n044_1-須賀神社

東京都(Tokyo-To)
13/08/11 Sun.


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お気に召さないときは止めてください。

♪「小さな滝」S.Joplin
ピアノ バージョンです♪
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No.n044_1-須賀神社
No.n044_1-Suga Jinja

Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo19pieces/GreenSeason
♪=小さな滝 ラグタイム
◆飯塚正兵衛翁像
◆三十六歌仙 絵 区指定文化財
◆天白稲荷神社
◆八組く 火消し組
◇神社
出かけませんか?CandyBox
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手水舎


インフォメーション
社号:須賀神社
御祭神:建速須佐之男命(すさのおのみこと)
     宇迦能御魂命(うかのみたまのみこと)
相殿:櫛稲田姫命、右御子五男神命、天穂日命、
    天津彦根命、熊野樟日命、左御子三女神
境内社:大鳥神社、大国主命
所在地:〒1600-0018 東京都新宿区須賀町5番地 
電話番号:03-3351-7023 FAX:03-3226-1544
交通アクセス:JR、四谷・信濃町より徒歩10分
   地下鉄丸ノ内線、四谷3丁目より徒歩7分




八組 く
はしごと はんしょう
神社に設置されたのは、初めて見ました。


社名

 社名の須賀とは、須佐之男命が出雲の国の簸の川上の八俣の大蛇を討ち平らげ拾い「吾この地に来りて心須賀、須賀し」と宣り給いて、宮居を占め給いし故事に基づき名付けられた名称です。







神楽殿







飯塚正兵衛翁像   慰霊碑







祖霊社

 須賀神社が古い歴史と今日のような立派な御社殿と荘厳なる境内を保ち、御神威司法みちて御社頭のご繁栄を遂げておりますことは、此れ偏に須賀神社創立以来、数百年に亘りまして心からなる御奉仕を戴いて参りました。歴代の宮司を始め神社責任役員各町氏子総代、四谷惣町睦会、四谷第三区四番組等区内外の多くの氏子崇敬者各位の御蔭と存じ、この祖霊社に奉斎致してあります。私共は、今日あるを喜び、すでに夫婦の霊となられました諸先輩の方々の、御霊をお祭り致すことに依って祖先崇拝の精神を憑養し皆様とともに感謝の試を捧げ、日々御神名への御奉仕を致したいと思います。
祭礼日 例年6月4日執行    須賀神社社務所




何かご用ですか?









飯塚正兵衛翁
崇敬祖神



須佐之男命
 国生みの神話で良く知られている伊弉諾命(いざなきのみこと)が、妻であ伊弉冉尊(いざなみのみこと)にお会いになるために、黄泉の国に行かれた後、日向の橘の小門の阿波岐原で契をなされた際にお生まれになった須佐之男命は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つきよみのみこと)とともに三貴子といわれる神々のうちのお一人で、日本神話の主役として重要な役割を担う神様です。強く激しいご気性ながら、純真で強い愛情を持ったご性格で、農神・疫神として全国的に広く信仰されています。

 須佐之男命は、荒魂神として疫病・厄除けの御神威はやく、水を試合する八岐の大蛇を退治されたり、その時お救いになった櫛稲田姫(くしいなだひめ)と結婚なされて、稲の神様である大歳神(おおとしのかみ)をお産みになるなど、水をつかさどる農耕の神さまであり、人々のために植樹の大業をなされた山林の神様でもあります。

 さらに、わが国で初めての和歌と伝えられる八雲立つ出雲や垣作るその八重垣という歌をお創りになったことから、「和歌の神さま」とあがめられ、学業成就の神様としてもよく知られています。

 このように須佐之男命は、文武・政治・土地の守護開発・航海など、人々に資源を授け給う大地の恵みの神様、お祓いの神様として、特に地鎮祭(地祭)、方除け、厄除、疫病除け、家屋敷のご守護に霊験新たかとされています。


社殿













大国主命(左の扉)
由来
 官幣大社日本最古の神社であります出雲大社及びその他全国至る所に奉祀されています大国主の命は、大国(神道)と大黒(仏教)と相通ずることから七福神の中にも奉られるに至っていますが、大国主命は須佐之男命(須賀大神)の御子であり、幼少の頃は諸兄にいじめられましたが、常に良く忍耐して道を守られ、後に出雲に国家開発の大業を成され、山陰、山陽、北陸、東山の一部を平定されたと伝えられています。又良く部下民衆を愛され、その身分を隠さんがために頭巾をかぶり、暮夜財物を入れた袋を背負って、貧民に施しを行われ、その人々の喜ぶ様子を見て、自分もまたニコニコされるのが常であったとも云われています。今日の大国様の袋と頭巾とニコニコ顔はその時のお姿を写したものと伝えられています。またその后であります須勢理姫命は貞節で良夫であります大国主命に仕えられ、命もまた良く后の言を入れて、夫婦相和し、家庭円満であったことから、鏡とし縁結びの神様として今日も広く尊崇されています。後に大義名分によって折角経営された国土も惜しげもなく、今の皇室に献じられ(国譲り)、隠退されてからは少彦名命と力を合わせ教育宗教、療病の法等を研究され、また民衆の生活、商法等の指導もなされ、常に国利民福を図ることに努力せられました。詳しくは神代記に書かれていますが、真に施福神社、国家国民道徳、医薬の祖神、宗教、道徳の開祖、商法開拓の祖とも称せられ、畜類の治病、禁厭の法まで創建されたと伝われ、人々は未来今日に至るまでその恩沢を蒙っているのであります。
どうか厚い御信仰の上、前の俵を手でおなでになって、御参拝戴き大神の深いご加護と御恩恵に浴されより良き幸福な日々を送られますようご祈念申上げます。
-扉前の紹介文-










天白稲荷神社















須賀神社の三十六歌仙絵

新宿区指定有形文化財 絵画 指定日:昭和61年3月7日
 三十六歌仙は、平安時代中期の公卿藤原公任(ふじわらのきんとう 966〜1041)が、過去および同時代のすぐれた歌人36人を選定したもので、万葉歌人から柿本人麻呂・山部赤人。大伴家持の三名が、平安時代前期の『古今集』「後撰集」頃の歌人から紀貫之。在原業平・小野小町ら33名が選ばれている。

 須賀神社の三十六歌仙絵は、三十六歌仙を1人一枚の絵に仕立てたもので、縦56cm、横37cmの絹地に彩色したものを、額装の上社殿内に掲げている。

 当時画家として高名だった四谷大番町(大京町)の旗本大岡雲峰(1764〜1848)の絵と、和歌や書画で人気を博した公卿千種有功(1797〜1854)の書により、天保7年(1836)に完成・奉納されたものである。

 四谷の総鎮守として信仰を集めた須賀神社の隆盛を物語る文化財の一つである。

平成3年11月   -東京都新宿教育委員会-











絵馬







池と金魚









神輿庫





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ご一報ください。
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説明文は 立札を引用しました。


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