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茨城県独自の緊急事態宣言の発令に伴い
1/18~2/9 休館 しています。
所在地=〒306-0622 茨城県坂東市大崎700番地 TEL=0297-33-2000 / FAX=0297-38-1999 開館時間=9:30~17:00(入館は16:30迄) 休館日=月曜日(祝日の場合は翌日)12/28~1/1 . ※ゴールデンウイーク・年始・館内整理は変更有
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◎ 鉄道・バス ◆つくばエクスプレス・常総線『守谷』駅から関東鉄道バス「祝いバスターミナル行き(1日に3~4本)」⇒『自然博物館入り口』下車⇒徒歩10分 ◆東武アーバンパークライン(野田線)『愛宕』駅から茨城急行バス「岩井車庫行き(1時間1本)」⇒『自然博物館入り口』下車⇒徒歩15分 ◎ 車 ★常磐自動車道=『谷和原I.C.』から20分 ★圏央道=『坂東I.C.』から25分 ★古河方面から=境町経由50分 ★筑西方面から=下妻市経由 1時間10分 ★土浦方面から=常総市経由 1時間 |
真空の宇宙空間において高速で飛び交う宇宙塵から体を守れるようにできています。背中には、酸素を供給し二酸化炭素を取り除く機械も装備されています。 |
+ 火星と金星の素顔 + 太陽と地球・月・金星 + 隕石を持ち上げてみよう |
46億年前に誕生した地球。その歴史をたどると、大地の変動とともに生物の移り変わりが分かります。 |
+ 地球の46億年 + 鉱物のできるところ + 恐竜たちの生活ジオラマ |
シーラカンスは、今から約4億年前の古生代デボン紀に出現し、中生代三畳紀にもっとも繁栄した魚類です。 1938年に南アフリカのイーストロンドンの漁港で生きたシーラカンスが水揚げされるまでに約80種知られていましたが、すべて化石であったためにシーラカンスの仲間は絶滅したものと考えられていました。絶滅せずに生き残って居たシーラカンスは、体の基本的な作りが化石のシーラカンスとほとんど変わっていないことから『生きている化石』と言われます。 ≪絶滅させないために≫ コモロ諸島のグランドコモロ島周辺には成魚のシーラカンスが300~400個体生息していると推定されています。アフリカ大陸東岸やインドネシアなどの地域を含めた場合、明確な数はわかっていません。 現在、シーラカンスは希少野生動植物の国際取引を制御するワシントン条約で附属書1に掲載され、輸出入が厳しく制限されています。今後捕り過ぎなどで絶滅することが無いよう、地元漁民への啓発と国際的な協力体制づくりが求められています。 |
+ シーラカンスの謎 + 土の中の生き物 + 森林の生態系(ジオラマ) + 河川・湖沼・海の生態系 |
満開の桜のようにみえるのは、触手を広げたミドリイソギンチャクです。 触手には毒針が入った刺胞があります。肉眼では見えないほど小さいです。この毒針はエサを捕まえる時や敵から身を守るときに使われます。 ミドリイソギンチャクの毒は弱いですが、強い毒を持つイソギンチャクもいます。見知らぬ生き物に触るときは充分に気を付けましょう。 |
特徴=体側には、サケ化幼魚期の特徴である黒いパーマークが並び、側線部は、淡いピンク色をしている。 生体=産卵期は9~10月 水生昆虫などを食べ、餌につく動作は極めて速く、警戒心が阿強い。 |
茨城の沖合は、南から流れてくる暖流の黒潮と北から流れてくる寒流の親潮のぶつかり合うところです。 |
昆虫が地球上に出現したのは、約4億8000万年前だと考えられています。長い時間の中で昆虫は様々な進化をし現在、世界で約100万種が知られています。基本的な体のつくりは共通していますが、進化の過程で様々なグループに分かれ、それぞれ独特な形態や生態をもっています。 |
