重用文化財 楼門
| 寛永11(1634)年、徳川頼房公が奉納したこの門は「日本三大楼門」の一つ。緑の中にひときわ朱色が鮮やかです。なお、「鹿島神宮」の扁額は東郷平八郎元帥の直筆によるものです。 |
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寛永11年(1634)に
水戸初代藩主徳川頼房公の奉納
頼房公は水戸黄門 光圀公の父君
萩原 捷 奉納
彫刻は三木宗策(日展審査員)
-立札より- |
本殿
御祭神 武甕槌大神(たけみかつちおおかみ)
創祀
神武天皇御即位の年に神恩感謝の意をもって神武天皇が
使いを遣わして勅祭されたと傳える
御神徳
神代の昔 天照大御神の命により国家統一の大業を
果され、建国功労の神と稱え奉る。また
韴霊剣の偉徳により武道の祖神 決断力の神と仰がれ
関東の開拓により農漁業、商工殖産の守護神として
仰がれる外常陸帯の古例により縁結び安産の神様として
著名である。さらに鹿島立の言葉が示すように交通安全、
旅行安泰の御神徳が古代から受け継がれている。
-立札より- |

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本殿 ↑
| 社殿は元和5(1619)年、徳川秀忠公より奉納されたもので、桃山期の極彩色が鮮やか。本殿・幣殿・拝殿・石の間のいずれもが国の重要文化財指定を受けています。本殿が北向きに建てられているのは武神の霊力を蝦夷の住む東北地方に及ぼすため。 |
御神木
社殿の背後にある杉の巨木は
樹齢1,200年と推定されるご神木です。 |
さざれ石の由来
さざれ石は石灰石が長い年月の間に雨水で溶解し、その粘着力の強い乳状液が次第に小石を凝結して段々と大きくなり、ついには巌となり、河川の浸蝕により地表に露出し、苔むしたものであります。
国歌「君が代」は、天皇の御大の弥栄を、さざれ石に託して詠んだ歌がもととなっており、天皇の大御代が千代に八千代に年を経て、さざれ石の巌となりて苔のむすまで永く久しく栄えますようにという祈りの込められた歌であります。
古今和歌集巻第七賀歌に題知らず、読人知らずの歌として
「わが君は千代に八千代に細(さざれ)石の巌となりて苔のむすまで」とあります。
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「君が代」は、神事や宴席で最後に歌われる祝歌として各地に広がり浄瑠璃や謡曲にも取り入れられ朝廷から一般庶民に至る迄、全国津々浦々で歌われる歌となって行きました。
国歌「君が代」は、明治二十六年日本国歌に制定され、大正時代ニューヨークで開催された世界の国歌コンクールで特等となりました。
-石碑より-
表彰式で何度でも聞きたいですね。 |
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鹿園
| 園内に遊ぶ鹿たちは“神のお使い”現在の鹿は、鹿島から移された春日大社(奈良)の鹿の子孫を再び受け継いだものです。“アントラー”とは鹿の枝角のことで、Jリーグ「鹿島アントラーズ」の名もここに由来しているのですね。 |
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奥宮
| 慶長10(1605)年、徳川家康公が奉納した本殿を元和の造営の際に引き遷したもので、需要文化財に指定されています。奥宮の前にある芭蕉の句碑の上部の穴は、耳を近けると「海の音」が聞こえるといわれています。 |
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石には「太々御神楽」と刻まれていますが、説明が見つかりません。
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天然記念物
鹿島神宮の森について
最近森林浴という言葉が話題になっています。これは緑豊かな森の樹木や草花などが発散する殺菌力のある芳香性の物質(フイトンチッド)が人間にも良い影響を与えることから林野庁が提唱しているものです。
鹿島神宮の森は、その上に極相林(きょくそうりん)といって森が到達すつ極限の状態であるので、人の心を和らげ活動を促す精神的な働きもあります。このような姿を昔の人は、神々しい森という言葉でたたえましたが、和らぎと明日への活力づくりに皆さんもゆっくりふれてください。
なお、境内の宮水である御手洗の湧水も昔から長命水といわれておりますので、この真清水をも賞味され健康で活力ある毎日をお送りください。 |
-立札より-
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この立札は小林一茶が文化14年5月26日に
鹿島に詣で次の句を詠んだことが書かれています。
大地震(おおなゑ)にびくともせぬや
松の花 一茶
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囲いの中には下の要石がありました。
要石(かなめいし)
| 地震を起こす大なまずの頭を押さえているといわれる霊石です。いくら掘っても全容は堀り尽くせないといわれ、“鹿島の七不思議”にも数えられています。 |
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