n124 平 等 院
京都府(Kyoto-Fu)
2015/05/05 Tue. 


n124-Copyright(c) Candybox All Rights Reserved.
お気に召さないときは止めてください。

♪「エコセーズ」
オーケストラ  バージョンです♪

ページ容量 1,986.5KB 予想ダウンロード時間 512Kb=36秒 1M=16秒 Photo=38枚

平 等 院







-------------------------------------
No.n124 平 等 院
No.n124
Byodoin
Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo38pieces/GreenSeason
♪=エコセーズ
◆藤の花
◆鳳凰堂(国宝)、阿字池、
◆鐘楼、梵鐘、鬼瓦、鳳凰
◆源三位頼政公の墓、初代太敬庵通圓の墓
◆最勝殿、平等院ミュージアム鳳翔館
◇寺院、ミュージアム
出かけませんか?CandyBox
n124-Copyright(c) Candybox All Rights Reserved.
--------------------------------------








〒661-0021
京都府宇治市宇治蓮華116


アクセス:
『京都駅』からJR奈良線で17分(みやこ路快速)
「宇治駅」下車、」徒歩10分
京阪電鉄宇治線 「宇治駅」下車、徒歩10分







拝観料
庭園+平等院ミュージアム鳳翔館
大人=600円 中高生=400円 小学生=300円
鳳凰堂内部拝観=別途300円
拝観日=年中無休
拝観時間
庭園=開門8:30 閉門17:30 ※受付終了=17:15
鳳翔館=9:00〜5:00 ※受付終了 16:45
鳳凰堂内部=9:10〜16:10 ※法要・行事により休みあり







藤の花








平等院

鳳凰堂(国宝)
 永承7年(1052)、時の関白藤原頼通が、父 道長より譲り受けた別荘を仏寺に改め、平等院としました。この年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。

その翌年の天喜元年(1053)には阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し、堂内には、平安時代の最高の仏師定朝によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされています。

約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、世界遺産にも登録されています。


平等院

鳳凰堂(国宝)


残念ながら太陽の位置が逆光で、くすんでしまいます。












平等院

鳳凰堂(国宝)







平等院

鳳凰堂(国宝)







阿字池、ハスの葉


















鐘楼





梵鐘(レプリカ)

平等院の鐘は、「姿(形)の平等院」として
日本三銘鐘の一つに挙げられます。
鐘身に施された装飾が美しいことで有名で、
昭和47年、寸分違わぬ姿で復元された
二代目です。
鳳翔館に11世紀ごろに作られた、
本物の鐘楼が展示されているようです。










平等院南門

平等院旧南門 安土桃山時代
伏見桃山城からの移構とされ、江戸時代初期伝来の各種古図と比較しても場所・規模ともに変動がない。

垂木等も江戸時代以前の特徴である先端が細く大胆な反りで、天井板を備えた古式武家門の姿を良く残す。

平成22年夏の古典技法による再塗装工事の際、主要部材のほとんどが希少な赤樫(アカガシ)の巨木であることが判明。

固く火に強いことから戦国期の城門などに使用されたことが記録に残るが、ねじれが起きやすい樫(かし)材による建造物はこれまで日本で確認されたことがなく、城造りの天才として知られた秀吉による城門「薬医門」の現存する最古の建築として注目される。






重要文化財 養林庵書院
単層入母屋造檜皮葺

養林庵書院は慶長6年(1601)、加傳和尚が伏見城より移建したと伝えられる。

広縁中央には寛永の三筆の一人、松華堂昭乗による「養林庵」の扁額がかかり、内部には狩野山雪工房による襖絵「籬(まがき)に梅図」、山楽による床壁絵「雪景楼閣山水図」が描かれている。落ち着いた書院と仏間、茶室という三つの要素を持ち、随所に桃山様式を残す。

細川三斎(忠興)の作といわれる洗練された平庭枯山水と見事に調和する。

※ あいにく門が閉ざされ、見学はできませんでした。





石畳





















浄土院

 浄土院は平等院の塔頭(たっちゅう)で、浄土宗の栄久上人(えいくしょうにん)が、明応年間(15世紀後半)に平等院修復のために開創した寺と伝わり、『都名所図絵』には「平等院奥院」「浄閣」などとしまされている。

