c172 九品仏 浄眞寺

東京都(Tokyo-To)
2019/12/15 Sun.  


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♪「シュガーケイン」S.Joplin
ピアノ  バージョンです♪

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九品仏 浄眞寺


仁王門



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No.c172 九品仏 浄眞寺
No.c172 Kuhonbutsu Joshinji Temple

Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo31pieces/GreenSeason
♪=シュガーケイン /S.Joplin
◆2014年~2034年浄眞寺「平成・令和九品仏大修繕事業」大勧進
◆総門、三門、焔魔堂
◆鐘楼堂、紫雲楼、二十五菩薩
◆九品仏、三仏堂、阿育王塔
◆池泉庭園、おめんかぶり、仏足石
◆観音堂、薬医門
◇寺、寺院、紅葉
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インフォメーション

所在地=〒158-0083 東京都世田谷区奥沢7丁目41-3
TEL= 03-3701-2029 (9:00~16:00)
開門時間=(当分の間)6:00~16:30
交通アクセス
電車
東急大井線 「九品仏」駅下車 徒歩4分
東急東横線 「自由が丘」駅下車 徒歩15分
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バス
「八中前商店街」下車 徒歩4分
「九品仏駅前」下車 徒歩3分
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^^* 告示 ^^*
 境内は信仰の霊場で公園ではありません。
遊戯、ペットの散歩、自転車乗入れ その他墓参の妨げとなる行為 境内及び墓地の平穏を害する行為は厳禁です。



総門


都内最後の紅葉を、九品仏(くほんぶつ)浄眞寺で堪能しました。
12月中旬となり、「紅葉はたくさん見たので、もういいかな。。。」と、思いましたが、企画係に誘われて行ってみると、本当に美しい紅葉でき、来てよかったと思いました。
傍にいた人が、TVでこの紅葉はこの日が最後という事を紹介していたと教えてくれました。
周りに高い建物は無く、広々した境内に日が差し込み発色の良い、色どり豊かな紅葉を楽しみました。

扁額に「般舟場」と書かれ浄真寺が
念仏道場であることを表しています。
















創建の由来

 浄眞寺は広く(九品仏くほんぶつ)の名で親しまれていますが、正式には『九品山唯在念仏院浄眞寺 くほんざんゆいざいねんぶついんじょうしんじ)』といい、浄土宗に属し、境内約12万㎡(3万6千坪)は往古の面影を保存する都内有数の風致地区です。開山は江戸時代初期の高層「珂碩(かせき)上人」で、四代将軍徳川家綱公の治世延宝6年(1678)に、奥沢城跡であったこの地を賜り、浄土宗所依の経典である観無量寿経の説相によって堂塔を配置し、この寺を創建しました。「江戸名所図絵」に描かれている堂塔の配置と現状とはほとんど変わりはないですが、昭和40年に本堂・仁王門とも茅葺を銅板葺に改修しました。
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閻魔堂

うそはつくな!
1月16日、8月16日
地獄の釜蓋開放 閻魔大王の斎日
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正面に座る閻魔大王は、亡者の罪を裁く王で、
笏を持ち忿怒の形相をしています。







鐘楼堂

宝永5年(1708)の建立で、梵鐘は文化財指定です。







九品仏浄眞寺 山門(仁王門)





山門 上層部が紫雲楼です。


紫雲楼(仁王門) 楼上の二十五菩薩

 参詣される人々は、この楼上に安置してある阿弥陀如来と二十五菩薩に迎えられて、三仏堂へと足を運ぶことになります。すなわち紫雲の門より内は荘厳の浄土(彼岸)であることを示しています。この楼門は寛政年間の建立です。伝統相続行事の「二十五菩薩来迎会(らいこうえ)」【お面かぶり】は無形文化財に指定され、この楼上の二十五菩薩は、来迎の真髄を示現していることになります。
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寛政5年(1793)の建立で入母屋造りの茅葺銅板屋根です。




















境内

 境内周囲の土手はこの地がかつて奥沢城であった時からの名残りで、鎌倉期における築城学上「土塁」の形態を示すものとして貴重な史料です。

境内には古木が多く、カヤ(天然記念物)の大木は推定樹齢700年以上、またトチ・高野マキ・菩提樹およびイチョウ(天然記念物)、など古大木があり、つねに参拝する人々が絶えない、武蔵野の面影を残存する霊域です。

 参道・総門・閻魔堂・仁王門・鐘楼・開山堂・本堂・三仏堂・書院・食堂(じきどう)などいわゆる七堂伽藍の完備した僧房として数少ない寺院です。

また、寺城全体が極楽往生の様相に形どられ、弥陀三六(さぶろく)の願いに即して、境内3万6千坪、三仏堂各堂丸柱36柱、本堂ケヤキ柱36柱、さらに三仏堂と本堂のあいだ36間というように、細部にわたり往生にちなんだ数字があてはめられ、いちど九品仏境内に歩をはこび参拝結縁(けちえん)したならば、往生浄土の信心を得ることができるという願いがこもっているのです。

