拝殿
|
磐井神社
-大田区文化財-
式内社と呼ばれる古い格式をもつ神社である。
『三代実録』によれば 貞観元年(859)「武蔵野国従5位下磐井神社官社に列す」とあり、この神社を武蔵野国の八幡社の総社に定めたといわれ、また平安時代(10世紀)に編纂された『延喜式(えんぎしき)』の神明帳に記載されている。
別名、鈴森八幡宮とも呼ばれ、由緒書によれば、江戸時代には、徳川家の将軍も参詣したことが記されている。
万葉集の「草陰の荒蘭の崎の笠島を
見つつか君が山路越ゆらむ」
の歌にある笠島とは、ここの笠島弁天を指したものという説もある。 |
昭和49年2月2日指定 -大田区教育委員会-
|
|
境内
|
|
石碑群
-大田区文化財-
鈴石(すすいし)・烏石(うせき)【非公開】・と江戸文人石碑群
鈴石は、社伝によれば、延歴年間(782〜806)に武蔵野国の国司であった石川氏が奉納した神功(じんぐう)皇后ゆかりの石とされる。
また烏石は、鳥の模様が浮き出た自然石で、江戸時代の書家、松下烏石(?〜1779)が寄進した。鈴石・烏石は、ともに屋内に保管されている。
江戸文人石碑群は、この烏石の寄進の由来を記した烏石碑をはじめ、松下烏石の門人等が建立寄進したもので、向かって右から次のように並んでいる
狸 筆 塚 文化6年(1809)
退 筆 塚 天明6年(1786)
竹岡先生書学碑 寛政8年(1796)
烏 石 碑 元文6年(1741)
これらは、かつて弁天池周辺にあったが、神社の境内整備に伴って現地に移された。 |
|
|
|
調べた範囲では、これが何なのかわかりませんでした。
|