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四尾連湖からくねくねと山道を下り、軽い車酔いを感じながら
次に訪れた、身延山久遠寺です。
所在地=〒409-2593 山梨県南巨摩郡身延町美延3567 TEL= 0556-62-1011 / FAX=0556-62-1094 |
JR『身延』駅~身延山まで路線バスまたはタクシー 身延山バス停~身延山久遠寺境内まで(土日祝のみ) . 乗り合いタクシーが運行しています。 |
平成16年に91世日光上人が再建を発願され92世 日総上人代の平成20年(2008)、明治8年(1875)以来133年ぶりに創建当時の姿で復元建立されました。塔内初重には、一尊四士の御尊像(体内には御仏舎利を奉安)と日蓮大聖人御尊像が勧請されております。間口3間4面、高さ39mです。 |
明治8年(1875)1月の大火で焼失して以来、その再建は身延山久遠寺の悲願でしたが、日蓮聖人第700遠忌の記念事業として88世 日滋上人代に再建を発願、日康上人を経て90世
日勇上人代の昭和60年5月に入仏落慶式が行われました。総坪数970坪 間口17間半 奥行き28間。 御本尊は江里宗平仏師の作で外陣の天井画『墨龍』は加山又造画伯の畢生の力作です。なお地階の宝物館には久遠寺所蔵の宝物が展示されています。 |
祖師日蓮上人をお祀りするお堂で、 明治14年に再建されたものです。 報恩閣から室内に入り廊下を移動します。 |
身延山久遠寺の総受付です。立教開宗 750年の慶讃事業として91世日光上人の発願により平成14年3月に落成。入り口前庭には、樹齢400年を経た枝垂桜が参拝者の目を楽しませているそうです。 |
大鐘は寛永元年(1624)21世 日乾上人(にちけんしょうにん)の代に鋳造されたことが鍾銘にあり、初め修行僧道順が梵鐘寄進を発願し、諸国を行脚して浄財勧募に努めましたが、その中途に未だ志を果たさずして逝去したことを聞き、、徳川家康の側室養珠院(お万の方)がいたく道順を哀れみ、自らの浄資を寄進して道順の誓願を成就するために鋳造されたものです。 毎朝夏は5時、冬は5時半、夕方は5時ないし4時半に撞かれますが、その他は除夜の鐘と身延山に緊急のことが起こった時以外は撞かないことになっています。 なお鐘楼は明治15年(1883)山梨県の南条講題目結社の丹精により建立されました。 |
昭和56年(1981)、日蓮聖人第700遠忌記念の事業の一環として建立されました。地上6階建てで、最上階には、釈迦殿が設けられており、旧本師堂の立像釈尊像を奉安してあります。5階以下には全国の信徒から納められた分骨・位牌が安置されています。 |
祖師日蓮聖人をお祀りするお堂です。入口には祖師の御魂が棲むという意味の「棲神閣」(74世 日鑑上人筆)と書かれた扁額が掲げられています。明治8年(1875)1月の大火で焼失し、74世 日鑑上人代の明治14年に再建されたものです。中央の宮殿には日蓮聖人像が祀られ、内陣虹梁(ないじんこうりょう)に掲げられている「立正」の扁額は日蓮聖人の立正大師号にちなんで昭和6年に天皇陛下より賜った勅額です。 |
日蓮聖人の御真骨を奉安する御真骨堂は、白亜の発覚堂と拝殿からなっています。11世 日朝上人代文明6年(1474)に法主猊下(ほっすげいか)の守塔の任に配慮して、西谷から現在の地に移築増築され御真骨も現在の地へ奉遷されましたl現在の八角堂並びに拝殿は、74世 日鑑上人台の明治14年に再建されたもので八角堂内の荘厳は善美を尽くしたものです。 |
拝殿の奥に臨む土蔵造り八角堂が日蓮上人の御真骨を奉安する御真骨堂です。尾張の信徒の丹精により明治14年(1881)74世日鑑(にちかん)上人の代に建立されました。 御真骨堂の中央には精緻を極め善美を尽くした五重塔があり、その中央の水晶の宝龕(ほうがん)中に日蓮上人の御真骨が収められています。堂内の宝龕蓮華台は美濃国の寺院、五重塔と天蓋は長崎の講中の寄進するところであり、金銀をちりばめた四天王は後藤祐乗の作です。 |
昭和56年(1981)、日蓮聖人第700遠忌記念の事業の一環として建立されました。地上6階建てで、最上階には、釈迦殿が設けられており、旧本師堂の立像釈尊像を奉安してあります。5階以下には全国の信徒から納められた分骨・位牌が安置されています。 |
28世 日奠(にちでん)上人代に建立されたものを明治元年(1868)に再建されました。法華経に「能(よ)く甘露(かんろ)の門を開いて広く一切を度す」とも「大慈悲を以て広く甘露の門を開く」などとあり、この門を入って法華経の法益(ほうやく)を得せしむるの意味で門に名付けたものです。 扁額は元老院 議官中村正直博士の筆です。 |
空・無相・無願の三つの門を経て、覚りに至ることから、本堂を覚りの世界に見立て、本堂に至る正面のこの門を三門といいます。26世 日暹(にっせん)上人代の寛永19年(1642)に建立されましたが、焼失し現在の門は明治40年(1907)に78世 日良上人により再建されました。掲げられる『身延山』の扁額は79世 日慈上人の筆によるものです。 |
総門
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