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住所=〒315-0016 茨城献石岡市総社2-8-1 電話=0299-22-2233(9:00~17:00) 例祭=9月15日 御祭神=伊邪那岐命・須佐之男命・邇邇芸命・大国主神 . 大宮比賣命・布瑠大神 |
JR常磐線「石岡駅」から徒歩20分。 バス=石岡駅~①のりば→フラワーパーク経由、八郷小幡・ . 柿岡車庫行」に乗車→「宮下バス停」下車→徒歩3分 レンタサイクル=石岡駅隣接の観光案内所にて利用可 レンタサイクル問合せ=石岡市観光案内所 TEL=0299-24-5001 |
日本百名山の一つ「筑波山」日本第二の湖「霞ヶ浦」の悠々たる美景を同時に望めるこの場所に創建された「総社」が常陸の国総社宮です。 総社とはそれぞれの律令国に鎮まる八百万の神々を国衙近くの一か所に合祀した神社であり、全国で55社が確認されています。国司たちは総社を拝することで自らが治める国の数多の神々に祈りを捧げたのです。★マークに続く |
現在の茨城県が常陸国(ひたちのくに)と呼ばれていた7世紀、広大で海山の幸に恵まれたこの国は、全60余国のうち最上の「大国」とされ常世の国とも称される憧れの聖地でした。 ^^* |
常陸国の中心地である国府があった場所が現在の石岡市です。茨城の県名はここに由来します。国府の長官である国司が執務した国衙(こくが)跡の遺跡は、近年の大規模発掘に伴い国指定史跡に登録されました。 |
徳川光圀が『大日本史』編纂のために参照したと伝わる社宝「総社文書」は連綿と続く当宮の歴史を今に伝えています。 長大なる歴史の波に翻弄され祭祀を中断せざるを得なかった総社もある中で、当宮は創建以来絶えることなく「国府の神祭り」を続けてきました。その現在の形が最大の祭典である9月の例大祭です。 地域を挙げて祝われるため、「石岡のおまつり」とも呼ばれ、全国から数十万人もの参拝者が訪れます。 境内最古の建造物である本殿は平成28年に大規模修復を完遂し、人々の崇敬をますます集めています。 |
常陸の国総社宮は常陸の国の神々をお祀りしています。 国学者:本居信長が主著『古事記伝』に述べるように「神」とは海川山野に宿る霊など、人間には理解しがたい力を持つあらゆる存在を刺します。常陸國の神々とは『常陸国風土記』に記された常陸国の豊かなる自然そのものと言えるかもしれません。常陸国府では当国一宮・鹿島神宮に対し現在まで続く「青屋祭」を営み、格別の崇敬を示してきたことが伺えます。 また二宮・静神社、三宮・吉田神社を始め、当国の延喜式内28社との関係が示唆されます。 江戸時代に祭神の再考証が行われ、現在では特に以下の6柱の神々を称え、境内の12末社には特に著名な神々を個別にお祭りしています。 |
国衙(こくが)の南側にかつて日本武尊(やまとたけるのみこと)が腰かけたと伝わる「神石」があります。 |
黒い消毒薬が塗られて、表皮がはがれていました。 昭和39年に発生した火災によって類焼したそうですが、幹の周囲から次第に蘇生し、現在も力強い生命を保っています。 |
日本百名山の一つ「筑波山」、日本第二の湖「霞ヶ浦」の悠々たる美景を 同時に望めるこの場所に創建された「総社」が常陸国総社です。 |
平成22年度年番大小路町により修復された初代神武天皇の遥拝所。基壇は市内の(有)廣瀬石材店による奉納です。毎年4月3日の神武祭には奈良県橿原市の畝山山稜及び橿原神宮に対して遥拝式を斎行しています。神武天皇は年番町の一つ・青木町の山車人形になっています。 |
石岡市が府中松平藩と呼ばれていた江戸時代末期、藩主・松平播磨守に仕えた手塚良庵という藩医がいました。手塚治虫氏のご先祖です。常陸國総社宮ではそのご縁に因み、風土記勅撰1300年の平成25年、手塚プロダクションの協力を得てその作品を象った授与品の頒布を開始しました。 |
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