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所在地=〒142-0042 東京都品川区豊町 2-1-30 主な施設:回遊式庭園、 薬医門(公園正門)、冠木門(公園東門) 面積=18,255㎡ |
東急大井町線:『戸越公園駅』より徒歩6分 東急大井町線:『下明神駅』より徒歩8分 都営浅草線:『戸越駅』より、徒歩13分 東急池上線:『戸越銀座駅』より徒歩15分 横須賀線・湘南新宿ライン:『西大井駅より徒歩15分 京浜法北線・東京臨海高速鉄道:『大井町駅』より徒歩19分 |
寛文年間(1662)に隈本藩細川家の下屋敷の一部となっていた戸越屋敷は、江戸滝の口の上屋敷及び芝白金の下屋敷とは性格が異なり、鷹狩りやキジ狩り、あるいは茶会等を行う別荘風の邸宅であったとされています。 従って、この戸越屋敷に設けられていた武家屋敷門は、上屋敷あるいは芝白金の下屋敷に構築されていたと推定される長屋門とは異なり薬医門冠木(かぶき)門等の簡素なものが中心であったと考えられます。 以上の歴史的背景をふまえ簡素で質実剛健な様式であり、この公園の正門にふさわしい点から平成4年4月にこの薬医門を、平成3年3月には東門として冠木門を構築しました。 薬医門のいわれは、医師の門として使われたことからこう呼ばれていたようです。 |
透かし垣の代表的な竹垣です。本来は胴縁を四段渡し、 “四つの目”ができることからこう呼ばれます。 簡単な構成の垣だからこそ、胴縁の段数や目大きさのバランスなど様々なものがあり、変化に富んだ竹垣です。鎌倉時代の絵巻物なども、その姿が描かれていて、古くから使われてきたものと考えられます。 |
透かし垣の中でも足元垣の代表ともいえる竹垣です。 楼閣「金閣」で知られる京都の臨済宗鹿苑寺で最初に造られ、この名で呼ばれてます。 胴縁を渡さず、立子を並べ、太い半割の押縁を渡し、 玉縁を掛け棕櫚縄(しゅろなわ)で飾り結びをします。 |
当地一帯は江戸時代初期の寛文年間に熊本藩主・細川家の下屋敷があったところで、後に細川家の戸越屋敷として屋敷や回遊式庭園などが整備された。その後所有者は、松江藩松平不昧公家や出羽上山藩松平氏、久松松平氏などを経て、明治維新後は久松伯爵、吉井幸蔵伯爵、彫刻家の堀田瑞詳などの所有を経て1890年に三井家に移った。
1932年には三井家から当時の荏原町(後の品川区)に庭園部分が寄付され、1935年3月24日に東京市立戸越公園として開園した。1950年には管轄が東京都から品川区に移譲された。 江戸時代の回遊式庭園の雰囲気が良好に保たれている。 |
遮蔽垣の一種ではあるのですが、斜めから覗くと立子と立子の間から内側を見通せる特殊な竹垣です。 胴縁に丸竹を数本組にした立子を表・裏交互に取り付け一本ずつ棕櫚縄で結束します。 昔、戦場で横木に鉄砲を立てかけた姿になぞらえこう呼ばれるそうです。 ここでは丸竹を組み合わせた意匠にしてあります。 |
雪吊りと薬医門 ************************* お気づきのこと等がございましたら ご一報ください。→:こちら! ************************* |
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