n023-1  松 陰 神 社

東京都(Tokyo)
13/05/05 Sun. 


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♪「ロンド」モーツァルト
ピアノ バージョンです♪
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松陰神社





松陰神社 HP
住所:〒154-0023 東京都世田谷区若林4丁目35-1
TEL:03-3421-4834
FAX:03-3418-7111
創建明治15年(1882)








松陰神社
ご祭神 吉田寅次郎藤原矩方命[吉田松陰]
(ごさいじん よしだとらじろう ふじわらののりかたのみこと)
松陰は、幕末の思想家、教育者で私塾松下村塾を主宰し、明治維新を成し遂げた多くの若者を教育しました。しかし、安政の大獄(あんせいのたいごく)に連座(れんざ)し江戸の伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死されました。その4年後の文久3年(1863)に、松陰の門下生であった高杉晋作(たかすぎしんさく)、伊藤博文(いとうひろぶみ)等によって、当時長州毛利藩藩主毛利大膳太夫の所領で大夫山(だいぶやま)と呼ばれていたこの地に改葬(かいそう)されました。
明治15年(1882)11月松陰の門下の人々が相談し、墓畔(ぼはん)に社(やしろ)を築いて松陰の御霊を祀り、神社が創建されました。








神楽殿



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No.n023-1 松陰神社
No.n023-1 Shoin Jinja

Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo:28pieces/GreenSeason
◆吉田松陰、松下村塾
◆高杉晋作、伊藤博文、木戸孝允
◆御祭神:吉田寅次郎藤原?矩方命
◆桂 太郎
◇神社
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松陰神社道の道標
旧大山道(きゅうおおやまみち)[矢倉沢往還 現在の世田谷通り]から松陰神社に至る道の入り口に建てられていた道標。世田谷通りの拡幅事業の際に境内に移設した。明治45年乃木希典(のぎまれすけ)公により寄進。


松下村塾創始者玉木文之進と乃木希典
玉木家は乃木家から分かれた家柄で、両家の関係は深いようです。
そのような関係から、希典は玉木のもとで学び
実弟正誼は玉木の養子となっています。








御社殿 拝殿







御社殿 拝殿







社務所







吉田松陰像
大熊氏廣作
2013年4月27日除幕
訪問した9日前です。








絵馬







松下村塾での教育
松下村塾聯(しょうかそんじゅくれん)
[松下村塾の床の間に掲げられていた言葉]
万巻(まんがん)の書を読むに非(あら)ざるよりは、寧(いずく)んぞ千秋(せんしゅう)の人たるを得ん。
一己(いっこ)の労を軽んずるに非ざるよりは、寧んぞ兆民(ちょうみん)の安(やすき)きを致すを得ん。


大意:多くの書物を読まずに、どうして将来語り継がれるような人になり得るだろうか。
自分の労苦をいとうものにどうして人々の安らかな生活を築くことが出来ようか。決してできない。





講義室


萩の松本村にあったということで松下村塾と名付けられた塾で1856年8月頃から1858年末までの2年半ほどの期間、松陰は塾生に教育を施しました。
教育の目的は
「君臣の義(くんしんのぎ)」君主と臣下の間で守るべき正しい道
「華夷の弁(かいのべん)」日本と外国との違いを明確にすること
「奇傑非常の人(きけつひじょうのひと)」人並み外れた優秀な人材
を育むことでした。身分に関係なく誰でも入塾でき、松陰は塾生それぞれをよく観察、記録し、そこで気付いた大切なことは手紙にして渡しました。松陰が手を加えて正していく教育ではなく、自分で気づかせ、個性を生かす心の通い合う教育でした。塾で学んだ塾生は総勢90名前後と言われており、彼らの活躍あって現在の日本があるのです。







松下村塾(しょうかそんじゅく)
 松陰の教育道場であった松下村塾は、叔父の玉木文之進(たまきぶんのしん)が天保13年(1842)寺子屋を開いて、松下村塾の看板をかけたのが村塾の名の起こりです。
 塾長は玉木氏が公務多忙の間、久保五郎左衛門が安政4年(1857)まで引き継ぎました。その後、松陰が再び投獄されるまで引き継ぎ、さらに玉木氏、兄の杉梅太郎らによって明治25年ごろまで続きました。◆








◆ 松陰は嘉永5年(1852)23歳の時は半年ほど、安政2年(1855)26歳の冬 出獄(米艦に乗船を企てて投獄されていた)してから安政4年(1857)11月迄、杉家(松陰の実家)で子弟を教育していました。この月の5日にはじめて八畳一間の塾舎が完成することとなり、松陰はこの時から塾に起居(ききょ)し塾生に対し子弟同行の実際教育を指導しました。塾生が増加して手狭になったので安政5年(1858)73月、十畳半の増築がおこなわれました。松陰が名実ともに公に認められたのは安政5年7月20日、松陰29歳の時、藩主より家学(かがく)[山鹿流兵学(やまがりゅうへいがく)]教授を許可され、これから同年12月安政の大獄に連座し投獄されるまでの5ヶ月の間のことでありました。●