このような緑の境域は周囲の変化に伴い次第に失われてゆく都内の現状の中で極めて大切なものです。将来ともこの風致を永く保存したいと念願しています。
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上本堂を中央に各堂宇には阿弥陀仏像が三躰ずつ安置されています。



中品下生横のもみじ


九品仏と三仏堂

 珂碩上人(1617~94)は、念仏行者として一代の高層であるとともに、また非常に彫刻に秀でられ、その彫刻された仏像も多数に及びました。中でも、18歳で発願、51歳の時完成した九躰の阿弥陀如来像(九品仏)は上人畢生の結晶といわれる代表作で、未代衆生化益(けやく)の尊い御仏像です。9躰とも文化財の指定を受け、上品堂(じょうぼんどう)中央・中品堂(ちゅうぼんどう)右・下品堂(げぼんどう)左の三つのお堂(三仏堂)にそれぞれ3躰ずつ安置されています。

 上品堂のうち、中央を上品上生仏、右を上品中生仏、左を上品下生仏とします。中品堂、下品堂も同様で、したがい阿弥陀さまには、上品上生から下品下生まで九つの名があり、それぞれ手の位置及び印契が異なっています。なにゆえに阿弥陀さまに九品の差別があるのか、一つには私たちの浄土教入信の過程・段階を、二つには念仏によって浄化される私たちの心の様態を示し、三つには往生人たる我々の機根を分類したのであり、私たちが念仏信仰に入る時の動機から、段々念仏により身と口と意(こころ)の三つが浄化されてゆき「生けらば念仏の功つもり死なば浄土にまいりなんとてもかくてもこの身には、思い患うことぞなき」という念死念仏の心境に至る道程を示したものということができます。

京都府下の浄瑠璃寺(九躰寺)とともにわが国における東西の九品仏像の双璧です。
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阿育(あしょか)王塔

 阿育王は、紀元前3世紀のインドの王で、仏教を国教とし、慈悲の教により国民に臨み、その恩徳国内に満ちたといわれます。
インド各地に今も残る釈尊の遺跡に多くの石柱を建立して顕彰の誠を示されました。現今のインドの国旗はこの石柱の頭部の法輪です。こちらの王塔は日本様式で、天保年間のものです。
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九品山唯在念仏院浄眞寺 本堂

 本尊に珂碵(かせき)上人御自作の釈迦牟尼如来(文化財)を安置し、第二世珂億(かおく)上人代、元禄11年(1698)三仏堂ともども上棟しました。世に珂億造りと称せられ、雄大荘重なる茅葺の大殿です。
近時、往昔の面影そのままの銅板葺に大修築を完了しました。

 本堂はまた「龍護殿」ともいわれ、浄土(彼岸)を表象する三仏堂に対比し、西面して穢土(此岸)をあらわします。当山独特の行事「来迎会(おめんかぶり)」はこの本堂(此岸)と三仏堂中央の上品堂(彼岸)との間に橋をかけ、阿弥陀仏と二十五菩薩が、来迎・往生・還来(げんらい)と3回橋を行道します。
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元禄11年(1698)上棟の大堂宇です。















池泉庭園

九品山唯在念仏院浄眞寺 本堂より







池泉庭園

九品山唯在念仏院浄眞寺 本堂より









九品山唯在念仏院浄眞寺 本堂より







九品山唯在念仏院浄眞寺 本堂より

向こうに見える建物が三仏堂の一つ







九品山唯在念仏院浄眞寺 本堂








九品山唯在念仏院浄眞寺 本堂

来迎会(おめんかぶり)
 九品仏浄真寺には、ひろく「おめんかぶり」の名で親しまれる行事があり、3年ごとに奉修される阿弥陀如来二十五菩薩「来迎会(らいこうえ)」のことで、無形文化財に指定されています。念仏行者が臨終の夕べに、阿弥陀さまが二十五の菩薩様をしたがえて西方浄土よりご来迎になるという、浄土の教えを行事にしたもので、その日は三仏堂から本堂への懸橋を信者の方々が菩薩のお面をかぶり行道する尊くもまた厳粛な儀式です。
 このおめんかぶりは、三年に一度の行事で、5月5日の午前11時・午後4時の1日2回おつとめします。関東に於いては、当山のみの行事であり、ぜひ一度御結縁あらんことをおすすめします。
 なお毎年8月16日法宝物を一般公開しています。
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仏足石

 大聖釈尊の御入滅後、仏陀礼拝の形式として、その御足に対して、接足作礼(せっそくさらい)により人々は哀心慕情の誠を示しました。
御入滅後およそ600年、仏像が創まり、それが広範に行われるまでの永い年月、仏足石礼拝は重く用いられました。
この仏足石の中央に千福輪相(法輪)が刻されていますが、摩滅しています。天保年間のもので、近年その土台を補修しました。
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観音堂
三十三観音


























薬医門








東門




東門





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公式サイトを参考にしました。


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