4時、午後1時、午後5時(春季彼岸中日より秋季彼岸中日までは午後6時)、午後9時、午後11時の5回に分けて時刻を高野山内に知らせています。







大塔(だいとう)
 お大師さま、真然大徳(しんぜんだいとく)と二代を費やして816年から887年ごろに完成したと伝えられます。お大師様は、この大塔を真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立されたので、根本大塔(こんぽんだいとう)と呼んでいます。多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四物(しぶつ)が取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)、四隅の壁には密教を伝えた八祖(はっそ)像が描かれ、堂内そのものが、立体の曼荼羅(まんだら)として構成されています。
 北側に安置されている二体の仏様は多聞天(たもんてん)と持国天(じこくてん)で、江戸時代の作といわれています。この二尊(にそん)は、もともと中門に安置されていたもので、火災から奇跡的に免れて、西塔へ納められていました。



中門再建工事
本日の作業時は 下層組物を行っていました。
伽藍中門再建工事
工期:平成23年4月~平成26年12月

高野山開創1200年記念大法会
法会期間 平成27年4月2日~5月21日











六角経蔵
 鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙に金泥(きんでい)で浄写された一切経を収めるために建立された経蔵です。






山王院(さんのういん)
 壇場の西端にあり、三社が並列する。右から丹生明神、高野明神、十二王子百二十伴神をまつる。弘法大師は高野山開創にあたり、仏教の諸尊と日本在来の神祇との融和に意を用いられ、高野山の地主神として丹生明神と高野明神(狩場明神)を勧請された。その本社は山麓天野にある。大師以後今日に至るまで山内の住侶はこの明神を厚く尊崇してきた。文禄3年(1594)再建。御社の前の拝殿を山王院という。ここで毎年決まった日に竪精や月並問講などの儀式を行う。山内住侶の重要な宗教的行事である。
和歌山県教育委員会・総本山金剛峯寺







孔雀堂
 正治元年(1199)、東寺長者の延杲(えんごう)は、後鳥羽法王の御願によって、神泉苑(しんせんえん)にて祈雨の修法を行い、見事大願を成就されました。その功績により高野山へ建立すべき宣旨を受け、翌年の正治2年には本尊が奉安されました。
 昭和元年(1923)、金堂より出火した大火によって焼失しましたが、昭和58年(1983)には弘法大師御入定1150年御遠忌記念事業として再建されました。
 本尊の孔雀明王像は快慶作で重要文化財に指定され、現在は霊宝館に納められています。







金堂
 高野山の本堂は、大伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂になります。高野山の重要行事のほとんどは、この金堂にて執り行われます。







国宝 不動堂
言い伝えによれば建久8年(1197)鳥羽天皇の皇女院の御願により行勝上人がこの堂をたてたということである。鎌倉時代の和様建築であって、それ以前の住宅建築の様式を仏堂建築に応用したものである。正確な建築年代は不明であるが、仏壇の勾欄や羽目板の格狭間の形などから、鎌倉時代後期と考えられる。
内陣の後に仏壇があり、来迎柱の間に板壁をつける。屋根の勾配の緩い桧皮葺で、平安時代の神殿造りの面影を残す。
和歌山県教育委員会・総本山金剛峯寺
-パネルより-



大門(だいもん)
大門周辺から遙か紀淡海峡や淡路島、四国が眺望できる。
標高約900mの聖地から見る夕陽は、一日への感謝と明日への希望の灯として心に刻まれる。女人道沿いのお助け地蔵からの眺めも絶景。
-パネルより-




関西空港で夕陽を見ることにしました。




送迎デッキで 日没を待ち、
パーキングの時間まで、館内の展示品を見学しました。








久しぶりの 飛行場訪問でした。



今夜は大阪泊です。明日は通天閣に行きます。




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お気づきのこと等がございましたら
ご一報ください。→:こちら!
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パネル・公式ホームページを参考にしました。


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今日もお出で頂きありがとうございました。
よろしかったら 次回もお付き合いください!


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