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所在地=〒444-0075 愛知県岡崎市伊賀町東郷中86 TEL= 0564-26-2789 / FAX=0564-21-4605 開門時間=通年 6:00開門 16:00閉門 参拝者駐車場:50台あり。 御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、東照大権現 創建:松平親忠公。文明2年(1470) |
248号線から『葵町』信号を東へ 県道(電車通り)から『伊賀町』信号交差点を西へ ※ ラーメン屋さんの角を曲がると駐車場です。 |
当日行われる「市民駅伝」の必勝祈願に、
中学生のグループがお詣りしていました。
伊賀川
1470年、松平四代親忠(ちかただ)が、松平家(徳川将軍の祖)の氏神として、家運長久、子孫繁栄を祈願するため、三重県の伊賀から三州額田郡井田村へ社を移したのが始まりと伝えられています。もとあった場所の地名にちなんで伊賀八幡宮と呼ばれました。。 本殿、隋神門、神橋など、目にふれるほとんどのものが国の重要文化財に指定されています。昭和40年から3年がかりで、隋神門ほか4棟が解体修理されました。 |
鎮座:〒444-0075 岡崎市伊賀町字東郷中86番地 祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、東照大権現 由緒 伊賀八幡宮は文明2年(1470)に、松平四代親忠公が伊賀国(三重県)から下井田の地に移し祀ったのが始まりで、その後下井田を伊賀と言うようになりました。 それから、松平家(徳川家の祖)徳川家代々の祈願所となりました。 八代広忠公は、天文4年12月織田信秀が岡崎城を攻め取ろうとした時、八幡宮に祈願して井田ケ原に迎え討ちました。その時先頭に馬に乗った武者が現れ敵陣めがけて白羽の矢を放ちました。すると八幡宮の森の上から黒雲が湧き、嵐を呼んで、白羽の神矢が雨のように敵陣に飛び、たちまち三万余の敵は敗退しました。 広忠公は、自らその神矢を拾い、八幡宮に奉納しました。 家康公も、尊敬の念極めて厚く、出陣には必ず祈願しました。関ヶ原の戦いや大坂の陣には神殿が鳴動し、鳥居が移動するなど不思議なことが起こり、また、桶狭間の戦いに、利なく軍を引かそうとした時、矢作川に八幡宮の神使の鹿が現れて、家康公は無事に大樹寺に入ることができました。こうして八幡宮は松平家徳川家の守護神として、尊敬を集めていました。 社殿の造営はたびたび行われ広忠公の天文年間家康公の永禄年間、家光公の寛永年間の増築がその主なものです。現在の社殿の大部分は寛永13年の造営です。昭和8年になって、本殿、幣殿、拝殿、透塀、御供所、隋神門、石橋、石鳥居、並びに棟札などが国宝に指定されました。(現在も国の重要文化財) 社殿は、江戸初期の建築の代表で、江戸時代の神社配置形式をよく残しています。 |
伊賀八幡宮の大神様が、家康公に化身してこの世に出現(=権現)され、この国の有り様に強い御神威を顕され、正に「厭離穢土欣求浄土」を実現し、約100年後の寛永13年(1636)、東照大権現の別名を以て還御されました。 |
戦乱の世が続く天文11年12月(1543)松平家の第9代として、徳川家康公が誕生しました。祖父そして父も家臣に暗殺されるというまだ弱小の武家であった時期の公の誕生とその前半生は艱難辛苦の連続でした。譜代の家臣と共に、まさに堪忍につぐ堪忍に耐え忍ぶ日々でした。 |
しかし家康公は、伊賀八幡宮の御加護とお導きにより、折々のj好機を確実につかみ氏長者・征夷大将軍にまで上ります。家康公の偉業は、徳川家の無事安泰に意を注ぐことにとどまらず、応仁の乱以来130年続く戦乱の世を平定し260年に及ぶ太平の世を開く、その大きな礎を築かれたことです。古今東西を通じて、比類のないこの大偉業は、真に神業と呼ぶにふさわしい御事跡でしょう。 |
寛永13年(1636)に徳川三代家光公は、日光東照宮の全面造替と時を同じくして、伊賀八幡宮の境内整備をなされ、現在の威容が整いました。特に社殿は、祖父家康公が慶長期に造営した本殿をそのまま残して増築。檜皮葺き極彩色の権現造りの社殿に改められました。そして祖父家康公を相殿神として奉斎し朱印540石を寄せて、徳川将軍家=徳川幕府の累代の祈願所ともしました。 家光公は、祖父の地岡崎で氏の神、武の神である伊賀八幡宮を戦乱の世に命を落とした多数の武者の、諸の無念を弔いおし鎮めるかの如く、浄土に咲く蓮の花で満たしました。二度と戦乱の世には戻さない、太平の世を守り抜くという、葵徳川三代の強い決意を形に表した社といえます。 |
山茶花?椿? 満開 ************************* お気づきのこと等がございましたら ご一報ください。→:こちら! ************************* |
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