n058 本所松坂町公園 吉良邸跡
東京都(Tokyo)
'13/12/08 Sun.


お気に召さないときは止めてください。

♪「かぞえ歌」
お琴バージョンです♪

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忠臣蔵で知られる赤穂浪士の討ち入りにあった 吉良上野介邸跡を、訪ねました。

吉良邸跡




本所松坂町公園 由来
 この公園は「忠臣蔵」で広く知られる赤穂浪士の討ち入りがあった、吉良上野介吉央(きらこうずけのすけよしなか)の上屋敷跡です。
 その昔、吉良邸は松坂町1、2丁目(現両国2,3丁目)のうち約8,400平方メートルを占める広大な屋敷でしたが、年を経て一般民家が立ち並び、今ではその面影もありません。
 昭和9年3月地元町会の有志が、遺跡を後世に伝えようと旧邸跡の一画を購入し史蹟公園として、東京市に寄付したもので、昭和25年9月墨田区に移管されました。
 周囲の石壁は江戸時代における高家の格式をあらわす海鼠壁(なまこかべ)長屋門を模した造りで、園内には元吉良邸にあった著名な井戸や稲荷社などをしのばせています。また内部の壁面には義士関係の記録や絵画が銅板で展示されています。        -墨田区-






赤穂義士遺跡 吉良邸跡





住所:墨田区両国3丁目13番9号
面積:約98㎡
休園日:年中無休
入場料:無料
専用駐車場:なし







松坂稲荷大明神
由来
 「松坂稲荷」は「兼春稲荷」と「上野稲荷」の二社を合祀したものです、「兼春稲荷」は徳川氏入国後、現今の社地たる松坂方面に御竹蔵を置かれし当時、その水門内に鎮座せしもので元禄15年の赤穂浪士討ち入り後、吉良邸跡へ地所清めのために遷官され、昭和10年に既存の「上野稲荷」と合祀され、当本所松坂町公園と共に当初遷座されました。







吉良上野介 座像














吉良町甚句
















みしるし洗いの井戸







吉良家家臣20士の俗名碑







忠臣蔵
吉良邸跡
 吉良上野介義央の屋敷は広大で、東西73間、南北35間で、面積は2,550坪(約8,400㎡)だったとされています。
 吉良上野介が隠居したのは元禄14年(1701)3月の刃傷事件の数か月後で、幕府は呉服橋門内にあった吉良家の屋敷を召し上げ、代わりにこの本所二ツ目に屋敷を与えています。
 現在、吉良家邸跡として残されている本所松坂町公園は、当時の86分の1の大きさに過ぎません。この公園内には、吉良上野介座像、邸内見取り図、土地寄贈者リストなどの他、吉良上野介を祀った稲荷神社が残されています。








 元禄15年(1702)12月14日、寅の刻(午前4時)の七つ鐘を聞いた後、正門から大石内蔵助以下23名が用意した梯子で邸内に侵入して、内側から門を開け、「浅野内匠家来口上」を玄関前に打ち立てて乱入しました。
 赤穂浪士は正門、裏門の二手に分かれて討ち入り、大声を上げながら、百人以上の大勢が討ち入ったように装いました。これに動揺した吉良家家臣の多くが外に飛び出そうとしました。しかし、弓の名手、早水藤左衛門んらが侍長屋の戸板に向かって次々と矢を射掛けて威嚇し、出口を固められたため、飛び出すこともできず戦闘不能になったといわれています。







松坂稲荷大明神








飯澄稲荷




吉良邸を出ると「飯澄稲荷」という小さなお稲荷さんが目の前にあります。
説明パネルによると「鏡師 中島伊勢住居跡」でした。中島伊勢は、葛飾北斎(1760~1849)の養父です。








大澄稲荷の隣の
吉良まんじゅう屋さん






おまんじゅう屋さんのジオラマ



歩道にあったオブジェです。
紹介しているのは巫女衣装のペネロペです。





立札によると
吉良邸跡から歩いて5分ほど離れた芥川文学碑近くに「吉良邸」の正門があったそうです。





芥川龍之介 文学碑
 芥川龍之介は、明治25年(1892)3月1日、東京市京橋区入船町に新原敬三、ふくの長男として生まれました。辰年辰の日辰の刻に生まれたのにちなんで龍之介と命名されました。生後7ヶ月の時、母ふくが突然発病したために、本所小泉町15番地(現両国3丁目)に住んでいたふくの長兄芥川道章に引き取られ、13歳の時芥川家の養子となりました。
 芥川家は、旧幕臣で江戸時代からの名家で、道章は教養趣味が深く、文学、美術を好み、俳句や盆栽に親しむとともに南画をたしなみ、一家をあげて一中節を習い、歌舞伎を見物するなど江戸趣味豊かな家庭でした。
 本所は龍之介の幼児時から少青年期までの大事な時期を育んだ場所で「大道寺信輔の半生」「本所両国」などの作品にその一端を見ることが出来ます。龍之介は明治31年回向院に隣接する高等尋常小学校付属幼稚園に入園、翌年同小学校(現両国小学校)に入学しました。明治38年(1905)府立第三中学校(現両国高等学校)に入学同43年成績優秀により無試験で第一高等学校第一部乙類に入学しました。その後大正2年東京帝国大学英文科に入学、同5年卒業しました。東大在学中、夏目漱石の門にに入り同人雑誌「新思潮」「新小説」にすぐれた短編を発表して文壇に華やかに登場しました。
 この文学碑は龍之介の代表作の一つである「杜子春」の一説を印欧したものです。この両国の地に成育し、両国小学校で学んだ近代日本を代表する作家、芥川龍之介の人生観を学び氏の文才をしのぶものとして両国小学校創立150周年の記念事業として、平成2年10月に建立されました。        -パネルより-

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No.058 本所松坂町公園 吉良邸跡
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