072 炎天寺と東岳寺

東京都(Tokyo-To)
2019/01/27 Sun.  


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♪「威風堂々」エルガー
ピアノ  バージョンです♪

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炎天寺と東岳寺

炎天寺

一茶の句碑と、蛙の石像や置物がたくさんありました。



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No.072 炎天寺と東岳寺
No.072 Enten-Ji, & Togaku-Ji Temple

Tokyo-To /Beautiful Japan
Phot26pieces/GreenSeason
♪=威風堂々/エルガー
◆炎天寺、無財の七施
◆小林一茶
◆一茶まつり
◆東岳寺
◆歌川広重
◆花柳次郎、米国人ハッパー
◇お寺
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炎天寺 インフォメーション

住所=〒121-0814 東京都足立区六月3丁目13-20
電話=03-3883-0787
名称=幡勝山 成就時 炎天寺
拝観時間=9:00~16:00
創建年=平安期中頃
*交通アクセス
東武スカイツリーライン=「竹ノ塚駅下車」東口より徒歩12分







やせ蛙 負けるな一茶 是にあり
文化13年4月



小林一茶が句を詠んだという
「炎天寺」を紹介していたので行ってみました。

源頼義、義家父子が建立した八幡神社は
炎天寺と同じ敷地内にあり、歴史を感じる拝殿でした。







炎天寺

炎天寺の創建は古く平安末期に遡ります。
ちょうどこの頃、奥州安倍一族の反乱を鎮定に趣く源頼義と
八幡太郎義家父子の軍勢がこの地で野武士と戦い、
苦戦を強いられることになり、この苦境を脱するがために、
頼義、義家父子はこの地から京の石清水の八幡宮に
戦勝を祈願したところ、そのご利益のためか
ようやく勝利を得ることができたと伝えられています。
そこで寺と社を建て寺にはその社の別当を
任せたと伝えられています。またその折、
村の名を六月、寺の名を源氏の白幡がかったので
幡勝山、戦勝祈願が成就したので成就院、
気候が炎天続きだったので炎天寺としたといいます。
この六月村の炎天寺という名称はつとに評判になり、
江戸時代後期の俳人小林一茶が寺の周辺を
よく散策し句を残しました。






蝉なくや 六月村の 炎天寺

文化13年9月







無財の七施
(雑宝蔵経より)

1.眼施      やさしいまなざし
2.和顔悦色施  にっこりと笑顔
3.言辞施     親切なひとこと
4.身施      きちんとした お辞儀
5.心施      あたたかい まごころ
6.牀座施     ここちよい憩いの場
7.房舎施     ここちよい もてなし
※ スペースの都合上、省略してあります。
幡勝山 成就院 炎天寺











炎天寺と一茶まつり

炎天寺や竹ノ塚にちなむ一茶の句が縁で、昭和37年38年にそれぞれの句碑が炎天時境内に建立されて「一茶まつり」が始められた。

 これには、炎天寺の檀徒をはじめ地域の人々の支援や俳人の協力、熱意があって、実行委員会が組織され、毎年11月23日、勤労感謝の日に開催されている。

 一茶に対する文学的評価や個人評伝は多様であるが、農民詩人、生活詩人、童謡詩人としての作品は平易で一般の共感を得ている。特に、童謡詩人としての作品が少年期の情操教育に適するところから、学童の俳句運動に発展し、一茶まつりに併行して全国小中学生俳句大会が行われ、国内及び海外から毎年20万句に及ぶ作品が投句されるまでになった。

 これらの中から入選した多くの作品は、我が国の文学史上、少年少女の名句として長く後世に伝えられるであろう。
H3年11月23日     -東京都足立区教育委員会-




手水舎








八幡神社

源頼義、義家父子はすでに堂を構えていた寺の隣に
八幡宮を建立し、併せてその時期が旧暦六月だったので
この地を六月村と名付け、寺の名を源氏の白旗(幡)が
勝ったので「幡勝山」そして戦勝祈願が成就したので
「成就院」、さらにはこの時期の気候が「炎天」続きで
あったことから寺名を「炎天寺」に改めたという。







神楽殿

















八幡神社
軒下の龍の彫り物








軒下の龍の彫り物




炎天寺の歴史

当山は平安期の末に創建されたもので、天喜4年(1056)
炎天続きの旧暦6月奥州の安倍一族の反乱を鎮圧に従く
源頼義、八幡太郎義家父子の率いる軍勢が野武士と激し
く戦いきわめて苦戦となったが、京の石清水の八幡宮に
祈念し、ようやく勝利を得ることができた。         .
そこで寺の隣に八幡宮を建立、地名を六月村と改め、寺名を
源氏の白旗(幡)が勝ったので幡勝山、戦勝祈願が成就
したので成就院、気候が炎天続きだったので炎天寺と改め
られたと伝えられる源氏ゆかりの寺で江戸後期の俳句の
俳人小林一茶がいくつかの名句を残している。



炎天寺

南昌山 松濤州系単立 東岳寺
東岳寺 山門


東岳寺 インフォメーション

住所=〒121-0807東京都足立区伊興本町1丁目5-16
電話=電話: 03-3899-3790
名称=南昌山 松濤州系単立 東岳寺
拝観時間=9:00~16:00
創建年=1614年
*交通アクセス
東武伊勢崎線=竹ノ塚駅「西口」から徒歩約7分











初代安藤広重墓及び記念碑
安藤広重(1797—1858)は、江戸時代後期の浮世絵師です。

広重は、八重洲河岸定火消組同心の子として生まれ、
文化八年(1811)、15歳のとき歌川豊広に入門し
浮世絵を学び、歌川の画姓と広重の号を許されました。

浮世絵諸派の画風を学ぶとともに洋画の遠近法を加味し、
風景画や花鳥画で人気を集めました。また、
天保年間に「東海道五拾三次」を発表し、
一躍名声を得たことでも有名です。

墓所は昭和33年(1958)の再建で、
記念碑は大正13年(1924)に建てられたものですが、
昭和52年に現在地に再整備されています。

なお、現在では安藤広重ではなく、
歌川広重という呼称が一般的です。

H24年3月   東京都教育委員会





廣重塚







香月弘美の碑

「めになみだ こよいは月のなきものを 
香ふさくらが うすあかりせり 白蓮」

柳原白蓮の香月弘美の死を悼む哀悼歌 

1958年4月1日、公演中に舞台で
事故死されたタカラレジェンヌのお墓







四阿






弁天堂








四阿








井戸






香炉








四阿






南昌山 東岳寺 本堂

東岳寺 山門こじんまりとしたお寺で、
池を中心に落ち着いたおしゃれな境内でした。


境内には川柳で有名な「花柳次郎」の遺跡や、
歌川広重の作品を愛するあまり、
人生の半分以上日本に住みながら世界中に広めた
米国人 ハッパーのお墓もありました。




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公式サイト、Wikipediaを参考にしました。


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