          塾生控室


●実際に松陰が塾生に教育を施した年月は安政3年8月のころより安政5年末に投獄されるまでの通算2年半ほどであったようです。松下村塾で薫陶を受けた塾生はおよそ90名前後といわれており、、久坂玄瑞(くさかげんずい)、高杉晋作(たかすぎしんさく)、木戸孝允(きどたかよし)、山縣有朋(やまがたありとも)、品川弥二郎(しながわやじろう)、伊藤博文(いとうひろぶみ)など明治維新を通し、近代日本の原動力となった多くの逸材を輩出させたことは特に有名です。
 本神社にある松下村塾は山口県萩の松陰神社 境内に保存されている松下村塾を模したものです。








裏庭



玉木正之の碑

松下村塾の東側にありました。
玉木正之の父は玉木正誼で乃木希典の実弟。

検索していくうちに興味深いことがたくさんわかりましたが
ここでは割愛します。
関心のある方は、検索してみてください。







大黒様が楽しそうに並んでいます。







石灯籠
 境内に立ち並ぶ32基の石灯籠は、毛利元昭(もうりもとあきら)公をはじめ松陰門下の伊藤博文、山縣有朋(やまがたありとも)などの縁故者より明治41年(1908)に奉献(ほうけん)されたものです。
その灯篭に刻まれた文字は書家高田竹山による八分隷書体によるものです。





吉田松陰他烈士墓所




 文久3年(1863)正月。高杉晋作、伊藤博文、山尾庸三、白井小助、赤根武人等は、松陰の亡骸を千住小塚原回向院(せんじゅこづかっぱらえこういん)よりこの世田谷 若林大夫山の楓の木の下に改葬し、松陰の御霊の安住の所とした。同時に小林民部、頼三木三郎も同じく回向院より改葬。その数日後、来原良蔵の墓を芝青松寺から改葬。同年11月、福原乙之進を埋葬した。

木戸孝允寄進の鳥居








 禁門の変後の、長州征伐の際に幕府によって墓は破壊されたが、木戸孝允等の手により明治元年(1868)に松陰以下の墓を修復し、更に綿貫治良助を埋葬、中谷正亮を芝清岸院より改葬、長州藩邸 没収事件関係者の慰霊碑[井上新一郎建立]を建てた。その後、墓所修復の挙を聞いた徳川氏から松陰墓所前の石灯籠と墓域内の水盤が、謝罪の意を込め寄進された。

中央が松陰のお墓です。






長藩第四大隊戦死者招魂碑
 長州藩第四大隊の戦士者招魂碑。明治37年桂太郎によって建立
桂太郎は慶應4年に長州第四大隊二番隊司令を命ぜられている

桂太郎のお墓も近くにあるようなので探してみました。
下方をご覧ください。






ワイルドフラワー




松陰神社前のポケットパーク
この公園の裏に 桂太郎の墓所がありました。















桂太郎墓所




桂太郎:弘化4年(1847)山口県萩に生まれました。
松陰と同じ長州藩の出身。安政の大獄の時はまだ11歳で、松陰から直接学んだことはありませんが、叔父が松陰の友人で松下村塾の運営にも協力していたことから、親しみを持って敬慕していました。
明治34年6月以来、3次にわたり7年10カ月首相を務めました。
あまり知られていませんが、もう一つの素顔があり、松陰を敬慕して、自らも明治33年、台湾協会学校、今の拓殖大学を創立し、亡くなる約1年前の大正元年(1912)までの12年間、校長を務めています。
 享年66歳 遺言により松陰霊域に接して、この地に葬りました。

この場所は松陰神社に隣接する公園の奥にあり、見つけづらいです。








門を開けて進み突き当り右手にありました。









長州藩士として幕末緒戦に参加、維新後、明治3年23歳にて普仏戦争中のベルリンに留学、プロシヤの兵制を学びました。
山縣有朋、大山巌を輔けて軍制の改革を図り、参謀本部の独立、鎮台の師団改編等を行い、明治陸軍建設に大きな役割を果しました。








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お気づきのこと等がございましたら
ご一報ください。
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世田谷区教育委員会パネル・展示パネル・公式サイト・検索サイト等を参考にしました。


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今日もお出で頂きありがとうございました。
よろしかったら 次回もお付き合いください!


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