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時折ミストがたち込め、子供たちは大はしゃぎです。
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モース博士像
(1838-1925)
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姉妹都市提携記念
品川区・ポートランド市
日本考古学発祥の地 国指定史跡大森貝塚
明治10年(1877)アメリカ人 エドワード・S・モース博士によって発見され、日本で初めて学芸調査が行われた縄文時代後期から晩期の貝塚遺跡で、日本考古学発祥の地である。
品川区は、モース博士生誕の地であるアメリカ合衆国メイン州ポートランド市との姉妹都市提携を記念して建立された碑です。 |
昭和60年5月 -品川区・品川区教育委員会-
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色々な形で貝塚が見学しやすく展示されています。
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貝塚は縄文時代のタイムカプセルだ。
ここ大森貝塚から発掘された貝塚です。
この貝の中には、縄文時代の品川人のくらしを解くカギがいっぱい詰まっています。
この台の上の貝殻や縄文土器片などはすべてこの貝塚から出土した本物です。 |
そっと触ってみてください。
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貝塚
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この貝塚から出土した海の生物の骨
スズキ、クロダイ、マアジ、サバ、
ヒガンフグ、ウナギ、トビエイ、ウミガメ
陸の生物の骨、鳥の骨
ニホンジカ、イノシシ、アナグマ、
タヌキ、ニホンザル
イヌ(埋葬されたと考えられている)
ガン、カモ
この他に、弥生時代、奈良時代の遺物も
出土しています。
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貝塚
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縄文時代の植物と食事
貝塚から想像すると、縄文時代の人たちは貝や魚、獣などを主に食べていたように考えられがちです。
でも実際には、人間にとって必要なカロリーの約40%は、植物性のものから摂っていたといわれています。
では縄文時代、この一帯にはどんな植物が育っていたのでしょう。そして人々は、どんな植物をどのように料理して食べていたのでしょう。 |
この園内にも、縄文時代と同じ植物が植えられています。
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共同作業と交易
季節ごとの共同作業
春には木の芽や山菜つみ、貝漁、夏から秋にかけては魚の漁秋には木の実とり、冬になると狩りと、四季それぞれにやるべき仕事が自然に決まっていたようです。
家を建てたり、狩猟に出たり、また貝や木の実を干したり、土器を焼くにも、集落のみんなが力を合わせて、共同で作業を進めたのです。また、かなり遠くの人たちと交易があったこともわかっています。そんな時、縄文時代の人たちはどんな言葉や身振りで、お互いの気持ちを伝えあったのしょう。
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土器から見た、縄文時代のくらし
縄文時代は、今から1万2・3千年くらい前から始まり、1万年近く続きました。ここ大森貝塚は今から約3千年前に住んでいた人々によって残されたものです。
貝塚には、さまざまな土器のかけらが含まれていますが、それらを組み合わせ、土器を再現して調べると、その遺跡の年代や人々のくらしぶりを想像することができます。
大森貝塚に人々がくらしていたころには模様も形も違う様々な土器が作られました。それは、必要だったからというよりも、、食生活を豊かにしようとしたからだと考えられます。
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住まいと、くらしの道具
ここ大森貝塚では、はっきりしとした住居の跡は発見されていませんが、この付近に小さな集落をつ作っていたものと考えられます。縄文時代の気候は暖かく、自然のめぐみも豊かでした。人々は便利な場所に竪穴式の家を建て、生活するようになりました。土器の種類もだんだんふえ、狩りや漁のための道具にも工夫が加えられ、今の時代にも通用するほど精巧なものが作られました。 |
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品川区の『大森貝塚』の碑
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大森貝塚発見発掘 135周年
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ごっくん
園内に美味しそうな桃が生っていました。
穫らずに撮りました。^^*
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自然がいっぱいの園内
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広過ぎず、狭すぎず、自然いっぱいの中に
興味をそそられるものが詰まった大森貝塚でした。
展示資料だけでももっと紹介したいのですが、
紙面に限りがございます。
興味を持たれた方、訪問してみてください。
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お気づきのこと等がございましたら
ご一報ください。
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