ミュージアムパーク茨城県自然博物館では、本館での展示とともに実際の自然とのふれあいを通じて広い園内で人と自然とのかかわりや共生の大切さを学ぶことができます。 このさくらは放映されているビデオから切り撮りましたが、これから来る桜の季節に、お花見に来たくなるような、見事に咲く桜の紹介をしていました。 |
一般的に栽培品は、花弁数が5枚のものを「一重咲き」、6~10枚を「半八重咲き」、11~100枚を「八重咲き」、100枚以上を「菊咲き」と読んでいます。花弁数に特徴がある桜としては『普賢象』や『関山』『梅護寺数珠掛桜』『御車返』などが代表的な栽培品種です。 --最も古い栽培品種-- 『枝垂桜』は、平安時代にはすでに栽培が始まっていたと考えられています。 『枝垂桜は、野生種の一つであるエドヒガンの突然変異で、しだれる特異的な形質を引き継いでいます。この『枝垂桜』の種子からは、しだれる個体としだれない個体がともに生じることが知られています。 |
オオシマザクラにヤマザクラなどが交雑して生じた八重咲のサクラの総称をサトザクラと呼びます。観賞価値のあるオオシマザクラが集められ、ヤマザクラなどと交雑しながら、観賞に適したものが選ばれ、育てられていったと考えられます。様々なサトザクラがありますが、改良の過程や類縁関係は、ほとんどわかっていません。 --サクラ栽培の始まりと発展-- サクラの栽培は、種子や芽生えの苗を山から採集して育てることから始まったと考えられます。その中で、観賞価値の高いサクラが選ばれて栽培されるようになりました。 江戸時代は栽培品種が多く誕生しています。これは人々の往来の増加に伴い、花見文化の定着や各地から持ち込まれたサクラの交雑や選抜が行われた結果と考えられます。 |
スモモ属の植物の花は、サクラ属に最も近い特徴をもっています。 花序は、枝に1個、または2~4個の花の散形花序で、花柄は、スモモやセイヨウスモモなどを覗いて、短くほとんど伸びません。 葉の付け根に目が2~3個付きます。多くの種の果実の表面には縦に溝があります。すべて落葉樹です。 |
「サクランボ」とは、ヨーロッパから西アジアにかけて分布するサクラ属のセイヨウミザクラの果実で、食用としての改良が進んでおり、『佐藤錦』や『ナポレオン』などの栽培品種が有名です。一重咲きで、葉の展開とほぼ同時に白い花を咲かせます。また、中国に分布するカラミザクラの果実も食用や果実酒などに利用されています。 |
左胸に刻まれるサクラのエンブレムには、日本を代表する植物の一つであるサクラがデザインされている。 |
浮世絵の版木はヤマザクラが使われました。ヤマザクラは、木材が硬く耐久性に優れていること、木目の「柔らかい・硬い」の差が少ないこと、乾湿による伸び縮みが少ないことが特徴です。これが美人画の髪の生え際の細かな彫りや一枚の版木から何枚も摺ることを可能にします。花見の風俗を伝えた浮世絵に桜材が貢献したことは興味深い話です。 |
八溝(やみぞ)山地南部にある筑波山塊の主要部をつくる岩石で、6000万年前に地下でマグマが固まってできた深成岩(しんせいがん)です。筑波山塊は関東平野に突出した位置にあり、その山並みは関東地方一円で親しまれています。 また、花崗岩は稲田・真壁地域で古くから御影石として採掘されており、日本各地で広く利用されています。そして、この地域では日本有数の石材産業や独特の文化が育まれています。 |
ナウマンゾウは、北海道から九州までもっとも広く生息していた日本の代表的ゾウ類です。今から約43万年前頃に大陸とつながった陸橋を通って日本に侵入し、約2万年前の最終氷河期に姿を消したと考えられています。。日本の更新統からはこれまでに約500箇所以上、200数余の化石が発見されています。 |
ツクシとスギナ トクサ科 ◆北海道~九州(薩南諸島まで)
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