n052 新宿区立 佐伯祐三 アトリエ記念館
東京都(Tokyo)
2013/11/03 Sun .


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新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館






『壁』


新宿区指定史跡
新宿区立佐伯祐三アトリエの地
指定年月日:平成22年4月9日
 近代日本を代表する洋画家の一人佐伯祐三(1898〜1928)は、大正10年(1921)にこの地にアトリエ付住宅を構えた。当時の下落合は、武蔵野の面影が残り、静かな創作環境や魅力ある風景を求めて、多くの画家、文化人の活動拠点となっていた。
 大正12年(1923)家族とともにフランスに渡り、パリの街並みを数多く描いた佐伯であるが、大正15年に健康上の理由等で帰国した。再びフランスに渡る昭和2年(1927)までの2年間は、パリで得た描写法を日本の風景に当てはめ、自己の画風を醸成させることに努めた。特に30点余あるとされる、下落合周辺に画題を求めた連作「下落合風景」じゃ、このアトリエで制作されたものである。
 この地は、佐伯が日本でアトリエを構え創作活動の拠点とした唯一の場所であり、北側の大きな採光窓等、当時の典型的なアトリエ建築を今に伝える建物が現存することから、日本近代洋画史の上でも、新宿の歴史や風土を理解する上でも重要な場所である。
平成22年4月        新宿区教育委員会


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No.n052 佐伯祐三アトリエ記念館
No.n052 Saeki Yuzo Atelier memorial hall

Tkyo-To /Beautiful Japan
Photo25pieces/GreenSeason
♪=パラゴンラグ
◆下落合、アトリエ付住宅
◆佐伯祐三、妻:女流画家 佐伯米子
◆郵便配達夫
◇アトリエ記念館、美術館
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『郵便配達夫』         『モランの寺』



新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館
◇公式サイト◇

〒:161-0032 新宿区中落合2-4-21
電話:03-5988-0091 / FAX:03-5988-0092
開館時間:5月〜9月 10:00〜16:30
      10月〜4月 10:00〜16:00
休館日:月曜日。(休日にあたる時はその翌日)
年末年始(12月29日〜1月3日)
入館料:無料
アクセス:電車
西武新宿線「下落合駅」下車 徒歩10分
JR 目白駅下車 徒歩20分






では、どうぞ ごゆっくり。

















佐伯祐三 大正10年頃のライフマスク(複製)







佐伯祐三と家族
 大阪から上京した祐三は、大正7年(1918)東京美術学校西洋画科に入学し池田米子とは、その翌年に出合いました。
 米子は、明治30年(1897)7月7日、池田嘉吉・ふき夫妻の二女として銀座に生まれました。池田家は象牙美術商を営む裕福な家で、米子は幼児期に足を痛めて松葉杖を必要としましたが、人力車で虎ノ門の東京女学館に通学し、毎週土曜日には牛込の若宮町に住んでいた川合玉堂に日本画を学びました。

 祐三と米子は、出会った翌年の大正9年9月に婚約をし、11月に築地本願寺で結婚式を挙げます。
 大正10年(1921)1月には、豊玉郡落合村字下落合661番地(現 中落合2-4)にアトリエ付きの家が完成し、翌11年(1922)2月21日には長女・彌智子が誕生しました。大正12年(1923)3月、祐三は東京美術学校を卒業しますが、アトリエに腰を落ち着ける間もなく、11月末には親子3人で芸術の都パリに向け出発しました。

 パリでの祐三は、ヴラマンクを中心としたフォーヴィスムの影響を大きく受けながら、下町や郊外各地を精力的に写生して歩きました。足の不自由な米子は一人での外出は儘なりませんでしたが、祐三は1歳年上の米子を頼りにし、画業に専念することができました。米子はパリでも和装を通し肉食を避けるなど、日本式の生活を変えなかったそうです。そんな米子が油絵を始めたのは、大正14年(1925)7月、祐三の兄・祐正を迎えるめ一家でマルセイユに向かう途中、「アルルの吊橋」を祐三とともに写生した時でした。この作品はサロン・ドートンヌに出品され、祐三の作品と共に入選を果たします。日本画を習った米子でしたが、これ以後油絵を描くようになり、画家として活動するようになります。

 二度目のパリ滞在は、一家にとって辛く悲しいものになりました。
 祐三は結核にかかり、僅か半年で病床につき、間もなく小学生の彌智子も結核に罹ってしまいます。米子は不自由な体で看病を続け、友人の画家たちも協力しますが、祐三は次第に神経も病むようになり、昭和3年(1928)6月20日、家を抜け出し自殺未遂を図ります。自宅での看病を諦め、祐三は病院に収容されますが、8月16日帰らぬ人となりました。6月頃から米子は、病院の祐三と自宅の彌智子、二人の看病に追われましたが、その彌智子も8月30日、6年間の短い生涯を閉じました。
 米子が、祐三と彌智子の遺骨と共に帰国したのは昭和3年10月31日のことです。
 その後の米子は、洋画家として活動し、昭和47年(1972)に75歳で亡くなるまで、子の下落合の自宅に暮らしました。
-パネルより-
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 佐伯の没後、パリから戻った米子は、ここ下落合のアトリエで画家として創作を続け、昭和5年(1930)丸善で初めての個展を開催、以後東京・大阪などで定期的に個展を開催する。
 昭和21年(19146)女流画家協会の設立に参加。昭和23年より二紀会に参加、翌年には理事となり、亡くなる前年まで二紀展に作品を出品する。

  第2回女流画家協会展鎌倉文庫賞(昭和23年)
  第4回現代日本美術展大衆賞(昭和35年)
  第21回二紀展・文部大臣奨励賞(昭和42年)
  第22回二紀展・文部大臣賞(昭和43年)
  勲4等宝冠章受賞(昭和47年)




北側のアトリエ特有の採光窓
目に入っていて撮ったつもりでしたが、
窓全体の画像が1枚もありませんでした。
ショック!!!
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アトリエと管理棟とは、デッキテラスで繋がっています。
デッキテラスは旧建物では居室でした。























デッキテラスのプランター
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管理棟
ミニギャラリー

母屋の南側にあったあずまや風の建物を管理棟として
再現しています。








管理棟
ミニギャラリー




併設された緑の多い公園も
散策しましょう。
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公園から見える祐三のアトリエ







公園に咲く ホトトギスかしら。







赤まんま



出かけませんか? 訪問データ
No.363 林芙美子記念館
No.n050.中村彝アトリエ記念館




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パネル・公式サイトを参考にしました。


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