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朝日山 浄土院
   
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浄土院羅漢堂
   
修理工事のため入れません。
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通圓家 初代太敬庵通圓の墓
   
通圓家の初代は、古川右内といい、源頼政の家臣でした。頼政から「政」の字を賜って太敬庵通圓政久と名乗り、平治の乱の直後、宇治橋の東詰めに庵を結びました。
治承4年(1180)頼政が以仁王を奉じて平氏打倒の兵を挙げると、頼政のもとへ馳せ参じて宇治橋の合戦で平家の軍と戦い、討ち死にを遂げました。
この主従関係を物語った狂言として「通圓」があり、たびたび公演されています。 |
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鳳凰堂の屋根の上の鳳凰
   
鳳凰堂の屋根の鳳凰はレプリカで、
本物は鳳翔館にあるようです。
この鳳凰は逆向きですが、
1万円札の裏に描かれていますネ。
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塀の上に、すくすく育つ植物
   
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鳳凰堂
   
屋根の鬼瓦
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鳳凰堂
   
建物の裏側は順光で朱色が鮮やかです。
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鳳凰堂
   
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阿字池の鯉と、鳳凰堂の映り込み
   
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平等院 集印所
   
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平等院 集印所横の丸窓
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池殿地蔵尊
   
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源三位頼政公の墓 宝篋印塔
   
源頼政は保元・平治の乱で武勲を挙げ、平 清盛の奏請により、源氏として初めて従三位に叙せられました。
歌人としても名高く、勅撰集に優れた和歌を多く残しています。
治承4年(1180)5月26日平家追討の兵を挙げた頼政は、宇治川で平 知盛軍の追撃を受け、平等院境内にて自刃しました。(齢76歳) |
辞世
埋もれ木の花咲くこともなかりしに
身のなる果てぞ悲しかりける。
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最勝院
    平等院塔頭2ヶ寺の1つで天台宗系の単立寺院です。
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横から見た鳳凰堂
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藤棚と観音堂
   
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紫式部 (978〜1016?)
   
紫式部は『源氏物語』54帖の作者として知られる女流文学者。ここ宇治川の畔一帯に華やかな貴族文化の華が開いた王朝時代に登場した才女とは知られていても、その生涯には謎が多く、生・没年さえ正確にわかっていない。999年ごろ藤原宣孝と結ばれたが、宣孝の死後は寡婦生活の日を送り、『源氏物語』の執筆はこの頃から始められたらしい。
やがて今をときめく左大臣藤原道長から、一条天皇の中宮になった娘 彰子の女房として仕えるようにと召し出され、宮仕えの身となる。
『源氏物語』が当時の宮廷社会の実情をリアルに描写し、因果応報の人生観を有する人間性を追求した長編にまとめられているのは、紫式部自身の境遇によるものであろうと思われる。
紫式部には、女房として宮仕えをしていたころの生活を綴った『紫式部日記』(1008秋〜1010春)や、歌人としての非凡な才能が知られる『紫式部集』があり、当時の公家の様子を伝える貴重な遺作となっている。
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宇治ライオンズクラブ 2003年12月吉日建立
   
宇治橋
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