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開山は藤沢市、横浜市周辺の地頭であった俣野氏の出身である遊行4代他阿呑海上人です。その兄、俣野五郎景平の寄進により正中2年(1325)に創建されました。 東海道随一と謳われる木造本堂をはじめとした伽藍10棟が国の登録有形文化財となっています。 木造銅板葺、1937年の再建。 『登霊臺』の扁額は、徳川治宝筆です。 |
住所=〒251-0001+神奈川県藤沢市西宮 1-8-1 電話=0466-22-2063 FAX=0466-23-8243 |
JR東海道本線=『藤沢駅』北口より徒歩15分 小田急江ノ島線=『藤沢駅』北口より徒歩15分 江ノ島電鉄=『藤沢駅』北口より徒歩15分 小田急江ノ島線=『藤沢本町駅』より徒歩20分 バス=藤沢駅北口4番又は5番のりば . 「戸塚バスセンター行」「大船駅西口行き」乗車→ . 「藤沢橋」下車 |
説明書に「住古より余ってかへる遊行寺の手洗鉢と世人の諺にまで謂われ文化財にも比すべき本堂前の手洗鉢が大東亜戦争の戦災に遭い資源不足のためにやむなく供出され、茲に25年篤志家の御賛同を得て復元いたしました 昭和44年3月26日」とあり、発起人6名の名前が記されています。 |
関東大震災で倒壊後、平成26年度再建、日限地蔵菩薩を安置。修復の際、胎内より「少病少悩」等の文字と「享保6年辛丑年4月24日」の日付を発見されました。 ※ この地蔵堂は、東日本大震災を機に、震災・風水火災で亡くなられた方々の鎮魂のために発願し建立されました。 |
浄瑠璃で名高い小栗判官・照手姫ゆかりのお寺です。応永29年(1422)常陸小栗の城主、判官満重が、足利持氏に攻められて落城、その子判官助重が、家臣11人と三河に逃げのびる途中、この藤沢で横山太郎に毒殺されかけたことがあります。このとき妓女照手が助重らを逃がし、一行は遊行上人に助けられました。その後、助重は家名を再興し、照手を妻に迎えました。 |
明治13年の類焼後再建しました。 宇賀弁財天像は室町後期作、徳川家の祖有親(ありちか)の守り本尊といわれ、開運・金運上昇等の御利益で信仰されています。小さいながら優美な建築様式です。 |
宇賀弁財天は開運弁財天ともいわれ、俗に銭洗弁天として江戸時代から藤沢宿の人々に信仰されました。現在でも銭を洗うことによって、財福を招くと信仰されています。 昭和9年7月に遊行67代尊浄上人によって「八大龍王碑」が建立されています。 |
安政6年(1859)に紀伊大納言徳川治宝(はるとみ)が寄進建立されました。 清浄光寺はたびたび火災にあっていますが、この中雀門は明治13年(1880)の藤沢宿大火の際にも焼失を免れた境内現存最古の建物です。 大正12年(1923)の関東大震災で倒壊したものを、引き起こして補修し、今に至っています。 向唐門造りで、高さ 約6.4m、幅は 約2.7m(左右柱間内寸)です。 正面破風及び屋根大棟側面と鬼瓦に菊の御紋、下り棟鬼瓦に徳川家の葵紋が刻まれています。 勅使門として通常は閉門していますが、現在は遊行上人が出立帰山する時や、開山忌行列等の諸行事に合わせて開門されています。 |
夕焼け空に富士山のシルエット ************************* お気づきのこと等がございましたら ご一報ください。→:こちら! ************************* |
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