c037 雷門 浅草寺
東京都(Tokyo-To)

2018/07/08 Sun.  


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♪「インヴェンション第13番」バッハ
ピアノ バージョンです♪

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浅草雷門 浅草寺

雷門 浅草寺






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No.c037 雷門 浅草寺
No.c037 Kaminarimon Senso-Ji

Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo37pieces/GreenSeason
♪=インヴェンション第13番
◆聖観音菩薩(絶対秘仏)
◆五重の塔
◆雷門(風雷神門)
◆雷門の大提灯、松下幸之助氏
◆仲見世シャッターアート
◇寺、寺院
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雷門



表参道仲見世の屋根


雷門 浅草寺 インフォメーション

所在地=東京都台東区浅草2丁目3番1号
山号=金龍山
宗派=聖観音宗(天台宗系単立)
寺格=総本山
本尊=聖観音菩薩(絶対秘仏)
創建年=(伝)推古天皇36年(628)
開基=(伝)土師中知(眞中知)
正式名=金龍山浅草寺
文化財=法華経(国宝)二天門・伝法院
.  =元版一切経(重要文化財)







五重の塔と浅草寺

暑い日でしたが、世界中から観光客が訪れ
賑わっていました。







雷門(風雷神門)

天慶5年(942)平公雅(たいらのきんまさ)により
創建されたのが始まり。

門の正面に向かい右に「風神」、
左に「雷神」を祀っていることから、
雷門(風雷神門)」と呼ばれています。
現在の門は、慶応元年(1865)の
浅草田原町の大火で炎上した門に
替わり、昭和35年に松下幸之助氏の
ご寄進により復興されました。







観光用人力車








雷門 提灯

現在の門は、慶応元年(1865)の
浅草田原町の大火で炎上した門に
替わり、昭和35年に松下幸之助氏の
ご寄進により復興されました。



雷門(風雷神門)

天慶5年(942)平公雅(たいらのきんまさ)により
創建されたのが始まり。

門の正面に向かい右に「風神」、
左に「雷神」を祀っていることから、
雷門(風雷神門)」と呼ばれています。





仲見世




仲見世入口








雷門仲見世








雷門仲見世








仲見世シャッターアート








仲見世シャッターアート








仲見世シャッターアート








仲見世シャッターアート








仲見世シャッターアート




仲見世シャッターアート






浅草寺本堂、五重の塔、境内、境内社




宝蔵門








阿形








大わらじ

山形県村山市の奉賛会によって奉納されました。








浅草寺 本堂








浅草寺 本堂








五重の塔








阿弥陀如来像

阿弥陀如来さまは、極楽浄土にあって
法を説き無量の光明と寿命をもって
永遠の生命を与えてくださる仏さま。
 この像は唐銅製で、阿弥陀三尊像として
元禄6年(1693)に千人近い信徒によって建立された。
もとは本堂裏にあったものを、平成6年に
この地に奉安した。総高7.5m。
極楽往生の諸霊の頓証菩提を祈る。
金龍山 浅草寺















石橋(しゃっきょう)

 現存する都内最古とされるこの石橋は、
元和4年(1618)浅草寺に東照宮(現存せず)
が造営された際、参詣のための神橋として
造られたものである。寄進者は、徳川家康の娘
振姫の婿、紀伊国和歌山藩主浅野長晟
(ながあきら 広島浅野家藩祖)である。
 この石橋は昭和23年、文部省より
重要美術品に認定されている。
金龍山 浅草寺







六地蔵石燈籠

この石燈籠はかつて元花川戸町にあったものが、
明治23年(1890)に現在地に移転されたものです。
高さ約235㎝余り、がん部6面に地蔵を彫り付けて
あります。石燈籠と呼ばれていますが、「火袋(灯明
部)」はありません。詳細は不明ですが、伝承では
久安2年(1146)久安6年(1170)あるいは応安元年
(1368)建立ともいわれます。現在では風化や
火災の影響により、竿石に刻まれた文字などの
判読は困難です。  .
 多くの文献に取り上げられている燈籠ですが、
「江戸名所図会」などでもすでに印刻の判読が困難
であったようです。そのため、都内でも古い時代の
製作のものと考えられます。            .
平成24年3月  東京都教育委員会







三峯社

 三峯社とは、秩父の森厳な聖地に社殿を構える
古社である。天台修験の関東総本山とされ、殊に
江戸時代には「三峯講」が各地に設けられ、盛ん
に参詣された。                   .
 文化10年(1813)に編纂された『浅草寺志』を
ひもとくと、境内各所に様々な神社が勧請され
三峯社も弁天山に建立されていたことがわかる
(戦災により焼失も再建)。本社は三峯に寄せる
敬虔な信心とともに、明治初年の神仏分離令
以前の信仰の様子を現在に伝えている。   .
金龍山 浅草寺







日限(ひぎり)地蔵尊

六角堂の御本尊
 地蔵菩薩さまは、慈悲のお心で、この娑婆世界
だけでなく地獄や餓鬼道にもおもむき、
衆生(しゅうじょう)を救われる仏さま。
 特にこの日限地蔵尊は、何かのお願い事に対し、
日数を定めて祈願すれば、
古来より霊験があるとされる。
造立年代は不明。 木造
金龍山 浅草寺







写経供養塔








一言(ひとこと)不動尊

 怒りのお姿をした不動明王様は、そのお姿をして
教化し難い者を導き、その力で我々の迷いの心を
打ち切ってくださる仏さま。
 この一言不動尊は、何か願い事を一つに限って
祈願すると、その願いが叶うとされ、
古来より霊験が著しいといわれている。
享保10年(1725)造立。
金龍 山浅草寺







金龍権現

 寺伝の縁起によれば、浅草寺御本尊観音さまの
ご示現にあたり、天より百尺ばかりの金龍が
舞い降りて、その功徳を讃え観音さまを
お守りしたとされることから、浅草寺の山号を
「金龍山」という。これにより奉安されたのが、
この『金龍権現』である。
 このことに因み、現在、3月18日と10月18日の
年2回、浅草寺境内にて寺舞「金龍の舞」が
奉演されている。
金龍山 浅草寺







九頭竜権現

龍神さまは、仏教をお守りし、雨を操り、我々に
五穀豊穣や福徳を授けてくださる。
 この九頭竜権現は長野県戸隠山の地主神で、
昭和33年の本堂再建にあたって、その成就を
祈るべく勧請された。現在も浅草寺の
伽藍安穏(がらんあんのん)の守護神である。
金龍山 浅草寺







恵日須・大黒天堂

堂内向かって右側の恵日須(恵比須)左側の大黒天は
ともに七福神の神として広く信仰を集めている。
江戸時代前期の延宝3年(1675)に浅草寺に奉納された
これらの石像も、参詣の方々に穏やかな顔を
見せてくれる(お堂は戦後の建立)。
また天保15年(1844)にお堂脇に建立された石碑
などによると、これらの像は真言宗を開いた
弘法大師 空海(774~835)が造ったと伝えられている。
当時天台宗であった浅草寺においても、
宗派を超えた弘法大師への信仰がみられる点は、
非常に興味深い。
金龍山 浅草寺









帰り道見かけた白波5人男の中から3人掲載




大泥棒で白波五人男の一人








大泥棒で白波五人男の一人

日本駄右衛門(にっぽんだえもん)
大泥棒で白波五人男の頭領
百日髷といわれる伸びすぎた髪が特徴的。



大泥棒で白波五人男の一人





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