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所在地=〒606-8435 京都府京都市左京区南禅寺福地町 TEL= 075-771-0365 拝観期間:12/1~2/28=8:40~16:30 . 3/1~11/30=8:40~17:00
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東西線: . 「蹴上」駅下車⇒徒歩『ねじりんぼまんぽ遂道』より10分 |
三門は一般に山門と書かれますが、正しくは三門と書きます。三門は空門・無想門・無願門の意味で仏教修行の三解脱を現します。 南禅寺の三門は天下竜門と号し、上層の楼を五鳳楼を言います。日本三大門の一つで有名です。開創当時のものは永仁3年西園寺実兼の寄進により建立され、次いで応安年間新三門に改築されましたが、文安4年の火災で焼失しました。 現在の門は藤堂高虎が寛永5年(1628)に、大阪夏の陣に倒れた将士の菩提を弔うために再建しました。 入母屋造り、本瓦葺、五間三戸の純然たる禅宗式三門の形式を備え、その高さ約22mで左右の山廊より昇降する楼上には、勾欄を附した廻り縁をめぐらし、内部には正面に仏師左京等の手になる宝冠釈迦坐像本尊として、その脇士に月蓋長者、善財童子を安置し、その左右に十六羅漢を配置し、徳川家康、藤堂高虎の像と一門の重臣の位牌が安置されています。 天井の鳳凰、天人の極彩色の図は狩野探幽、土佐徳悦の筆です。 また、歌舞伎「楼門五三桐」の石川五右衛門の伝説で有名です。 門前左方の巨大な石灯篭は佐久間勝之の奉献したもので、高さ6m余りあり、大きさでは東洋第一です。 |
南禅院は水路閣のすぐ南側にある塔頭寺院です。 南禅寺の歴史が始まった場所として知られています。 南禅院のある場所には、かつて第88代後嵯峨天皇の離宮・禅林寺殿がありました。そして第90代亀山天皇が、出家して法皇となった際に禅寺に改築し、南禅寺が創建されます。現在の建物は江戸時代中期の1703年、5代将軍徳川綱吉の母・桂昌院の寄進で再建されました。 |
法堂は、法式行事や公式の法要が行われる場所で、南禅寺の中心となる建物です。 拝観時間が過ぎ扉は閉ざされていて残念です。 |
創建当時の法堂は、応仁文明の乱で焼失しましたが、文明11年(1479)頃に復興されました。その後、慶長11年(1606)豊臣秀頼の寄進により大改築されましたが、明治26年(1893)の火災により焼失しました。 現在の法堂は、明治42年(1909)に再建されたもので、内部の須弥壇上中央に本尊釈迦如来、右側に獅子に騎る文殊菩薩、左側は像に騎る普賢菩薩の三尊を安置し、床は一面の敷瓦となっています。屋根は林立する巨大な欅の円柱に支えられ、天井には今尾影年の大作といわれる幡龍が描かれています。 |
水路閣は境内の南側にある、全長93.2m・幅4m・高さ9mの水道橋です。三門と並ぶ境内きっての見どころとして知られています。明治時代の1890年、琵琶湖疎水の一部として田邊朔郎のデザインで設置されました。 |
レトロさ溢れるアーチ橋が由緒ある寺院の中に溶け込んでいることで独特な風景を作り出しています。加えてサスペンスドラマの撮影に使われることも多いです。 |
疎水は、琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路で、滋賀県大津市で取水され、南禅寺の南側を通り京都市東山区蹴上まで続いています。疎水の工事は1885年~1890年に竣工しました。 |
疎水の目的は、大阪湾と琵琶湖の間の通船や水車動力による紡績業、灌漑用水、防火用水などでした。しかし、水力発電の有利性が注目されるようになり、1889年に蹴上に発電所が建設され、1891年には送電が開始されました。 |
水力発電の強化と水道用水確保のため、1908年に第2疎水の工事が始まり、1912年に完成しました。 そのころ蹴上浄水場が建設され、現在は上水道の水源として利用しています。 |
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