n165 佃 住吉神社

東京都(Tokyo-To)
2016/02/28 Sun.  


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♪「威風堂々」エルガ-
ピアノ バージョンです♪

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佃 住吉神社






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No.n165 佃 住吉神社
No.n165 Tsukuda Sumiyoshi Jinja

Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo28pieces/GreenSeason
♪=威風堂々
◆大阪佃、住吉神社、住吉三神
◆田蓑神社
◆龍神社、鰹塚、水盤舎、陶製扁額、有栖川宮幟仁
◆徳川家康
◆五世川柳 水谷緑亭句碑、石井ぎんざ歌碑
◇神社、東京マラソン
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東京マラソンが開催された お天気の良い日曜日、
佃島の住吉神社を再訪しました。







東京マラソンのコースになっている
急こう配の佃大橋とランナーの皆さん

住吉神社 インフォメーション

住所:東京都中央区佃1-1-14
電話:03-3531-3500
アクセス
東京メトロ有楽町線 「月島駅」6番出口より徒歩
都営大江戸線  「月島駅」6番出口より徒歩




鳥居の上の扁額は、陶製で白地に呉須で額字や雲文を染め付け、
明治15年に制作、額字の筆者は有栖川宮幟仁(たかひと)親王です。
水盤舎と陶器扁額は、共に中央区民有形文化財に登録されています。












佃 住吉神社

御祭神:
底筒之男命(そこつつのおのみこと)
中筒之男命(なかつつのおのみのこ)
表筒之男命(うわつつのおのみこと)【住吉三神】
息長足姫命(神功皇后)東照御親命(徳川家康)

略縁起:
 「西の海阿波伎の原の潮路より顕れ出でし住之江の神」と卜部兼直の和歌にあるように、住吉大神は、遠き神代の昔、筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原に於いて顕れた伊邪那岐大神の御子、 底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命の3柱の神です。

 神功皇后韓征伐の際、皇后自ら御親祭をし、住吉3神の御守護で無事達成しました。その帰途、摂津国西成郡田蓑島(大阪佃)に寄り、住吉3神を遥拝しました。これが大阪佃の住吉の社(田蓑神社)の起源です。

 遥か後、天正年間に徳川家康公が摂津の多田の廟に参詣の時、田蓑島(大阪佃)の漁夫達が漁船をもって神崎川の渡船を勤めた縁で家康公がこの島の住吉の社(田蓑神社)にも参旨し、漁業の傍ら田も作れとのことで、村名を田蓑から佃に改めさせ、田蓑の名を残すために住吉神社から田蓑神社へと改めました。

 天正18年(1590)家康公が関東下降の際、命により摂津国佃の漁夫33人と住吉の社の神職平岡権大夫好次が分神霊を奉載し江戸へ下り、寛永年間に幕府より鐵砲洲向いの干潟を賜り築島しました。そして故郷の名をとり佃島とし、この地に社地を定め、正保3年(1646)6月29日 住吉三神、神功皇后、徳川家康の御神霊を奉遷祭祀しました。これが佃住吉神社の起源です。

 佃島は江戸湊の入り口に位置し、海運業、各問屋組合をはじめ多くの人々から海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集めました。
 その後、月島、勝どき、豊海、晴海と埋め立てが行われ、地域の産土神(氏神)として信仰されています。

水盤舎

 欅材の切妻造、瓦葺。明治2年(1869)に再建され、同44年に改築されました。
水盤舎の欄間は、明治2年再建時のものを使ったと推定されます。正面には石川島の灯台と佃の渡し、側面には帆を張った回船や網をうつ小舟、背面には磯の景色、また内側にも潮干狩りなど、佃島の風景が彫られています。石造の水盤には「天保12年(1841)白子組」と書かれ、木綿問屋が寄進したものです。







