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流鏑馬(やぶさめ)像
高田馬場の流鏑馬
(新宿区指定無形民俗文化財)
享保13年(1728)徳川将軍吉宗が世嗣の疱瘡平癒祈願のため流鏑馬を奉納しました。流鏑馬はその後も世嗣誕生の際や厄除祈願として奉納されました。
明治維新以降中断し、昭和9年に皇太子(現天皇)誕生祝のため再興され、数回行われましたが、戦争のため中断されました。
昭和39年流鏑馬の古式を保存するため、水稲荷神社境内で復活し、昭和54年からは都立戸山公園に会場を移し毎年体育の日に高田馬場流鏑馬保存会により公開されています。
古式豊かで勇壮な高田馬場の流鏑馬は、小笠原流によって現在に伝えられており、貴重な伝統行事です。 |
東京都新宿区教育委員会
穴八幡宮に伝わる「流鏑馬絵巻」には 元文3年(1738)に奉納された竹千代(後の十代将軍徳川家治)誕生の流鏑馬が描かれています。
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放生寺(ほうじょうじ)HP
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一陽来福
高野安真言宗 準別格本山の寺院
山号は光松山(こうしょうざん)
本尊は聖観音菩薩で、「江戸三十三か所」の第15番、
「護府内八十八か所」の第30番です。
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所在地:東京都新宿区西早稲田2-1-14
創建年:寛永18年(1641)
開基:良昌上人
正式名:威盛院 光松寺 放生寺
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穴八幡宮から階段を少し降りると
高台の中腹にあるのが放生寺です。
別当寺=神宮寺の一種。神社境内に建てられ、別当が止住し、読経・祭祀・加持祈祷とともに神社の経営管理を行った寺。
神宮寺=神社に付属して建てられた寺院。神仏習合思想の現れで、社僧(別当)が神社の祭祀を仏式で挙行した。明治1年(1868)の神仏分離により廃絶または分離。宮寺。別当寺。神護寺、神宮院、神願寺。 |
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手水舎 |
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一陽来福 授与
冬至から節分までの間に金銀融通のお札
『一陽来福』が」授与されます。
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神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)
この屋根の建物に祀られています。 |