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近くのパーキングに車を止めましたが、前を歩く人影の右手に無料駐車場があったのでパーキングに引き返し200円を精算して、こちらに移動して ゆっくり芝大神宮を参拝しました。
社殿では結婚式が行われ、境内では、写真屋さんによる七五三の記念撮影が行われていました。
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参道を振り返ってみました。
芝大神宮
旧称:芝神明宮 飯倉神明宮
所在地:東京都港区芝大門1-12-7
TEL:03-3431-4802
FAX:03-3431-0793
主祭神:天照皇大御神・豊受大御神
社格等:准勅祭社 府社
創建:寛弘2年9月16日(1005年10月21日)
例祭:9月16日 |
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芝大神宮
由緒
芝大神宮は、伊勢神宮の御祭神(内宮)、豊受大神(外宮)の二柱を主祭神としています。御鎮座は平安時代、寛弘2年(1005)一条天皇の御代に創建されました。古くは、飯倉神明宮、芝神明宮と称され鎌倉時代には、源頼朝公より篤い信仰の下、社地の寄贈を受け、江戸時代には、徳川幕府の篤い保護の下に社頭はにぎわい大江戸の大産土神として関東一円の庶民信仰を集め「関東のお伊勢さま」として数多くの人々の崇拝がありました。その当時のにぎわいは、広重の錦絵に窺がうことが出来ます。 |
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芝大神宮の石碑、灯篭
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天照大御神の信仰 |
アマは[天]テラスは[照り輝きなさる]
オオは[美称]ミは[敬語]カミは[神]
神明は『天にあって照り輝きなさる偉大な神』の意味だそうです。 |
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生姜塚 |
徳川幕府に謀叛を起こした由井正雪が玉川上水に毒を流したところ、老婆が生姜を洗っていたために毒は消され江戸市民の命が助かった、という話がまことしやかに伝わり、芝大明神でも売られるようになったとの話も残ります。生姜市は、安藤広重の錦絵にも描かれているそうです。 |
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この芝大神宮で東京十社めぐり
書かれている全てをまわりました。 |
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参道の階段を上らなくても階段下にお賽銭箱が設置されています。
階段を上って行くと、社殿の中で結婚式をしていました。 |
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有形民俗文化財
芝大神宮の力石
力石は重い石を持ち上げて「力競べ」や「曲持ち」を行った際に使用した石です。特に、江戸時代後期の文化・文政期には、職業的な力持ち力士による興業が行われるようになりました。
芝大神宮の力石は、「五十貫余」の切符とともに、「川口町 金杉藤吉」の名前があります。これは、明治時代に活躍した有名な力持ち力士のひとり、芝金杉川口町の山口藤吉(慶応3年生まれ)、通称「金杉の藤吉」のことです。芝大神宮で力持ちの興業が行われた時、金杉の藤吉がこの石を片手で差し上げたと伝えられています。
港区内には、全部で14点の力石が確認されていますが、こうした力持ちの伝承がともなっているのは芝大神宮の力石のみで、都市の力石の民俗を知る資料として貴重なものです。
平成7年9月26日 東京都港区教育委員会 |
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願いが込められた絵馬
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方位石
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