紅梅








紅梅








『和かで かたく持ちたし 人ごころ』
五世川柳 水谷緑亭句碑

 水谷緑亭(1787〜1858)は、南茅場町【現在の日本橋茅場町1丁目】に生まれ、本名を金蔵といいました。幼い時に父を亡くし、佃島の漁師太平次に養われ、佃島の名主を務めたと伝えられています。また、養父母に孝養を尽くし、佃島の風俗を矯正した功績などにより、町奉行所から3度にわたり褒章を受けました。
 文化年間(1804〜1818)初めに二世川柳柄井弥惣右衛門の門に入り、川柳を学び、腥斎佃(まなぐさいたつくり)と号しています。二世没後は四世川柳人見周助に学び、天保8年(1837)50歳の時に五世川柳を継承しました。
 五世嗣号の翌年には、初世川柳以来続いた『誹風柳多留』が167編で刊行を終えますが、天保12年から『新編柳多留』を刊行し、嘉永2年(1849)の終刊まで55編を数えました。緑亭は、この間に川柳の式法を作り、晩年に「柳風狂句」と名付けています。
 編著には「狂句百昧箪笥」をはじめ『住吉社奉額狂句会』等があります。文筆業に長じ、川柳とは別に著作も多く、『遊仙沓春雨草子』『祥瑞白菊物語』などの草双紙や、『俳人百家撰』などの伝記物等も著しています。
 この句碑は、昭和41年11月に佃の人々によって建立されてもので、緑亭の句が刻まれています。
平成9年3月      中央区教育委員会




石燈籠








紅梅








白梅








紅梅








境内社の『龍神社』
タワーマンションを背景にした神社です

龍神社:御祭神は 龍姫大神(たつひめおおかみ)【豊玉姫神】
於迦美大神(おがみのおおかみ)・竜王弁財天

 文政5年住吉神社の境内に水を司る神、龍姫大神が龍神社
として創建されました。その後佃島に白蛇が現れ、人々はこれを
龍神(於迦美大神)と崇め佃の町の中に祠を建てて祀りました。
☆に続く




龍神社

☆より続く-
 しかしこの祠は漁師が網を渋釜で煮る作業場の近くにあったため火熱の害を受け易く、ある時網元の夢枕に祭神が現れ、住吉神社の境内へ移りたいとの神託(神のお告げ)がありました。これを受けて天保9年(1838)に住吉神社境内社の龍神社に合祀されました。

  翌年になると日本橋老舗白木屋の守護神として祀られていた大弁財天の御神徳が大き過ぎるため、持ちきれず龍神社へと合わせて祀られました。龍神社と大弁財天を合わせて「龍弁財天」と呼ぶようになり、開運出世・金運上昇・商売繁盛・学業成就・芸能達者・病気平癒の御神徳を持つ神として、崇敬を集めています。







巳成金
 劉神社の出世海運・金運上昇のお守り
持つ人の身(巳)に福・金運が訪れるお守り。

巳の守
毎年初めの龍神社の縁日の「初巳の日」に頒布されるお守り。
年の初めにその一年間の個人や家庭の徳・出世・開運を導くお守り。







石井ぎんざ歌碑

明治は遠くになっても
江戸が残る佃の夏祭り







ヒイラギナンテン








クリスマスローズ








松竹梅が揃っていた境内社

佃島漁業協同組合

































鰹塚

 鰹節問屋は江戸時代から、住吉大神を生業繁栄の守護神として奉賛してきました。
神社建築では、棟木の上に鰹節に似た円柱状の飾り木「堅魚木(かつおぎ)」が横に並んでいます。わが国最古の法典である「大宝律令」(701年)、「養老律令」(710年)に海産物調賦に、堅魚、煮堅魚、堅魚煎汁(かたうおいろり)【煮詰めたエキス】の記録があるように、大和民族は古来より鰹を食し、保存食、調味料としても利用してきました。

 東京鰹節類卸商業協同組合は、鰹の御霊に感謝慰霊の意を込め、また豊漁を願い、昭和28年5月『鰹塚』をここに建立しました。費用は組合員96名の積み立てによる浄財でまかなわれました。
 石塚は鞍馬石(高さ7尺、幅4尺)、台石は伊予青石(高さ3尺)です。
表面の揮毫は、日展審査員で組合員・鰹節問屋「中弥」店主でもある「山崎節堂」氏、裏面の碑文は慶應義塾大学名誉教授「池田弥三郎」氏によるものです。
-東京都鰹節類卸商業協同組合-






白梅








神楽殿

紅梅






紅梅と狛犬








金の生る木




水盤舎の近くで咲いていた
フクジュソウ




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パネル・立札を参考にしました。


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