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天祖神社 由緒
旧平井村の鎮守で明治7年(1874)に村社となりました。
創建は明らかではありません。
祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、
合殿に、布都主命(ふつつのみこと)、
武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祀ります。
別当は安養寺でした。
二本ある鳥居の注連縄は銅製の鍛造によるもので、昭和
3年(1928)に鳥居を改修したおりに奉納されました。
藁で編む注連縄の穂先や根元まで銅板で造られた精巧
で珍しいものです。 -(江戸川区教育委員会)-
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鳥居と銅製の注連縄
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百度石

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亀出神社
2013年7月7日訪問
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亀出神社
所在地:〒 江東区大島3-31-15
電話:03 FAX:03
社号:愛宕神社
御祭神:火産霊命
最寄駅:都営新宿線「大島」駅より徒歩
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亀出神社亀出子育て地蔵尊
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境内社:草分稲荷神社
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 拝殿と狛犬
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愛宕神社(亀出神社)
| 『南葛飾郡神社要覧』によれば、創立は寛文12年(1672)であり、霊巌寺領の鎮守であったという。『新編武蔵風土記稿』巻之25によれば、愛宕社周辺を念仏堂跡といい、古くは霊巌寺の住僧松風が起立し、その後、珂碩和尚が住む。洪水のために堂宇が流出したため、荏原郡奥沢村に移転したという。『大島町誌』によれば、奥沢浄真寺には、珂碩上人が常念仏で用いた接待茶釜が残されその銘には「奉寄進鑵子1口。為二親菩提。寛文8年霜月25目常念仏900日。武州豊島郡葛西荘大島村常念仏堂什物。沙彌浄心」とあるという。奥沢への移転は延宝6年(1678)である。愛宕神社境内に地蔵像が数体残され、享保10年(1725)銘の供養塔には亀戸出村講中と彫られている。愛宕神社周辺を亀戸出村と称していた名残である。竪川が万治3年(1660)に掘られた際に、亀戸村から切り離されたためにこのような地域名を唱えるようになったと思われる。氏子としては、江戸時代は大島村・大島町の鎮守であり、現在は亀出東部陸会でお守りしている。 |
(「江東区の民俗城東編」より)
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神楽殿
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狛犬
亀出神社
水運のために竪川(首都高速7号線の下)が造られたため、亀戸村から切り離された当地周辺を亀戸出村と称していましたが、江戸時代後期に編纂された新編武蔵風土記稿では、大島村項に、愛宕神社として記載されており、大島村・大島町の鎮守として記載されています。また霊巌寺領であったことから、念仏堂が当社近くにあったといい、現在も子育地蔵尊が安置されています。昭和48年に、大島1-37に鎮座していた草分稲荷神社を当社境内へ遷座しました。
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