江戸時代には養林庵や知学庵など浄土院の子院が鳳凰堂西南を中心に多数存した。
浄土院には平等院に関係する多くの文化財が残されている。

そのうち、養林庵書院は桃山城の遺構と伝えられ、障壁画は、床の間の図が雪景山水図、襖は籬に梅図、天袋は花卉図で構成され、作者はその作風から、狩野山雪と考えられ、京狩野代表的作家の特色を著した作品としてその価値は極めて高い。






救世船乗り観音

上の写真の中央にあるのがこちらの観音様です。







朝日山 浄土院









浄土院羅漢堂

修理工事のため入れません。




通圓家 初代太敬庵通圓の墓

通圓家の初代は、古川右内といい、源頼政の家臣でした。頼政から「政」の字を賜って太敬庵通圓政久と名乗り、平治の乱の直後、宇治橋の東詰めに庵を結びました。

治承4年(1180)頼政が以仁王を奉じて平氏打倒の兵を挙げると、頼政のもとへ馳せ参じて宇治橋の合戦で平家の軍と戦い、討ち死にを遂げました。

この主従関係を物語った狂言として「通圓」があり、たびたび公演されています。







鳳凰堂の屋根の上の鳳凰

鳳凰堂の屋根の鳳凰はレプリカで、
本物は鳳翔館にあるようです。
この鳳凰は逆向きですが、
1万円札の裏に描かれていますネ。








塀の上に、すくすく育つ植物








鳳凰堂

屋根の鬼瓦







鳳凰堂

建物の裏側は順光で朱色が鮮やかです。







鳳凰堂








阿字池の鯉と、鳳凰堂の映り込み


























平等院 集印所









平等院 集印所横の丸窓







池殿地蔵尊








源三位頼政公の墓 宝篋印塔

 源頼政は保元・平治の乱で武勲を挙げ、平 清盛の奏請により、源氏として初めて従三位に叙せられました。

歌人としても名高く、勅撰集に優れた和歌を多く残しています。

 治承4年(1180)5月26日平家追討の兵を挙げた頼政は、宇治川で平 知盛軍の追撃を受け、平等院境内にて自刃しました。(齢76歳)
 辞世
埋もれ木の花咲くこともなかりしに
身のなる果てぞ悲しかりける。







最勝院

平等院塔頭2ヶ寺の1つで天台宗系の単立寺院です。








横から見た鳳凰堂




藤棚と観音堂













紫式部 (978〜1016?)

 紫式部は『源氏物語』54帖の作者として知られる女流文学者。ここ宇治川の畔一帯に華やかな貴族文化の華が開いた王朝時代に登場した才女とは知られていても、その生涯には謎が多く、生・没年さえ正確にわかっていない。999年ごろ藤原宣孝と結ばれたが、宣孝の死後は寡婦生活の日を送り、『源氏物語』の執筆はこの頃から始められたらしい。

 やがて今をときめく左大臣藤原道長から、一条天皇の中宮になった娘 彰子の女房として仕えるようにと召し出され、宮仕えの身となる。

『源氏物語』が当時の宮廷社会の実情をリアルに描写し、因果応報の人生観を有する人間性を追求した長編にまとめられているのは、紫式部自身の境遇によるものであろうと思われる。

 紫式部には、女房として宮仕えをしていたころの生活を綴った『紫式部日記』(1008秋〜1010春)や、歌人としての非凡な才能が知られる『紫式部集』があり、当時の公家の様子を伝える貴重な遺作となっている。
宇治ライオンズクラブ 2003年12月吉日建立



宇治橋



*************************
お気づきのこと等がございましたら
ご一報ください。→:
こちら!
*************************

-立札、冊子などを参考にしました。-


ページトップへ

今日もお出で頂きありがとうございました。
よろしかったら 次回もお付き合いください!


HOME

  n123 唐 招 提 寺 <<   >>n125 求法寺(ぐほうじ)

BACK




n124-Copyright(c) 1999〜 Candybox All Rights Reserved.
-----/☆★☆/-----
n124-Copyright(c) Candybox All Rights Reserved.