');
--------------------------------------
ページラスト
所在地=〒271-0092 千葉県松戸市松戸714-1 TEL= 047-362-2050 / FAX=047-361-0056 入館時間= 9:30~16:30 (17:00閉館) 休館日=月曜日(祝日の時は翌日) . 年末年始、展示替え期間(歴史観のみ) 料金:以下の通り 戸定が丘歴史公園=無料 戸定邸 = 一般:250円 大学高校生=100円 歴史館 = 一般:150円 大学高校生=100円 両館共通=一般:320円 大学高校生=160円 ※ 20名以上団体割引あり / ※ 中学生以下は無料 ※ 歴史館・特別展はその都度定めます。 駐車場=あり 普通車46台 大型バス5台(要予約) |
JR常磐線:『松戸』駅下車 東口より徒歩10分 |
明治維新により、徳川家は権力の座を離れました。明治以降の近代徳川家の住まいと庭園が一般公開されている唯一の場所が戸定が丘歴史公園です。 |
江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜(1837-1913)の弟・昭武(1853-1910)は1884年4月に戸定邸の座敷開きを行い、1890年末に庭園の整備を終えました。かつて7万㎡を超えていた敷地の約1/3が、現在、戸定が丘歴史公園となっています。園内には戸定邸を公開している戸定歴史観やお茶室の松雲亭があります。 |
水戸藩主・斉昭(なりあき)の18男。母は秋鄭(しゅうてい)という京都の天皇に仕える公家の生まれでした。兄の慶喜(よしのぶ)は13歳の昭武を将軍家へ迎え、将軍候補の身分を与えて、1867年パリ万国博覧会へ将軍名代として派遣しました。(同行者は渋沢栄一他です。)仏国との連携で幕府の窮地を打開する為でした。昭武は仏国以外にも5か国を歴訪して各国元首と交流しました。各国の新聞は昭武を次期将軍の有力候補として紹介しました。明治維新による帰国後最後の水戸藩主となりましたが、既に幕府は実在せず、幻の将軍となりました。 ☆彡へ続く |
☆彡より続く その後、パリ再留学の後、天皇から定期的に拝謁をたまわる麝香間祗候(じゃこうのましこう)となり、29歳の時に隠居。華やかさを求めず実質を重んじた彼の生涯は、その美学が投影された建物や庭園、趣味であった写真などの文化財を残しました。また、作庭家としても高く評価されています。 |
江戸川や富士山を臨める標高25m程の園内には昭武が運び上げたコウヤマキやヒヨクヒバの巨木が残り、梅、紅枝垂桜、鉢植えの藤など四季折々の花を楽しむことができます。緑豊かな園内は鳥の鳴き声が絶えません。 |
書院造庭園の南、東西に細長い区画が東屋庭園です。この土地は昭和20年代に徳川家の手を離れ、道40年代には地上4階建ての福島県学生寮が建設されました。これにより、徳川昭武が作庭した庭園は消滅しました。 松戸市は平成25年にこの土地を買い戻し、同28年から2年をかけて復元工事を行いました。 松木立の中に立つ東屋は、古写真をもとに復元されました。高さを実感させる崖沿いに建ち、ここから松戸の街並みや江戸川、富士山への絶景を楽しむことができます。 東屋庭園には井戸や、陶磁器を焼く登り窯があり、昭武は戸定焼きを焼いていました。復元に必要な仕様の細部の決定には多くの専門家や事業者の協力をいただきました。 |
書院造庭園のソメイヨシノ ************************* お気づきのこと等がございましたら ご一報ください。→:こちら! ************************* |
HOME c208 京都 南 禅 寺 << >>c210 風の広場の紅葉 BACK |