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江戸時代には駒込神明宮と呼ばれ、駒込村の総鎮守として信仰を集めた社である。祭神が天照大御神であることから伊勢神宮の流れをくむ神明造りの社殿である。社伝によれば、文治5年(1189)源頼朝が、奥州藤原泰衡追討の途中この当りに寄った折、夢で松の枝に幣がかかっているという神託があり、家臣藤九郎盛長に探させたところ、松の枝に大麻(伊勢神宮のおふだ)が見つかった。それで頼朝は神明を祀ったという。
「江戸砂子」によれば、直径4尺(1.2m)余の神木であったが、享保年間(1716-36)に枯れた。その後、宮守りもなく神社は跡絶え神木のもとに小さな祠のみとなったが、慶安年間(1648-52)堀丹後守利直が再興したという。昭和20年2月25日空襲により焼失したが、戦後再建し、参道敷石の整備や大鳥居の建設、植樹などに心がけ、緑濃く落ち着いた雰囲気を持つ境内である。近隣には駒込富士神社があり、かつて当社が兼務していた。
神明造り(しんめいづくり)とは
もっとも古い神社建築様式とされる。大社造が正方形に近い宮殿を模したものと考えられ、住吉造が大嘗祭の建物に近似しているが、神明造は奥行きより幅が大きく、高床式倉庫から発展し穀物の代わりに神宝を納めるように変化したと考えられている。
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