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No.n192 京橋散策
No.n192 Kyobashi walk
Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo27pieces/GreenSeason
♪=アルルの女第2組曲メヌエット
◆東京スクエアガーデン
◆京橋大根河岸蹟
◆江戸歌舞伎発祥の地
◆京橋の親柱
◆京橋歴史写真パネル
◇散策
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東京スクエアガーデン前の
京橋の歴史を紹介する写真パネル
明治40年の「京橋」
〒104-0031
住所=東京都中央区京橋3丁目1-1
アクセス
※京橋駅、東京駅、宝町駅、銀座駅、銀座一丁目駅の
5駅が徒歩圏、新幹線6路線、JR14路線、
地下鉄4路線の計24路線を利用可能。
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昭和5年頃「帝都復興祭」
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昭和37年「京橋通り」
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この場所にあった「片倉館」
東京スクエアガーデンは、
片倉館などの跡地にできた
複合商業施設です。
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歌川広重「名所 江戸百景 京橋竹がし」
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地図
延宝(1680年頃)
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地図
昭和6年(1931年)
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地図
平成25(2013年)
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山王祭
2016年6月7日〜6月17日
東京スクエアガーデン前は
山王祭の準備が整っていました。
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小田原提灯
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御神輿
3基並んでいた中の一つ
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京橋散策
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京橋大根河岸
青物市場蹟
中央通りに、『京橋大根河岸青物市場跡』という石碑があります。
これは、寛文4年(1664年)にこの地に野菜の売り場が設けられ、
青果市場として栄えたことを伝えるものです。
この大根河岸は、昭和10年(1935年)に築地に移転したので、
300年近くも栄えた市場だったのですね。
今でも、月に1回ほど、付近にある大根河岸公園内にて
大根の無料配布会が開催されてるとか。
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江戸歌舞伎発祥の地
寛永元年(1624年)に猿若勘三郎(中村勘三郎・初代)が
猿若座を創設し、これが江戸歌舞伎の始まりであると
伝えられています。その後、日本橋堀留町や浅草方面に
移転しましたが、火災がきっかけとなり明治時代に
廃座になってしまいました。しかし、京橋の地で
江戸歌舞伎が始まったことは事実。現在も、18代目
中村勘三郎の襲名興行のパレードはここからスタート
するなど、歴史的な場所として大切にされています。
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銀座一丁目交番
交番の屋根の形は、アールデコ風の
親柱を真似ているようです。
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京橋の旧石造親柱
明治8年(1875)に石造アーチ橋に
架け替えられた時のものです。
江戸時代の伝統を引き継ぐ擬宝珠の
形をしており、詩人の佐々木支陰の筆による
「きやうはし」の橋名が彫られています。
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京橋の親柱
所在地=中央区銀座1丁目2番先・11番先京橋3丁目5番先
京橋は、慶長8年(1603)の創建とされる日本橋とほぼ同時期に初めて架けられたと伝えられる歴史のある橋です。昭和38年から40年にかけての京橋の埋め立て工事に伴って撤去されましたが、その名残を留めるものとして、石造の親柱2基と石及びコンクリート造りの親柱1基が残されています。
このうち、2基の石造親柱は明治8年(1875)に石造アーチ橋にかけ替えられた時のものです。江戸時代の伝統を引き継ぐ擬宝珠の形をしており、詩人の佐々木支陰の筆による「京橋」と「きやうはし」の橋名が彫られています。
また石およびコンクリート造りの親柱は大正11年(1922)の拡張工事でアールデコ風の端にかけ替えられた時のものです。照明設備を備えた近代的な意匠を持ち、「京橋」と「きやうはし」の橋名と「大正11年11月成」の銅板プレートが付けられています。
明治・大正と二つの時代に設置された親柱は、近代橋梁のデザインの変化を知ることが出来る貴重な建造物として、中央区民文化財に登録されています。 |
石及びコンクリート造りの旧親柱の写真
(上の写真左端の拡大です)
大正11年(1922)の拡張工事でアールデコ風の
橋に架け替えられた時のものです。
照明設備を備えた近代的な意匠を持っています
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東銀座
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銀座の東方面をぶらっと、ウインドショッピング・・・
ウインドウオッチングです。
日々変化を遂げ、来るたびに変わる街。
昔、OLをしていた会社の建物もなくなり、
通過するだけのウン十年です。
今日は、パーキングに車を止め、歩きました。
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ウェディングドレス
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PIZZERIA
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ディズニー
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NEW YORKER
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カラフルなボトル
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