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住所=〒121-0801 東京都足立区東伊興4-14-8 電話=03-3899-1508 山号=譜賢山 院号=新幡随院 寺号=法受寺 宗派=浄土宗 |
東武伊勢崎線=「竹ノ塚」駅より徒歩約5分 |
法受寺は、正暦3年(992)恵心僧都によって、豊島郡下尾久の地に、天台宗恵心院法受寺として開創、宝暦3年(1753)豊島郡谷中に移転、新幡随院法受寺と称しました。浅草にあった田島山誓願寺の別院照光山安養寺、下谷法受寺と合併、昭和10年に当地へ移転しました。上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場33番札所、江戸東方三十三観音10番札所、伊興七福神布袋尊です。 |
易行院は浄土宗で、もともと浅草清川町にあったが、関東大震災後、昭和3年(1928)に現在地に移転した。 寺の入り口正面に、「助六の塚」がある。 当院の文化年間(1804~1818)の過去帳に、「西入 浄心信士 俗称戸沢助六 承応2歳己2月11日死ス 志厚之有施主 七代市川団十郎 無縁ヲ弔 墓所造立シ永追福経営施主」とある。 現在は、歌舞伎で名高い花川戸助六と揚巻の墓が、助六地蔵と一緒に祀られている。助六と揚巻の仲が良かったことから、お参りすると夫婦円満、結婚成就にとてもご利益があると言われている。、 市川家が主演する「助六縁の江戸桜」は、歌舞伎十八番の一つである。七代目、市川団十郎が、文化9年(1812)に、助六160年忌法要を営み、9代目が明治になって大法要を営んだと言いう。 |
住所=東京都足立区東伊興4-5-5 電話=03-3899-1328 御本尊=阿弥陀如来 |
住所=〒121-0801 東京都足立区東伊興2-12-7 御祭神=須佐之男命、大己貴命(おおなむらのみこと) 櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと) 末社=浅間社、稲荷社、熱田社、白旗社、三峰社 ご利益=厄除、除災招福、恋愛系縁結び、 . 全般型縁結び、子授かり、安産祈願 |
当社では足立区内最古の氷川社で、往古、淵江領の総鎮守であった。江戸期に村々の開発が進むと共に、各地にも鎮守が祀られ、この社は伊興、竹塚、保木間三村の鎮守となり、明治5年からは伊興村の村社となった。 奥東京湾の海中にあった足立区が、陸地化していく過程で、この付近が最も早く陸地となり、大宮台地あたりからの移住者が、武蔵国一の宮である大宮の氷川社から分霊を勧請したものと考えられている。当時はまだこの周辺は淵が入りくんでいたところから「淵の宮」と呼ばれ、また区内一帯の呼称として、淵江郷、淵江領が生じたものであろう。 付近一帯は、古代遺跡で、弥生式土器、土師器、須恵器、また鏡・曲玉・管玉・臼玉などの祭祀遺物や漁具として土錘、さらに住居跡、井戸跡など生活遺構がたくさん出土しており、伊興遺跡と言われる埋蔵文化財包蔵地を形成している。、 昭和57年12月足立区登録記念物(史跡)とした。 |
乃木大将の記念碑は、日露戦争が大勝利に終わり、それを記念する記念碑を建立しようと、全村一丸となり、基金を募り当時としては大金(356円80銭)を集めることができました。 その旨、乃木大将に伝えると、快諾されて自ら揮毫してくれたとの事です。 記念碑ができると、出征軍人はもとより戦死者の遺族の方々も大喜びで、村中一つになって提灯行列をしてお祝いしたそうです。 しかし、終戦後は占領軍の指示で「解体後、廃棄するように」と厳命がありました。当時の神社総代、役員一同一、なんとしても記念碑を残すよう考えて、「費用が乏しい」と、拒否をしているうちに、朝鮮戦争が始まり進駐軍も撤退したので、そのまま不問になり、今日に至っております。 この表示板は、日露戦争終結後百周年にあたり、氷川神社総代一同により建立されました。 |
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